依頼人の夫婦喧嘩に巻き込まれた日のこと

依頼人の夫婦喧嘩に巻き込まれた日のこと

依頼人の夫婦喧嘩に巻き込まれた日のこと

朝の電話からすでに空気が怪しかった

あの朝は、珍しく早い時間から事務所の電話が鳴った。まだコーヒーを一口飲んだだけで、パソコンの電源も入れていなかった。受話器越しの女性の声は妙に早口で、「今から来ていただけますか、急ぎで」と食い気味だった。その時点で、いやな予感はしていた。事務員の山田さんも「朝イチでこのテンションは、ろくなことありませんよ」とこぼしていた。こういうときに限って、スケジュール帳には空白があって、断る理由がないのが悲しい。頭のどこかで「行かないほうが良かったかも」と思いながら、資料を鞄に詰め込んだのだった。

「今すぐ来てください」から始まる不穏な依頼

「ご主人と一緒に相談したいことがある」とのことだったので、相続か贈与あたりかなと見当をつけて向かったのだが、到着してみると雰囲気が明らかに違った。リビングに通されるや否や、夫婦の間に走るピリついた空気が肌に刺さる。挨拶もそこそこに、妻が「先生、この人が言うこと聞かないんです!」と怒鳴る。ご主人はソファで腕組みして無言。いや、これ、登記とか契約とかいう話じゃなくなってませんか?という内心のツッコミを抑えつつ、とりあえず資料を広げて場を整えようとするのだが、空気がまったく落ち着かない。これは長丁場になりそうだと悟った瞬間だった。

事務員さんの「これ、やばい匂いしますね」発言

出かける前、資料を準備しながら「なんか変な予感するんですよね」と漏らした私に、事務員の山田さんが「やばい匂いしますね、それ」と言って笑っていた。そのときは冗談半分だったが、結果的には彼女の直感が当たっていた。夫婦間のトラブルというのは、法的な処理だけでは済まない場合が多い。感情と感情がぶつかり合うところに、冷静な説明を求められても、正直こちらとしても困ってしまう。いくら理屈を並べても聞く耳を持たれない。そういうとき、司法書士って本当に無力だなと感じるのだ。

気乗りしないけど行かざるを得ない

正直、電話を切ったあともしばらく机の前で悩んだ。「今日はやめとこうかな」という言い訳をいくつか考えてみたけれど、結局どれも自分の中で通らなかった。仕事を選んでいたら、この地方で司法書士なんてやってられない。依頼があるだけありがたい。そう自分に言い聞かせて、車に乗った。誰にも必要とされないよりは、多少無理してでも動いたほうがマシだ。そんな思いで車を走らせたが、現場で待っていたのは“必要とされすぎた自分”だったのかもしれない。

話が前に進まないどころかヒートアップしていく

とにかく話が進まない。何かを決めようとすると、必ずどちらかが「それは聞いてない」と反論を始める。そうなるともう、書類の確認どころではなくなる。こちらは粛々と手続きを説明したいのだが、相手の頭の中は「相手をどうやって論破するか」でいっぱいのようだった。まるで夫婦喧嘩に巻き込まれた第三者が、調停役を担わされているかのような立場にいる。登記の話はどこに消えたのかと自問しながら、ただ場を持たせるために「少しお茶でも飲んで落ち着きましょう」と言った。自分がこんなこと言う日が来るとは思わなかった。

「だから私の言った通りにしろって」

一番きつかったのは、妻が「先生、私の言った通りにしてくれればいいんです」と言い出したときだった。いやいや、それはできない。こちらは中立の立場であって、どちらか一方の肩を持つわけにはいかない。そう説明しようとすると、今度は夫が「結局、あんたもこっちの味方か」とにらんでくる。ああもう、何を言ってもダメなパターンだ。家の中で火花が散っているのに、その真ん中で「印鑑証明書がですね…」なんて口に出す気にもなれない。このときばかりは、本気で「帰りたい」と思った。

