士業の世界に足を踏み入れた頃の幻想
司法書士の資格を取ったあの頃、心の中では「これで人生安泰だ」と思っていました。資格があれば食っていける。営業が得意じゃなくても、真面目に仕事をしていれば自然と依頼がくる。そんなふうに信じていました。だけど、現実は想像以上に厳しく、田舎で事務所を構えた自分にとっては「資格があること」より「仕事があること」の方が遥かに難題でした。年を追うごとに、「士業の世界にも競争がある」ということを痛感する日々です。
資格さえあれば食っていけると思っていた
大学卒業後、数年間フラフラしながらも司法書士を目指し、なんとか合格。その瞬間は達成感と未来への希望に満ちていました。でも実際に開業してみると、資格そのものが仕事を運んでくれるわけではないという当たり前の事実にぶつかります。資格はあくまでスタートライン。商売はそれからが勝負なんですね。特に地方では「実績」がないと誰も振り向いてくれませんでした。資格があるからなんとかなるという幻想は、数ヶ月で打ち砕かれました。
開業当初は期待と不安が半々だった
開業したての頃は、正直ワクワクしていました。新しい名刺、デスク、電話回線。すべてが「仕事人」になった実感を与えてくれました。でも、それ以上に電話が鳴らない日々が心を蝕んできました。自分から営業に行くタイプでもなく、知り合いのツテにも限界がある。気づけば、期待よりも不安の方が大きくなっていました。あの頃は、誰かと仕事の話がしたくて仕方がなかった。今でも、その孤独感は完全には消えません。
気づけば隣も向こうもライバルだらけ
田舎町の狭い経済圏に事務所を構えるということは、クライアントの奪い合いに巻き込まれるということです。都会ほど士業の数は多くないものの、仕事の数も限られています。結局、どこも似たような登記案件を取り合っていて、昔ながらのつながりがあるか、飛び抜けた発信力がないと食い込めない。それを実感したのは、ある大手士業グループが駅前に事務所を出したときでした。
士業が増えすぎたのか仕事が減ったのか
最近、同業者の集まりでもよく話題になるのが「とにかく仕事が減っている」ということ。登記件数は相続関連以外は減る一方。加えて、士業の数は横ばいか、やや増えている印象すらあります。供給が需要を超えている。これは完全に競争状態ですよね。資格を持ってるだけでは生き残れない。それを身に染みて感じるようになったのは、開業から数年後のことでした。
地元の小さな市場で生き残る難しさ
人口減少が進む町で事務所を構えると、案件そのものが先細りになっていきます。特に若年層が少ない地域では、会社設立の需要も薄く、メインは相続や不動産売買。それも限られた仲介業者とすでに関係がある事務所に流れる。結果として、「新規」は年に数件あればいい方。黙っていても来る時代はとうに終わっていたと、気づいた頃には遅かったのかもしれません。
紹介が機能しない時代になった
昔は「紹介」が主な営業ツールでした。でも今は違います。依頼者はネットで検索し、レビューを読み、顔が見える士業を選ぶ。紹介よりも検索結果の上位が力を持つようになったのです。正直、これはきつい。SEO?SNS?どれも畑違いで、ただでさえ忙しい中で勉強する気にもならない。けれど、やらなければ埋もれていく。それが今の士業の現実です。
ネットで探される仕事になった現実
ホームページを作っただけでは誰にも見つけてもらえない。そんなこと、最初は知らなかったんですよ。いわゆる“検索に引っかかる”状態を作らないといけない。それがまた難しい。司法書士としての知識より、ウェブマーケティングの方が必要とされる。何のために資格を取ったんだろうと、ふと我に返ることがあります。
SEOだのSNSだのに時間を取られる
開業初期にとりあえず作ったブログ、放置していたら全くアクセスがなく、知人に「SEOやらないと意味ないよ」と言われました。そこから試行錯誤して、キーワード選定や構成に気を使うようになりましたが、本業とはまるで関係のない世界。SNSで情報を発信することも、「何を書けばいいのか」と悩むばかりで億劫。そもそも、自撮りすらしたくないタイプなんです。そんな自分が人目を引く投稿をするなんて、正直無理があります。
