朝イチの電話が怖い日もある
開業当初は電話が鳴るのが嬉しかった。「お、依頼かも?」と少し浮き足立っていた頃が懐かしい。今は違う。朝、事務所に入ってコートをかけた瞬間に鳴る電話のコール音。まるで警報のように心がざわつく。体が勝手に緊張して、「また何かトラブルか?」「昨日のあれ、間違ってたか?」と、頭の中でネガティブな妄想が暴れ出す。朝イチの電話が嫌いになったのはいつからだったろう。
コール音にビクッとする自分にうんざり
昔は電話応対なんてスポーツ感覚でこなせていた。「まずは受けて、落ち着いて聞いて、誠実に答えれば大丈夫」なんて理屈も通じていた。けど最近は違う。電話が鳴るたびに、どこか遠くの自分が「出るな」と囁いてくる。受話器に手を伸ばす自分がバカみたいに思える瞬間すらある。情けないけど、本音だ。
「またトラブルかも」と身構える癖
特に午後イチや週明け、妙に丁寧な言い回しで始まる電話ほど嫌な予感が当たる。苦情、修正依頼、まさかの登記ミス――そんな言葉が脳内をぐるぐると回る。「自分を責める癖が強すぎるんじゃない?」と知人に言われたが、責められる前に構えてしまう性分は、もう直らない気がする。
実際、ろくな電話じゃない率の高さ
言ってしまえば半分くらいの電話は、こちらにはどうしようもない内容だったり、相手の勘違いだったりする。それでも対応は丁寧にしなきゃならないし、誤解があれば解く努力も必要だ。毎回心をすり減らして、最後には「ああ、また一歩も前に進んでいない」と独りごちる。電話って、つくづく疲れる。
机の上の書類が語るもの
この仕事は、書類が全てだと言ってもいい。なのに、書類が増えると途端に気持ちは重くなる。朝整理したばかりの机の上に、気づけばまた山積み。目の前に積まれた紙の束は、まるで「ちゃんと終わらせろよ」と無言でプレッシャーをかけてくる。急ぎの案件、期限ギリギリの相続、よく見たら不備のある申請――全部、「俺がやらなきゃ誰がやる」だ。
減らない書類に心が折れる瞬間
一つ処理しても、すぐに次がやってくる。達成感よりも、「また戻ってきたか…」という倦怠感のほうが大きい。特に、同じような内容を何度も確認して提出して、また戻ってくるパターン。疲れが溜まっているときには、「この紙たちはいったい何のために存在しているんだろう」と本気で問いかけてしまう。
丁寧にやっても感謝されない切なさ
当然ながら、丁寧な仕事をしても、それが当たり前とされる世界だ。誰も「ありがとう」とは言ってくれない。言われたところでそれが報われるとも限らない。でも、感謝されることが皆無だと、ふと自分の存在が薄くなっていくような気がする。いっそミスして怒られたほうが、まだ人と関わってる実感がある。
それでもミスは許されないプレッシャー
どれだけ疲れていても、どれだけ頭が回っていなくても、ミスは絶対に許されない。書類一枚の不備が、依頼者の人生を狂わせることすらある。だからこそ怖いし、だからこそ孤独だ。誰かに相談したくても、最後は自分で判断しなきゃいけない。逃げ場なんてどこにもない。
孤独な昼休みのリアル
事務員さんが外出してひとりになる昼休み。気づけばスマホを手に取り、意味もなくSNSを眺める。「あの先生は講演に呼ばれたのか」「あの事務所は法人化したらしい」と、どうでもいい比較が脳裏をよぎる。そんなこと気にしても意味ないと分かっていても、誰かと繋がっていたい気持ちが、ふとした瞬間に顔を出す。
事務員さんが出かけた瞬間に静寂が刺さる
普段は「静かな事務所が一番集中できる」なんて思っていたはずなのに、いざ完全な無音になると、心に隙間風が吹き抜ける。誰とも話さない昼休み。テレビも音楽もない。ポットの湯が沸く音だけが虚しく響く。なんでこんなに寂しいんだろうと、自分でも驚くほどだ。
スマホをいじるフリがいつの間にか日課に
誰かからのLINEが来ていないか、SNSで面白い投稿はないか。期待して見ても何もないときの虚しさ。スマホをいじる「フリ」だけして、通知すら来ない画面を何度も確認している自分。そうまでして孤独を誤魔化そうとしているのかと思うと、ちょっと笑えて、ちょっと情けない。
元野球部の俺がこんなにも話し相手に飢えるとは
野球部時代は、常に誰かと一緒だった。声を出すのが当たり前で、無言の時間なんてほとんどなかった。まさか自分が、一日誰とも口をきかずに終わるような生活を送るとは思わなかった。あの頃の自分が見たら、「何やってんだよ」と言うかもしれない。けど、今はこうして耐えてる。何のためかは、正直まだ分からない。
それでも今日も、書類と電話と
正直、毎日がしんどい。それでもやめない理由がある。誰かの手助けになっていると思える瞬間が、たまに訪れる。登記が無事に終わって、安堵の声を聞いたとき。相続の悩みに耳を傾けて「ありがとう」と言われたとき。ほんの一言で救われることがある。書類と電話と孤独にまみれながら、それでも続ける理由は、きっとそこにある。
この仕事をやめない理由
司法書士という仕事は、目立たないし、評価もされにくい。でも、確かに誰かの役に立っている実感がある。それがすべてとは言わないけど、少なくとも、自分が存在している意味を感じさせてくれる。それだけで、今日一日をもう少し頑張ってみようと思える。
少しでも役に立てたと感じた瞬間
たまに、依頼者から手紙が届くことがある。丁寧な字で「ありがとうございました」と書かれている。それを読むと、涙が出そうになる。「ああ、自分のやっていることは、無駄じゃなかった」と、心の奥がほんのりあたたかくなる。書類と電話と孤独に囲まれていても、誰かの人生に少しでも寄り添えているのなら、それでいいのかもしれない。