なぜかこっちに怒りが飛んでくる

話しているうちに、夫婦の怒りの矛先が互いから徐々にこちらに向き始める。「先生が最初にこう言ったせいじゃないですか?」と妻。「説明不足じゃないのか?」と夫。いやいや、待ってくれ。こっちは説明しようとしたよ、でもその間ずっとそっぽ向いてたのは誰だ?と喉元まで言葉が出かけたが、もちろん飲み込んだ。怒りのババ抜きに巻き込まれて、最後にジョーカーを掴まされたような気分だった。

夫婦喧嘩の仲裁役をした覚えはない

私は司法書士であって、夫婦カウンセラーじゃない。冷静に考えればそうなのだが、現場ではそんな理屈は通じない。感情がぶつかり合っている現場では、誰かが「まとめ役」にならざるを得ない。たまたまそこにいたのが私だった。それだけの話なのだ。とはいえ、「どうして私がここに…」という思いは拭えない。本来の仕事ではないことに時間とエネルギーを吸われると、さすがに疲れが残る。

司法書士ってこんな役割だったっけとふと思う

ふと、原点に立ち返る瞬間がある。「司法書士とは何か」。大学時代に参考書で読んだような定義とは、あまりにかけ離れた現実を前に、もはや笑うしかない。「法律の専門家」なんて、こういう場面では通用しない。求められているのは、人間関係の調整力、空気を読む力、そして“我慢力”。でもそれって、司法書士の試験には出てこなかった。

法的手続きと感情のあいだで揺れる職業

感情に振り回されないように生きるには、自分まで感情を消さなければならない。冷静に淡々と説明し、書類を整え、間違いのないように進める。けれど、感情が渦巻く現場では、それだけでは成立しない。「人としてどう対応するか」という判断が常に問われる。書面では割り切れることも、現実ではそうはいかない。司法書士は“感情と法”の間でバランスを取らされる存在なのだと痛感する。

冷静と情熱の間に立たされる日々

「感情的にならないように」と自分に言い聞かせるのが癖になっている。でも、正直しんどい。怒鳴られたり泣かれたりすれば、こちらだって人間だから心が揺れる。かといって、こっちが感情的になってしまえば話は終わりだ。毎日の業務は、感情を切り分けながらこなしていく作業の連続だ。ふと思う。「こんな綱渡り、いつまでできるんだろう」と。

登記よりも心の調整役になってしまう現実

本来は、登記という手続きのプロとして依頼を受けているはずなのに、気づけば「その言い方はよくないと思いますよ」とか「ちょっと落ち着きましょう」と言っている。書類よりも空気を読むことに神経を使っている。なんだか変だ。でも、現場ってそういうものだとも思う。相手の心が整わない限り、どんな契約も成立しないのだから。司法書士が担うべき“見えない役割”の重さを感じる。

愚痴っぽくなるけど、それでも続けている理由

毎日がこんな調子では、やっていられない…と思いながらも、気づけば何年もこの仕事を続けている。愚痴は多くても、辞めようとは思わなかった。多分、どこかでこの仕事が自分の居場所だと思っているのだろう。少なくとも、自分を必要としてくれる誰かがいる。それがひとつでもあるなら、続ける理由になる。

どこかで誰かの役に立ってると信じたい

感情の嵐に巻き込まれながらも、「先生のおかげで助かりました」と言われることがある。そういう一言で、心が少し軽くなる。仕事って、そういうものかもしれない。すべてが報われるわけじゃないけど、誰かのためになっているなら、それでいい。そう思って、明日もまた、電話に出る。

感謝のひと言に救われることもある

実際に「ありがとうございます」と言われると、意外なほど嬉しい。子どもみたいに単純だけど、それだけで疲れがふっと軽くなることもある。仕事に必要なのは、報酬や休暇だけじゃなくて、ちょっとした“人との接点”なのかもしれない。孤独になりがちな仕事だからこそ、そういう瞬間はありがたい。

元野球部として、変な場面でも耐える癖

高校時代、炎天下で泥まみれになりながらも黙ってボールを追っていた。あの頃の我慢が、今の自分を支えている気がする。理不尽な場面でも耐えるのは、ある意味習慣になっているのだろう。「これもノック練の一部だ」と思えば、少しは前向きになれる。疲れても、今日もなんとかやり切った。そんな一日だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。