黙ってても来る時代は終わった
かつての上司が言っていました。「腕さえ良ければ客はついてくる」。それは本当だったのかもしれません。でも、今は違う。腕が良くても見つけてもらえなければ、存在しないのと同じです。結局、見つけてもらうための努力がなければ、机に座っていても電話は鳴らない。そう気づいたとき、ようやく重い腰を上げてブログや広報に時間を割くようになりました。
どこの誰かより検索結果で勝つか
最近は、同業者のホームページを見ては「この人、よくやってるな」と感心することもしばしば。でも、そこで落ち込む自分もいる。元々ネットが得意なタイプではないし、派手な発信も苦手。それでも、知られなければ依頼はこない。ライバルは地元の司法書士だけじゃない。ネットの向こうの誰かと、無言の競争をしている。そんな疲弊を感じる毎日です。
価格競争には絶対に乗りたくない
最近よく見かける「相続登記一式○○円〜」の広告。正直、胃が痛くなります。価格で勝負するのは簡単かもしれない。でも、それは自分の価値を削っていくことにもなります。自分で自分の首を締めるような真似はしたくない。でも現実は、安い方に流れるお客さんも少なくない。割り切れない気持ちと、経営の現実。その狭間で毎日揺れています。
安売りすればするほど自分の首が締まる
「最安値で勝負」というのは、物販なら通用するかもしれません。でも士業はサービス業です。案件ごとに状況も違えば、責任も異なります。一律料金なんて無理がある。そう思っても、実際は「いくらでやってくれますか?」と聞かれるたびに、少しでも安く答えてしまいたくなる自分がいます。苦しいです。でも、踏みとどまらないと、自分の仕事に誇りが持てなくなる気がします。
とりあえず聞くだけ客の増加
最近増えたのが、複数の事務所に見積もりだけ取って、音沙汰がないというケース。こちらは話を聞いて真剣に考えるのに、向こうは「条件がよければ依頼するかも」程度。これが続くと、どこか人間不信にもなってしまいます。でも、そんな中でも丁寧に対応するのがこの仕事。わかっていても、気持ちの切り替えが追いつかない日もあります。
無料相談の境界線が曖昧になっていく
「ちょっと聞きたいんですけど…」という電話が増えています。一見、軽い相談でも、それが30分、1時間になることもあります。それを全部無料で対応するのか?という葛藤はあります。だけど、最初から「相談料がかかります」とは言いづらい。士業の仕事の価値が軽く見られているのか、それともこちらが甘すぎるのか。毎回悩んでいます。
それでも続けている理由と踏みとどまる気持ち
こんなに愚痴ばかり書いてきてなんですが、それでも事務所を続けているのは、やっぱり「誰かの役に立てる」瞬間があるからです。感謝の言葉をもらえると、「やっててよかった」と思えるんです。報われる瞬間は決して多くない。でも、ゼロじゃない。それだけで、もう少しだけ頑張ってみようと思える。それが今の、私の正直な気持ちです。
誰かの役に立った実感だけが救い
先日、とある高齢の依頼者から「先生のおかげで安心しました」と言われました。たった一言なのに、何日もその言葉が心の中に残りました。どんなに忙しくても、疲れていても、そういう言葉があると報われた気になります。お金じゃなく、感謝の言葉が原動力になっているのかもしれません。士業って、そういうものだと思いたいんです。
たまに届くありがとうの重み
感謝の手紙やメールが届くと、デスクの端にそっと置いて眺めています。辛くなったときに読み返して、「また頑張るか」と思える。仕事の成果は目に見えづらいけれど、「ありがとう」の言葉は確かなもの。競争が激しくても、孤独でも、この言葉がある限り、自分の存在価値を感じられる。それが、士業を続けている理由の一つです。