誰かに頼られることのありがたさ
正直、司法書士という仕事は「ありがとう」と言われることよりも、「まだですか?」や「急ぎなんですけど」が飛び交うことの方が多い。そんな中、「また相談してもいいですか?」という一言をもらったとき、胸の奥にぽっと火が灯った気がした。頼られること自体が報酬になるなんて、昔の自分には想像もできなかった。事務所を一人で切り盛りして、事務員さんにも負担をかけて、それでも前に進まなきゃいけない毎日。その中での、たったひと言がこんなに嬉しいとは。
その一言で今日が報われた気がした
その日は朝から登記の準備でバタバタ。補正通知も来ていたし、電話も鳴りっぱなし。昼飯を食べる暇もなく、ようやく落ち着いたのは夕方5時。そんなとき、あるお客さんからメールが届いた。内容自体は大したことじゃなかったんだけど、最後に「また相談してもいいですか?」と添えられていた。それを見た瞬間、今日一日のしんどさが一気にほぐれたような気がした。「相談される自分でいられてよかった」と、心のどこかで思えた。
忙しいだけの日々に灯る小さな光
毎日書類をつくって、郵便局に走って、法務局に出して、また戻ってきて…。この繰り返しに、正直うんざりしていた。業務そのものが嫌いなわけじゃない。けれど、感情が置き去りになっているような気がしていた。そんなときに、ふとした一言が「心のバッテリー」を少しだけ充電してくれる。大げさかもしれないけど、その一言がなければ、今日も「ただの消耗戦」で終わっていたかもしれない。
「また」の重みが心にしみる
「また」という言葉には信頼がある。初回は勢いや紹介で来ることもあるけれど、「また」と言ってくれるのは、少なくとも一度は満足してもらえた証拠だ。その「また」が、仕事の励みになる。営業もせず、広告も出さず、地味にコツコツやってきたからこそ、この「また」は自分にとっての勲章みたいなもんだ。派手な評価なんていらない。ただ、忘れられずに思い出してもらえる存在でいたい。
実際は余裕なんかないのが本音
相談されたくないと思う日も、正直ある。手一杯で、これ以上詰め込んだら倒れるってわかってても、断れない性分なのが辛いところだ。事務所の電話が鳴ると「誰か助けてくれるかな」と期待しつつも、結局は自分で受けてしまう。そして残業、そして寝不足。そりゃ、余裕なんてない。でも、仕事の手を止めたとき、ふと「こんな自分でも頼られているんだな」と思える。それだけで、まだ踏ん張れる。
相談されると嬉しいけど、時間がない
「相談されること=信頼されていること」だとわかっていても、現実問題、時間との戦いになる。登記は期日があるし、相続の案件は感情の配慮も必要。たとえば、午前中に新規の相談が2件入った日なんかは、午後の予定が総崩れになることもある。でも、「断ったら次はないかもしれない」という不安もあって、つい受けてしまう。その繰り返し。ありがたいけど、しんどい。この矛盾を誰かに理解してほしい。
心と体がバラバラに動いてる感じ
頭では「ちゃんと対応しよう」と思っていても、体は疲れていてミスが増える。実際、書類の添付漏れで補正通知が来たときは、自分を殴りたくなった。心はまだ戦ってるのに、体がもうついてこない。年齢的にも回復力は落ちてるのを実感する。昔の自分なら、夜中までぶっ通しで仕事できたのにな…と、しみじみ思う。無理がきかなくなったのが、一番悔しい。
昼ごはんもコンビニおにぎりで済ませる日々
ちゃんとした食事なんて、いつぶりだろう。昼休憩なんて幻想みたいなもんで、空き時間ができたらすぐ電話対応かメール返信。だから、昼ごはんは大体コンビニのおにぎり。座って食べられるだけマシ、と思う日もある。栄養とか、もう気にしてない。体調崩してからじゃ遅いとわかってても、目の前の業務が優先になる。それがフリーの宿命なんだろうか。
なぜか女性からは相談されない
男女問わず対応しているはずなのに、なぜか女性からのリピートが少ない。話し方が堅いのか、見た目が威圧的なのか…。元野球部で声がでかいせいかもしれない。相談が終わった後、ちょっと距離を感じる瞬間がある。傷つくというより、理由がわからなくて悩む。「また相談していいですか?」と言われるのは、なぜか男性ばかり。こりゃもう、性格の問題か、もしくは顔か…。
司法書士という職業の地味さ
華やかさがない職業だと自覚している。テレビドラマにもならないし、専門性のわりに認知度も低い。開業しても「行政書士と何が違うの?」なんて聞かれる始末だ。そんな業界だから、第一印象で「相談しづらそう」と思われたら、もう次はない。見た目とか話し方で損してる気がして、最近は服装も地味に気を使ってる。誰にも気づかれないけど。
元野球部だけどモテ期はなかった
「野球部だったんですね、モテたでしょ?」って聞かれることがたまにあるけど、それは幻想だ。坊主頭で泥まみれ、汗くさくて敬遠されてばかりだった。社会人になってもその印象は抜けないのか、なぜか女性から一線置かれることが多い。優しいとはよく言われるけど、「恋愛対象ではない」ってやつだ。せめて仕事くらいはちゃんと信頼されたいと思ってやっている。
事務員さんの存在が唯一の救い
ひとりでやってた頃もあるけど、今は事務員さんがいてくれるおかげで、だいぶ助かっている。とはいえ彼女もフルタイムではなく、限界はある。それでも、ちょっとした雑談や、ふとした気遣いが、自分の精神をなんとか保ってくれている。「今日も大変ですね」と言われるだけで、なんだか気が緩む。不思議なもんだ、人の存在って。
ちょっとした雑談が心の支えになる
「このお菓子、駅で売ってたんですよ」とか「今日の天気変でしたね」みたいな話が、どれだけありがたいか。他愛もない会話に救われる日がある。黙々とPCに向かってばかりの時間に、ふっと現実に引き戻してくれる。雑談は生産性ゼロかもしれないけど、メンタルのバランスには不可欠な栄養だとつくづく思う。
感謝してるけど、たぶん伝わってない
口に出すのが苦手なタイプだから、ちゃんと感謝を伝えられていないと思う。忙しさにかまけて、ついぞんざいな態度をとってしまう日もある。でも、本当は心の底から感謝している。誰か一人でも支えてくれる人がいるということが、どれだけ心強いか。感謝は「また相談される自分」で返すしかないのかもしれない。