独身の理由を聞かれて登記簿と答える日々
「どうして結婚しないの?」と聞かれるたびに、少し笑って「登記簿が忙しくて」と答えるのが自分の中での定番になっている。冗談まじりに言っているつもりだが、心のどこかで本気でそう思っている節がある。地方で司法書士事務所を営んでいると、日々やることが山積みだ。特にひとりで多くをこなさねばならない状況では、恋愛や結婚の優先度はどんどん下がっていく。ふと気づけば、独身歴=司法書士歴になりかけている。
気づけば結婚適齢期はとうに過ぎていた
昔は30歳くらいまでには結婚しているものだと思っていた。高校時代、野球部の仲間と「30過ぎて独身だったら合コンでも開こうぜ」なんて話して笑っていた。でも実際にその年齢を過ぎると、仕事はピークで忙しくなり、誰かを誘う気力も残らなくなる。気づけば連絡先に残っていた女性の名前は、年賀状名簿と一緒に更新が止まっていた。人付き合いはおろか、自分の時間すら確保できない今、誰かと向き合う余裕なんてどこにもない。
「まだ独身なの」と聞かれたときのテンプレ回答
親戚の集まりや、たまにある同窓会で、「まだ独身なの?」と聞かれることがある。悪気はないのだろうが、聞かれるたびに胸の奥がチクリと痛む。「仕事が忙しくてね」と答えながら笑っているけど、本音は「一人で全部抱える生活を続けていたら、誰かと一緒に生きることが想像できなくなった」が正しい気がする。でもそんなことを言えば、きっと場の空気は凍りつく。だから今日もまた、登記簿のせいにしてやり過ごす。
書類と向き合う時間のほうが長い現実
結婚するなら、まずは時間を共有することが必要だ。でもこの仕事をしていると、向き合う時間の大半はパソコンと書類、そして登記簿。誰かとゆっくり話す時間なんて、月に何度あるだろうか。休日に会う約束をしていても、急な案件でキャンセルすることもしばしば。そんな生活を何年も続けていれば、相手に申し訳なくて、最初から関係を築こうと思わなくなってくる。気がつけば、恋愛の優先順位は書類より下に沈んでしまっていた。
登記簿の山が恋愛を遠ざけていく
朝から晩まで、手続きに追われる日々。登記簿という山は減ることなく、終わりも見えない。それはまるで、片思いのようなものだ。こちらがどれだけ真剣に向き合っても、報われるとは限らない。それでも放っておけないのがこの仕事。だが、その仕事にのめり込むうちに、恋愛という選択肢はいつの間にか薄れていく。気がついたら、登記簿と向き合う時間が一日の大半を占めていた。
終わらない案件 終わらない夜
夜9時を過ぎても、事務所の明かりは消せない。事務員も帰り、一人パソコンの前で黙々と作業をしていると、ふと「なんのためにここまで頑張ってるんだろう」と考えてしまう。誰かの幸せのために登記をしているはずなのに、自分の幸せはずっと棚上げされたままだ。夜が更けるにつれて、そんな疑問が静かに心にのしかかってくる。なのに、翌朝にはまた新しい案件が届き、それに応えるために椅子に座る。
土日が潰れるたびに距離ができる人間関係
予定していた友人との飲み会を断る。親からの電話にも「ちょっと忙しくて」と言って後回し。恋人候補だった人からのLINEも、未読のまま数日が過ぎていた。土日が潰れるたびに、ほんの少しずつ人との距離ができていく。これは気づかぬうちに積み重なる「関係性の損失」だ。最初は「仕方ない」で済んでも、何度も繰り返すうちに、相手は静かに去っていく。そして残るのは、また新しい登記簿と、自分だけのデスク。
予定をドタキャンしても文句を言わないのは登記簿だけ
