封印された遺言と登記簿の影

封印された遺言と登記簿の影

朝一番の来訪者

雨がぱらつく火曜日の朝、事務所のドアが重たい音を立てて開いた。差し出されたのは、しわだらけの手に握られた古い封筒だった。年配の女性が、俯いたまま言った。「これ、夫の最期の遺言なんです……」。

年齢のわりにしっかりとした口調だが、その言葉の端に微かに揺れるものがあった。私が封筒を受け取ると、ずっしりと重みがあった。中に何か、ただの紙ではないものが潜んでいるような気がした。

「公正証書じゃないんですね?」と問うと、彼女は首を振った。「自筆です。でも……何かおかしいんです」。

扉を叩く老婦人

名を芦田ヨシエと名乗ったその女性は、町内でも有名な古家の持ち主だった。亡くなったご主人は、元教師で厳格な人柄として知られていた。「夫は律儀な人でした。だから、何か裏があると思うんです」。

そう言いながらも、彼女は遺言の中身には触れたがらなかった。私は慎重に封を開け、中の便箋を取り出した。そこには日付、署名、そして明らかな違和感があった。

「これ、二週間前の日付ですが……ご主人、三週間前に亡くなったんですよね?」

話にならない相談内容

「筆跡は確かに夫のものです。でも、亡くなる前日、私には『遺言なんて書かない』と明言していたんです」

話を聞けば聞くほど、矛盾が浮かび上がる。これは単なる家庭内の誤解ではない。いや、何かが、もっと深く、ずれている。

思い出したのはサザエさんのカツオが、宿題を提出したことにして先生を煙に巻く話だ。まさか、遺言を“提出”したフリをして、何かを隠している?

奇妙な遺言書

私は遺言書をコピーし、内容を精査した。相続人は妻の他に一人、聞き覚えのない名前が書かれていた。「瀬戸ハジメ」。

「誰ですか、この方?」と尋ねると、芦田さんは眉をひそめた。「知らない……夫の親戚にもいません」

相続人として指定されているその人物が、この封筒の鍵を握っているのは間違いない。

日付と署名の違和感

便箋の文字を拡大して見ると、署名部分のインクだけが微妙に異なる色調をしていた。まるで、後から誰かが追加で書き加えたような。

そして気づいた。名前の部分だけ、かすかに紙が凹んでいる。強く押しつけた跡か、あるいは写し取った痕跡か。

「サトウさん、ルーペを持ってきてくれ」

原本が二つ存在する謎

さらに驚いたのは、同じ日付・同じ内容の遺言が、別の封筒からも見つかったことだった。登記申請書類の束の間に、まったく同じ文面の紙が紛れ込んでいた。

「二つあるって、どういうことですか?」サトウさんは眉一つ動かさずに言った。「コピーではなく、完全に手書きの二通。これはもうクロですね」

手間のかかる模写。つまり、誰かが遺言の一部を書き換えた……?

