登記ミスで呼び出された日をまだ引きずっている

登記ミスで呼び出された日をまだ引きずっている

登記ミスで呼び出されたあの日の朝に感じたこと

その朝は、他の朝と何も変わらないはずだった。事務所でコーヒーを飲みながら書類に目を通していると、一本の電話が鳴った。依頼人からの「ちょっとおかしいんですけど…」という言葉に、胸がギュッと締めつけられるような感覚に襲われた。数秒後には「至急、来ていただけませんか」と言われ、私は急いでスーツを着直し、車に飛び乗った。心臓の音が、信号待ちの静けさに混じって聞こえる気がした。

一本の電話から始まった長い一日

あの電話がきっかけで、長くて苦い一日が始まった。現地に着いて書類を確認すると、確かに登記に誤りがあった。間違いは「乙区に記載すべき内容が甲区に入っていた」というもので、いわば単純ミス。でも、相手にとっては「ミスはミス」だ。しかも司法書士がやったということに、信頼の揺らぎがある。冷や汗をかきながら説明し、平謝りを続ける時間が、本当に長かった。相手が怒鳴らなかったことが、唯一の救いだった。

「すぐ来てほしい」と言われて頭が真っ白

「すぐ来てください」という言葉は、あまりに突然で、頭が真っ白になった。前日に書類をチェックして、完璧だと思っていた。だが「思っていた」では済まされない。書類の束の中に一つだけ混じったミスが、全体の信頼を揺るがす。それがこの仕事の怖いところだ。特に、依頼者が不動産会社などのプロだった場合、こちらの失点は一発アウト。元野球部の感覚でいえば、フォアボールどころか危険球退場だ。

たった一文字が招いた修羅場

実際のミスは、本当に小さなものだった。数字の桁が一つずれていた。本人確認情報の記載の中の住所表記が「丁目」と「番地」で逆だった。その一文字が、大きな波紋を呼んだ。司法書士という仕事は、見落としを許されない世界。普段からチェックリストも作ってるし、事務員にも確認してもらってるのに、それでも抜け落ちることがある。だから「自分のせいだ」と思いながらも、どこかで「なぜ気づけなかったんだ」と頭を抱える。

帰り道がいつもより遠く感じた理由

手続きを一通り謝罪と訂正で終えたあと、車に乗って事務所に戻る道すがら、妙に道が長く感じた。ナビも見慣れた景色も、いつもより無機質に見えた。気づけば車内は無音で、ラジオさえつけていなかった。ああ、自分は今、完全に落ち込んでるなと、ようやく自覚した。誰にも話せない。話したくない。でも誰かに話さなきゃやってられない。そんな気持ちがぐるぐると頭の中を回っていた。

誰にも話せない情けなさ

事務所に戻ってからも、私は誰にもこの件を話せなかった。事務員にさえ、詳しいことを言えなかった。「ちょっと訂正があってさ」とだけ言って、いつものように書類の山に戻った。自分のせいだとわかっていても、弱みを見せたくなかったのだろう。いや、本音を言えば「ダサい自分を見せたくなかった」だけかもしれない。昔からそうだ。野球部の頃も、エラーしても笑ってごまかしていた。でも本当は、泣きたいぐらい悔しかった。

事務所に戻っても落ち着かない

いつものデスク、いつもの書類、いつもの流れ。それなのに、どこか空気が違う。座っていても、腰が落ち着かない。机の端に置いてあった未処理の登記簿謄本が、やけにこっちを見ているような気がした。「次は間違えるなよ」とでも言っているような…。被害妄想だとわかってるけど、気にせずにはいられなかった。その日は結局、夜遅くまで集中できなかった。タスクは進まない。気分は沈む。最低の一日だった。

なぜミスは起きたのかを考え続けてしまう

翌朝になっても、ミスの原因が頭から離れなかった。「なぜ見落としたんだろう」「いつから自分のチェックが甘くなったのか」。そんな問いがぐるぐると回る。年齢のせいか、注意力が昔よりも鈍っている気もする。けれど、年齢のせいにしてしまえば、全部が終わりだ。仕事を続ける限り、誰にもミスは許されない。だから、自分なりの答えを探し続けるしかない。そんな気持ちが、ずっと胸の奥に残っている。

確認したはずの書類に潜んでいた罠

一度は確認した。事務員ともチェックした。それでも見逃した。その理由は、たぶん「見慣れているから」だ。同じような書式、同じような住所表記、同じような権利関係。人間は慣れると注意が散漫になる。「これは大丈夫」と無意識に思ってしまったその瞬間に、ミスは忍び込む。これはもう、習慣の罠としか言いようがない。そしてそれは、経験を積めば積むほど、逆に危うくなるのかもしれない。