人との約束をキャンセルするとき、必ずと言っていいほど罪悪感が伴う。でも登記簿は違う。急に予定を変更しても、黙ってそこにある。文句ひとつ言わずに待っている。自分勝手なようだが、それにどこか安心してしまっているのも事実。文句を言わない相手のほうが、今の自分には付き合いやすい。そんな自分に気づくたびに、ちょっと情けない気もする。でも、それが今の等身大の自分だ。
元野球部の根性論が今は空回り
高校時代、野球部で培った「とにかく頑張る」精神は、今でも染みついている。でもこの司法書士という仕事においては、根性だけでどうにかなる問題じゃないことも多い。頑張っても終わらない業務、努力しても認められない場面、誰も助けてくれない孤独。昔なら「気合いで乗り切る」と言えたけど、今はその言葉すら空虚に響く。根性だけでは、結婚も仕事もうまくいかない。
努力は報われると信じていたけれど
司法書士になった頃は、「真面目にやっていればいつか報われる」と信じていた。きちんと手続きをこなして、顧客に喜ばれれば、自信にもつながると。でも現実はそう甘くない。競合も増え、価格競争も激しく、評価はすぐに忘れられる。どれだけ丁寧に対応しても、誰も気づかないこともある。報われるための努力が、いつの間にか習慣になり、そして義務になり、今はもう惰性に近いかもしれない。
人に頼れず全部抱え込む悪い癖
自分一人でなんでもやろうとする癖は、野球部時代のキャプテン気質からきているのかもしれない。チームプレーの中でも、結局最後は自分で何とかしようとしていた。でも、司法書士の仕事は一人でこなせる限界を超えることが多い。事務員を一人雇っているが、それでも全体の責任は自分にのしかかる。もっと人に頼ればいいと頭では分かっていても、それがなかなかできない。結果、どんどん疲れていく。
雇っている事務員の存在だけが救い
事務所には一人だけ、長年一緒にやってくれている事務員がいる。彼女の存在は、自分にとって本当に大きい。些細なことでも「今日も頑張りましたね」と声をかけてくれるだけで、どれだけ救われているか分からない。お互い多くを語らないが、なんとなく通じ合うものがある。恋愛や結婚とは違うが、人とのつながりの温かさを感じる数少ない瞬間だ。
忙しさを分かち合えるありがたさ
年末の繁忙期など、ふたりで黙々と書類をさばいている時間に、不思議な一体感が生まれることがある。ときには「もうやめたいですね」と笑いながらグチを言い合い、少しだけ気持ちが軽くなる。結婚ではないけれど、こういう人間関係も一つの支えなのだと思う。誰かと何かを一緒にこなすだけで、孤独感は少し薄れる。
でもこの仕事を紹介したくなるかと言えば
「司法書士ってどうですか?」と聞かれることがある。迷わず「大変ですよ」と答える。もちろんやりがいもあるし、感謝されることもあるけど、それ以上に責任とプレッシャーが重たい。それを理解した上で目指す人には応援したいけれど、「自由な働き方ができるから」とか「資格があると強いから」という理由で選ぶなら、少し立ち止まって考えてみてほしいと思ってしまう。
誰かと生きたい気持ちはあるのに
正直に言えば、誰かと一緒に生きたいという気持ちはある。寂しさを感じる夜もあるし、家庭を持った友人たちを見て羨ましいと思うこともある。でも今の生活を変えずに、その気持ちを実現するのは難しい。そう思いながら、また今日も登記簿と向き合ってしまう。もしかしたら、自分が本当に向き合うべきものは、書類ではなく、心の中の不安や迷いなのかもしれない。
でも今は登記簿の方がずっと身近
現実的に、今の自分にとって一番身近な存在は、登記簿だ。朝も夜も、雨の日も休日も、いつもそこにある。それが良いか悪いかは別として、今の生活はそれで成り立っている。だから結婚してない理由を聞かれたら、やっぱりこう答える。「登記簿に振られ続けてるんですよ」と。