サトウさんの冷静な分析

私の頼りになる事務員――いや、もはや相棒と言っていい。サトウさんは書類の束を手早く仕分けしながら、ぽつりと言った。

「この瀬戸って名前、登記簿にもありませんね。住所も虚偽の可能性がある」

さすがサトウさん、いつものように冷静沈着だ。まるでコナンくんの横にいる灰原さんのようだ。

封筒の紙質に注目

「この封筒、印刷された差出人欄が少しだけ滲んでいます。最近のものではなく、少なくとも十年前のロットです」

サトウさんが指摘した通り、古い封筒を使うことで“いかにも過去からの遺言”を装っているのだろう。

なぜそんな細工を? 目的は何か? ――それは金だ。遺産だ。登記上は一千万円相当の土地が含まれている。

郵送記録の矛盾

さらに驚いたことに、芦田家のポストにその封筒が“後から投函された形跡”があった。郵便局に記録はない。

つまり、手渡しではなく、誰かが勝手にポストに入れたのだ。それはつまり、「夫の遺志ではない」という証拠になり得る。

登記は真実を写す鏡である。しかし、偽りの光が差せば、鏡も歪む。

亡くなったはずの相続人

私は戸籍謄本を確認した。驚いたことに、瀬戸ハジメという人物は五年前に死亡している。

死亡者が相続人として記載された遺言書。これ以上のおかしさはない。

やれやれ、、、こんな面倒な案件は久しぶりだ。

戸籍に現れた空白

さらに不可解なのは、その死亡記録が戸籍の本籍欄にだけ記載され、市役所の登録データには反映されていなかったことだ。

これは役所のミスではない。誰かが意図的に“見えない死亡者”を作り出したのだ。

亡霊のような相続人――正義の司法書士の出番である。

過去の登記との奇妙な符合

私は過去の登記簿謄本をあたり、そこにあった“瀬戸ハジメ”の名前を見つけた。が、内容が違う。

彼は十年前、この家の隣地を相続している。だが、その土地はすでに第三者に売却済みだった。

つまり、名義だけが独り歩きしていた可能性が高い。

検認の場に現れた男

遺言書の検認の場。そこに現れたのは、背広を着た若い男だった。「私は瀬戸ハジメの息子です」と名乗った。

が、戸籍に息子の記録はない。芦田さんは彼を見て、はっきりと言った。「知らない人です」

場の空気が凍りついた。

証人の不在

遺言書には証人の記載がなかった。公正証書ではないため、検認を通すにはその存在を裏付ける“状況証拠”が必要になる。

だが、見れば見るほど、それは捏造の匂いがした。

私は静かに、だが確信を持って、口を開いた。「この遺言は、無効です」

同一筆跡の真偽

筆跡鑑定を依頼した結果、署名の部分だけが“別人の筆跡”である可能性が極めて高いとされた。

やはり、瀬戸ハジメの名が追加されたのは、後から誰かが仕込んだ罠だった。

書いたのは――検認の場に現れた「息子」を名乗る男。芦田家の元近隣住人だった。

サトウさんの反撃

「今朝届いたFAXに、本人の筆跡が残っています」

サトウさんが淡々と差し出したのは、件の男が送ったFAX。そこにあった住所の文字が、遺言書の署名と一致していた。

観念した男は、黙って頷いた。

FAXから読み解く真実

「今どきFAXなんて使うの、こういう人たちなんですよ」とサトウさんが小声で皮肉った。

私は思わず吹き出しそうになった。確かに、手が込んだわりにはアナログすぎる詰めの甘さだ。

まるで、ルパン三世が変装でミスをした回のようだ。

サザエさん一家に例えるなら

「この件、誰が波平で誰がカツオかっていうとですね……」

「シンドウさん、それ以上しゃべると損しますよ」

サトウさんの塩対応に、私の口は自然と閉じた。

やれやれの逆転劇

事件は終わった。裁判所は遺言の無効を認め、芦田さんは正当な相続を受けた。

「先生、本当にありがとうございました」彼女は深く頭を下げた。

やれやれ、、、たまには、こんな日も悪くない。

書類の山から見つけた一枚

事務所に戻ると、机の上に昨日から探していた登記書類が見つかった。

サトウさんは、「だから言ったでしょ」と言い放った。

……最後の最後まで、私のうっかり癖は治らない。

最後の証拠は昔の登記簿

改めて思う。過去の記録が現在を救うこともある。

司法書士の仕事は、紙と印鑑だけではない。その裏にある人の記憶と真実をつなぐ仕事だ。

今日もまた、誰かの真実を守るために。

エピローグとちょっとした後日談

昼下がりの喫茶店でコーヒーをすすりながら、私はひと息ついていた。

店内のテレビでは、ちょうどサザエさんの再放送が流れている。

「……結局、波平っていつも怒ってるだけですよね」

遺産より大切なもの

人が遺すものは、金や土地だけではない。思い出、信頼、そして真実だ。

遺言とは、人生の最後のメッセージ。それを偽るなど、言語道断。

私は、そんな声なき声を拾う存在でありたい。

コーヒーとため息

「シンドウさん、もう次の依頼者が来てますよ」

サトウさんの声が、今日も冷静に響く。

私はカップを置いて、深いため息をついた。「やれやれ、、、」

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