自分の気持ちを押し殺して笑った日々

自分の気持ちを押し殺して笑った日々

笑顔の裏にあったもの

司法書士という職業は、一見すると落ち着いた信頼感のある仕事に見えるかもしれない。実際、周囲からは「しっかりしてそう」「頼れる先生」なんて言われることもある。だが、現実は思った以上に重い。とくに地方の一人事務所ともなれば、全部が自分の肩にのしかかる。笑顔を浮かべながら対応していても、心の奥ではいつも「しんどいな」と思っている。けれど、弱音を吐く相手もいない。結局、気持ちを押し殺して笑うしかない自分がいる。

頼れる先生と言われることの違和感

「先生、助かりました。本当にありがとうございます。」そう言われると、悪い気はしない。けれど、それが積み重なってくると、だんだんと自分が何者なのかわからなくなる時がある。感謝されるのは嬉しいが、いつの間にか“完璧な存在”として期待されてしまっているようなプレッシャーがある。こっちは人間で、失敗もするし、眠い日もあれば、集中できない時もある。でも、そんな自分は出せない。それが「先生」という立場のしんどさでもある。

言われたい言葉と現実のギャップ

本当は、「今日は疲れてるんですね」とか、「無理しなくていいですよ」みたいな言葉が欲しかったのかもしれない。けれど現実は、「これ急ぎでお願いできますか」「この件、もう対応していただけましたか」そんな依頼ばかりが並ぶ。仕事だから仕方ないとは思う。でも、人間って、気持ちが追いつかない時ってあるんですよね。野球部時代、試合でエラーしても「ドンマイ!」と声をかけ合っていたあの空気が、今はどこにもない。

「感謝してます」と言われても心が乾いていた

あるとき、依頼者から泣きながらお礼を言われたことがあった。こっちは徹夜続きでフラフラの状態。それでも必死で手続きを間に合わせた。その涙に報われたと思いたかったけど、自分の中に広がったのは“虚しさ”だった。「ああ、俺って誰かの人生を助けたんだな」ではなく、「俺はいつ自分のことを助けてもらえるんだろう」だった。それくらい、心が擦り減っていたのだと思う。

自分の本音はどこにいったのか

気づけば、本音で話すことがなくなっていた。誰かに愚痴をこぼすことすら、「弱い」と思われるのが嫌でやめてしまっていた。「先生っていつも落ち着いてますね」と言われるたびに、苦笑いで返すけれど、内心では「そう見せてるだけです」と叫びたかった。だけど、叫べる場所も人もいない。気づけば、毎日“演じて”いた。

相談を受けるだけで、自分は誰にも相談できなかった

誰かの話を聞くのは得意だ。司法書士という立場もあって、相談を受けることに慣れている。でも、じゃあ自分が悩みを抱えたとき、誰に相談できるのか。正直、思い浮かばない。仲のいい同業者もいないわけではないが、踏み込んだ話はできない。弱みを見せたくないという気持ちが邪魔をする。結局、自分の気持ちはどこにも出せず、また誰かの相談を受けている。

無意識に「大丈夫です」と言い続けたツケ

本当は大丈夫じゃなかったのに、「大丈夫です」と繰り返していた。おかげで周囲には「この人は強い」と思われている。そういう誤解が積み重なると、もう後戻りできない。誰かに「つらいです」と言うだけで、全てが崩れてしまいそうで怖い。だから笑ってごまかす。でもその笑顔の下では、どんどん自分が壊れていってる。今思えば、その危うさに誰よりも自分が気づいていなかった。

「笑うしかない」と思っていたあの瞬間

ある日の午後、一本の電話がかかってきた。法務局からの確認だった。些細な書類の不備。すぐに対応できる内容ではあったが、そのときの自分は限界寸前だった。頭の中では、「なんで今日なんだ」と呟いていた。それでも、電話口では「はい、すぐに対応します」と笑って答えていた。あの時の自分、鏡で見たらどんな顔してたんだろう。

