印鑑証明がないと言われた時のあの無力感に名前をつけたい

印鑑証明がないと言われた時のあの無力感に名前をつけたい

印鑑証明がないと言われた瞬間に全ての段取りが崩れる

「あ、印鑑証明、今日持ってきてないんですけど…」その一言で、朝から立てていた段取りが全て吹き飛ぶ。たとえば、ピッチャーがいない野球の試合のようなもの。グローブもバットも揃ってる。でも肝心のボールがない。そんな絶望感がある。書類は完璧にそろえた。時間も押さえた。関係者も呼んだ。それなのに、依頼人が「ない」と言えば終わりだ。こっちはその日の午後に予定を詰め込んでいて、予定変更が地獄なのを知ってるからこそ、余計に腹立たしさと無力感に襲われる。

午前中に終わるはずだった案件が午後を飲み込む

もともとその案件は、午前中で終わらせて、午後から別件の準備に取りかかるつもりだった。事務員も段取りよく準備してくれていた。でも「印鑑証明がない」と言われた瞬間、その計画は瓦解する。午後の予定に余裕があればまだマシだが、そんな日はたいてい他の案件もパンパンに入っている。結果的に、すべての案件に影響が出る。しかも、午前に空いた時間を他のことに使えるわけでもない。何かを待ってる中途半端な時間だけが残る。

準備してきた書類たちが虚しく見える

丁寧に綴じた契約書、事前にPDFで送った案内文、役所に出す予定の申請書――それらが机の上で無意味な存在になる瞬間がある。まるで試合に勝つために一生懸命練習してきたのに、当日対戦相手が来なかった時のような脱力感だ。事務所には印刷音が虚しく響き、ホチキスの音すら寂しく感じる。あれだけ「ぬかりなく」と思って動いた自分を責めたくなる。

事務員のため息に罪悪感を覚える自分

何も悪くないのに、事務員が「せっかく準備したのにですね…」と呟いた一言に、胸がチクリと痛む。彼女は愚痴でも文句でもなく、ただ状況を述べただけなのに、その現実が痛い。僕がもう少し確認していれば防げたかもしれないという後悔もよぎる。結果的に、事務員の時間も僕の時間も、依頼人の軽い「忘れました」で吹き飛ばされた。

「じゃあ後日にしましょうか」が言えない理由

こういう時、簡単に「じゃあ後日にしましょう」と言えば済むと思うだろう。でも現実はそう甘くない。こちらとしては、今日この時間にやるために他の予定を調整してるし、スケジュールを変更することは、他の依頼人にも迷惑がかかる。そして何より、再設定された「後日」が本当に来る保証もない。口約束ほど不確かなものはないのに、それに期待するしかない無力さがある。

スケジュール再調整の地獄

ひとつの予定が崩れると、連鎖的に他の予定もずれる。その度に役所や取引先に連絡し、日程の再調整をお願いする羽目になる。こういう事務作業こそ地味に時間を食う。しかも、その原因が「印鑑証明を忘れた」という極めて単純な理由であることが余計に虚しい。なんで自分がこんなに走り回ってるんだ、と自問する気力すら湧かない。

顧客との関係が微妙にズレる瞬間

一度ズレた信頼関係は、ほんの少しのすれ違いでも大きくなる。「またお願いします」と言われても、本心ではどう思ってるかわからない。こちらとしては、次回ちゃんと来てくれるのか、別の専門家に相談してしまうんじゃないか、そんな不安がちらつく。顧客の「気軽さ」が時にこちらの「信用不安」に直結する。

言い訳としての印鑑証明の破壊力

「印鑑証明がない」という一言は、ある意味では最強の言い訳だ。なぜなら、誰もそれを無理やり持ってこさせることはできないし、ないならないで手続きそのものがストップする。強制力のない絶対停止スイッチ。それを悪気もなく押してくる依頼人に対して、こちらはただ無力さを噛み締めるしかない。

想定外を装えばなんとかなると思ってる依頼人

たまに「えっ、今日要るんでしたっけ?」と驚いたように言う依頼人がいるが、事前に説明していたにも関わらず、忘れたことを隠すための演技にも見える。そういう態度を見ると、正直やる気が削がれる。「いや、案内文にも説明しましたよね」と指摘しても、「あー見てなかったかもです」で終わる。こういう時、誠実に対応してきた自分が馬鹿らしくなる。

本当に忘れたのか 本当はやる気がないのか

「忘れた」という言葉の裏に、さまざまな感情や事情が隠れていることもある。本当に忙しかったのか、ただ面倒くさかったのか、それとも最初から乗り気ではなかったのか。僕たち司法書士は、相手の嘘を暴くことが目的ではないが、こうも繰り返されると勘繰りたくなる。信頼関係とは、一方的な献身だけでは成立しない。

こちらは忘れられた側という立場

依頼人にとっては「たまたま忘れた」だけでも、こちらにとっては「自分が後回しにされた」という感覚になる。わざとじゃないのは分かってる。でも、そう感じてしまう。つまり、自分が大事にされなかった、という感情が残る。これが厄介だ。感情的になってはいけないと思えば思うほど、飲み込んだ言葉が胸に引っかかって苦しくなる。

自分の感情のやり場がないという問題

怒ることもできない。愚痴る相手もいない。だからこそ、心の中で感情がぐるぐると渦を巻く。依頼人には「次回は必ずお願いしますね」と笑顔で言いながら、内心では「なんで俺ばっかり」と嘆いている。感情をどこにぶつけていいのか分からないまま、その日が終わっていく。

怒れない でも黙っていられない

「怒っても仕方ない」「そんなことで機嫌悪くするな」そんな言葉が頭の中に浮かぶ。でも、だからといって黙って受け入れるのもしんどい。本当は誰かに「それはひどいよね」と言ってもらいたい。でもこの業界では、感情を表に出すことは“未熟”とされがちだ。だから黙る。でもそれが自分をどんどん擦り減らしていく。

感情のやり場がFAXに向かう瞬間

誰にも言えない怒りや苛立ちが、なぜかFAXの文字チェックや、ホチキス留めに向かう。「完璧にやってやるからな」という気持ちが、事務作業に出る。でも終わってみると、虚しさが勝つ。やればやるほど、感情が置いてけぼりになる感覚。FAXは静かに紙を吐き出し続ける。

机に置いたままの印鑑証明のコピーに目を落とす

ふと、別件のために用意してあった印鑑証明のコピーが、机の隅に置かれているのに気づく。その白黒の紙が、自分の空回りを象徴しているようで、思わずため息が出る。結局、必要なのは紙一枚なのに、それがないだけで一日が狂う。それが、この仕事の現実なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。