朝の書類と電話の嵐
午前9時、机の上にはファイルの山、受話器の横では保留音が虚しく鳴っている。司法書士なんてのは地味な仕事の代表格だが、地味に忙しいという意味ではトップクラスだ。今日も例によって地味に殺されている。
それでも現場に走り回るでもなく、部屋に籠もって登記簿を睨んでるのが我々の戦場だ。おかげで足腰は強くならないが、肩と目の疲労だけはプロ並みだ。
サトウさんの塩対応炸裂
「シンドウさん、午前中だけでこの書類、15件処理しないといけないらしいですよ。大丈夫ですか?」
サトウさんが、相変わらずの塩対応で書類をドサリと置いていく。しかも笑顔ゼロ。ツンデレという言葉があるが、ツンしかない。
「…やれやれ、、、そりゃあ、今週もお祓いしてもらったほうがいいかもな」
冗談のつもりだったが、彼女はまるで聞こえなかったかのようにパソコンへ戻っていった。
依頼人が残した奇妙な言葉
その日、一通の登記相談が舞い込んだ。年配の女性が、亡き父の土地について登記簿の確認を依頼してきた。
「父の名義でずっと放置されている土地があるんです。変な話なんですけど…父が死ぬ前にこう言ったんです。『あの土地には俺がいるから手を出すな』って」
オカルトか?と一瞬思ったが、登記簿を見た俺は、すぐに妙な違和感に気づいた。
不自然な登記簿
その土地の登記簿は、確かに依頼人の父親の名義になっていた。だが、最後の登記がなされたのは40年以上前。
しかも固定資産税の課税記録もなく、役所の資料にも地番が抜けている。
まるで、存在するのに、誰にも触れられない“幽霊地番”のようだった。
所在不明の土地所有者
通常、所有者の死亡後、相続登記をするのが筋だが、家族の誰もその手続きをしていないという。
「本当にここに土地があるんですか?」という依頼人の言葉が、逆に真実味を帯びてきた。
俺は法務局に電話をし、過去の閉鎖登記簿の閲覧を申し込んだ。
筆界未定と曖昧な履歴
閉鎖登記簿を確認すると、地番の隣接地との境界が「筆界未定」となっていた。しかもその記載が手書きで二重線付き。
古い記録を目で追うと、何度か所有権移転の申請が出されては、なぜか申請取り下げになっていた。
「何かがある…」そんな勘だけが、疲れた目を無理やり覚醒させた。
シンドウのうっかりミス
調査結果をまとめて、依頼人に説明しようとしたそのときだった。
「先生、これ、閉鎖簿の方の1ページ抜けてませんか?」
サトウさんが、何気なく差し出した1枚の紙。それは俺がコピーし忘れた重要な部分だった。
書類を一枚飛ばして提出
「あ、ああ…忘れてた…」
見れば、そこには「売買予約」の記載と、謄本上には現れない“手付金の受領”というメモ。
それが意味するのは、非公式の取引。つまり、裏があるということだった。
「やれやれ、、、」とため息
俺は椅子に崩れ落ちるように座った。登記簿の世界に足を踏み入れると、たまにこういう闇にぶつかる。
誰にも知られず、紙の中で消えていく人生。
「やれやれ、、、俺の人生も、紙で終わりそうだな」そんな自虐も、サトウさんには響かなかった。
サトウさんの反撃
その日の午後、サトウさんが何やら自分のパソコンで調べていた。
「この土地、実は筆界を越えて建物が建ってますね。建築確認も出てない」
「…ってことは、不法占拠?」と聞くと、「それより、登記がわざとされてない可能性の方が高いです」と返された。
地番の影に隠れた別人の記録
古い地図と登記記録を照らし合わせると、そこには一人の名前が浮かび上がってきた。依頼人の父ではない、第三者の存在だ。
その人物が途中で失踪し、土地の登記を戻す形で、父親の名義にした。名義は戻ったが、実態は違ったまま。
つまり、父親は「土地を持っている」のではなく「預かっていた」のだ。
法務局とのすれ違い
俺は法務局に再度連絡をとり、所有権移転が認められなかった理由を尋ねた。
「証明書類が一部不備で、補正なく取り下げになっています」
だがそれは、意図的に“証明しない”ことを選んだ痕跡でもあった。
見えてきた影
「土地にいる」と言った父親の言葉は、ある意味真実だった。
亡霊のように登記簿の中に記録され、今もなお地番の中に存在する「彼」がいたのだ。
俺は、依頼人に事の顛末を説明した。
登記簿に記された最後の人物
「もしかすると、お父様はその人の罪をかぶったのかもしれません」
そう伝えると、依頼人は静かに目を閉じ、「父らしいですね」とだけ答えた。
登記簿は沈黙していたが、確かにそこに一つの人生が記されていた。
死亡届の届いていない真実
その土地の真の所有者だった男の戸籍は、死亡の記録がなかった。
存在するのに、生きている証拠がない。逆に、死んでいる証拠もない。
まるで、名探偵コナンの黒幕のように、ずっと謎の中に潜んでいる。
真相と結末
土地は最終的に家庭裁判所の許可を経て、依頼人の相続登記がなされた。
紙の中にしかいなかった“誰か”の人生は、静かに封印された。
そして、俺もまた今日の業務を一つ終えることができた。
土地に縛られた最後の声
法とは不思議なもので、紙に書かれたことがすべてだ。だが、その裏には必ず、誰かの声がある。
その声が、届くか届かないかは、俺たち次第だ。
司法書士は、紙の世界の探偵であり、代弁者でもある。
司法書士としての覚悟
帰り際、俺は事務所の灯りを消しながらつぶやいた。
「登記簿ってのは、墓標みたいなもんだな。誰がどこにいたか、ちゃんと書いてくれる」
サトウさんは返事をせず、無言で片付けを続けていた。その静けさが、少しだけありがたかった。