自分の目を疑いたくなる瞬間

その場で指摘されたとき、私は何度も目をこすった。書類をまじまじと見つめ、「いや、そんなはずはない」と思い込もうとした。けれど、現実は冷酷だった。確かに間違っていた。間違ったのは、この自分の目だった。信じていた自分のチェック能力に、裏切られたような感覚。それが一番、堪えた。自信が崩れるというのは、こういうことかと、身をもって知った気がした。

人に頼ったはずのチェックの甘さ

「ダブルチェックしたから安心」と思っていた。でも、そのダブルチェック自体が甘かった。事務員には任せていたが、その日も忙しそうだった。なのに私は「見たよね?」と確認だけで済ませてしまった。任せた以上、最終確認は私の責任なのに。それを「人の目も通した」という言い訳で自分をごまかしていた。その甘さが、今回の結果につながったのだと思う。

事務員への責任転嫁をしないようにしているが

内心、「あのときちゃんと確認してくれていれば…」と思ったことは否定できない。でも、責任を転嫁しても気が晴れるわけじゃない。何より、それを口にした瞬間から、私はただの上司になる。それだけは避けたかった。だから黙っていた。でも、その黙ること自体が、しんどかった。誰にもぶつけられない感情は、自分の中で膨らむだけだ。

それでも心のどこかで誰かのせいにしたい

私はいい人を演じていたのかもしれない。「全部自分が悪いんだよ」と言いながら、心のどこかでは事務員や依頼人、果ては天気や運命のせいにしたい気持ちがあった。人間なんてそんなもんだ。反省するふりをして、逃げ道を探してしまう。それを認めるのは情けないけど、認めないと前に進めないとも思った。

「チーム」と言いながら孤独な現実

事務所は私と事務員の二人だけ。「チームでやってる」と思いたい。でも結局、責任を取るのは自分一人。何かあれば私が謝る。私が処理する。そう考えると、「孤独だな」と思う瞬間がある。誰にも相談できず、一人で判断し、一人で動く。それが司法書士という職業の宿命かもしれない。

この仕事にミスは許されないとわかっているけど

司法書士という仕事は、ミスが許されない職業だ。それは資格を取ったときから、ずっとわかっていた。けれど、完璧でい続けることは人間には無理だということも、年を重ねて知った。大事なのは、ミスのあとにどう立ち直るか。だから、こうして文章にして整理しているのかもしれない。引きずっている自分を、少しでも前に進めるために。

司法書士の完璧主義が自分を苦しめる

小さな失敗も許されない。そう思って生きているから、ちょっとしたミスで自分を責めすぎてしまう。完璧を求めるあまり、他人にも厳しくなってしまう。そんな自分が嫌で、また自己嫌悪に陥る。この負のループから抜け出すには、「失敗してもいい」と思える強さが必要なんだろう。でも、それがなかなかできないのが、この業界の辛さでもある。

野球部時代のミスは笑い話で済んだのに

高校時代、野球部でサードを守っていた。エラーをしても「ドンマイ!」と仲間が声をかけてくれた。ミスはミスとして受け止めつつも、次に向かって切り替えていた。でも今は違う。声をかけてくれる仲間もいない。自分で自分を慰めるしかない。それが、社会に出てからの孤独なんだと思う。

今は誰も笑ってくれない

昔は、失敗も笑い話になった。だが今は違う。登記のミス一つで信頼が揺らぐ。笑いごとでは済まされない。だからこそ、失敗するたびに心が削られる。そしてその痛みを、誰にも見せずに抱え込んでしまう。今日もまた、そんな日だった。

それでも前を向かなきゃいけない

愚痴を言っても、悩んでも、仕事は続いていく。次の登記、次の依頼、次の確認。過去にこだわっている暇はない。だから、こうして気持ちを整理して、前を向こうとしている。完全に吹っ切ることはできないけれど、一歩ずつでも進んでいくしかない。

後悔と向き合うしかない日々

後悔は消えない。消そうとすればするほど、心に染みついていく。でも、逃げずに向き合うことで、少しだけ和らぐ気がする。あの日の自分を否定せず、「仕方なかった」と許すこと。その積み重ねが、次の一歩につながるのかもしれない。

次は同じミスをしないためにできること

同じ過ちは繰り返さない。それが一番のリベンジだと思っている。チェックリストを見直し、他人任せにしない体制を作り、気になったことは即座に確認する。そんな小さな努力の積み重ねが、未来の自分を救うと信じたい。そしてまた、信頼を築き直していきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。