予定が崩れた午後の電話一本

午後からは久々にゆっくりできると思っていた。書類も一段落、事務員も早めに帰っていいよと言っていた矢先だった。まるでタイミングを見計らったように鳴った電話。最初は丁寧に対応していたが、受話器を置いた後、目を閉じて大きく息を吐いた。自分の中で「もう限界かもしれない」と思った。けど、そのまま書類を引き出して、作業を始める。そんな自分を、ちょっとだけ哀れに思った。

書類ミスの連絡に頭が真っ白になった

その連絡自体は、仕事としては大したことじゃなかった。でも、心のキャパがもうパンパンだった。ミスの内容を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。「やっちゃったか…」と心の中でつぶやきながらも、外側では「、すぐ修正します」と落ち着いて対応しているふりをしていた。まるで舞台俳優みたいだった。

それでも電話口では笑っていた自分

口調はいつもどおり。相手に不安を与えないように、むしろ少し明るめのトーンで話していた。でもその裏では、心が完全に沈んでいた。電話を切ったあと、無意識に小さく笑った。「なんだ俺、うまくやってるじゃん」って。でもその笑いは、乾いていて、どこにも届かないものだった。誰にも見られていないのに、笑わずにはいられなかった。

事務所にひとり残っていた静けさ

その日の夕方、事務員は定時で帰った。事務所には自分ひとり。外もすっかり暗くなっていた。残った書類を片付けながら、ふと椅子にもたれて天井を見上げた。静かすぎて、心の声だけが響く。「俺、何やってんだろうな」。声には出さなかったけれど、確かにそう思っていた。こんな夜、誰かと他愛もない話でもしたかった。

帰った事務員の背中に「お疲れ様」しか言えなかった

彼女が帰るとき、何か言いたかった。「無理してない?」「いつもありがとう」って。でも、言葉にできなかった。出たのは、いつもどおりの「お疲れ様です」だけ。もしかしたら、それでよかったのかもしれない。でも、自分が誰かからそう言ってもらいたかったのかもしれない。そう思ったら、急に胸が締めつけられた。

コンビニのおにぎりにすら慰められた夜

仕事帰り、コンビニに立ち寄った。なんとなく買ったツナマヨのおにぎり。温めていないのに、やけにあったかく感じた。そのとき思った。「あ、俺、疲れてるんだな」。誰も見てないから、ほんの少しだけ泣いた。涙というよりも、目が潤んだ程度。でもそれだけで、ちょっとだけ楽になった。こんな日々の繰り返し。でも、それでも明日もまた事務所に行くんだ。

自分の気持ちを取り戻すために

最近ようやく気づいた。誰かのために笑うことと、自分を押し殺して笑うことは違うってことに。感情を閉じ込めたままでは、いずれ壊れる。だから少しずつでも、自分の本音に正直になろうと思う。全部さらけ出す必要はない。でも、たまには自分に「今日はつらかったな」って言ってあげる。それだけでも、救われる気がしている。

「誰かのため」はもう少しあとでもいい

仕事柄、人のために動くのが当たり前になっていた。でも、自分がしんどいときは、「誰かのため」は後回しにしてもいいのかもしれない。昔、野球部で怪我をしたとき、監督が「今は休め」って言ってくれたのを思い出した。あの言葉がなければ、無理してもっと悪化してたかもしれない。今の自分も、少しだけでも休ませてやろう。そう思えるようになった。

自分の気持ちに素直になる勇気

素直になるって、簡単なようで難しい。でも、嘘を重ねて笑うより、ちょっと不器用でも本音を大事にしたい。最近、事務員に「先生、最近ちょっと元気そうですね」って言われた。その言葉が、なんだか救いになった。本音で話せる時間が、少しずつ増えてきた気がする。それだけでも、この仕事を続けていてよかったと思えた。

元野球部だった頃の、涙の意味を思い出して

野球部時代、試合に負けて流した涙は、悔しさと情熱の証だった。今の涙は、どちらかというと疲れと孤独の色が濃い。でも、それでも流せるってことは、まだ心が生きてるってことだと思う。勝ち負けじゃない。自分をちゃんと見つめて、自分の気持ちに寄り添うことができるかどうか。そのことを、今、少しずつ学び直している。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。