毎日気を張って生きている司法書士という生き物
司法書士って、誰かに頼られる職業ではあるけれど、同時に誰にも弱音を吐けない立場でもあるんですよね。日々、締切、期限、ミスの許されない仕事に囲まれて、常に気を張って生きている。朝起きた瞬間から、もう頭の中ではスケジュールの確認、依頼人の顔、書類のチェック。まるで自分が壊れてしまわないように、無理やり背筋を伸ばしているような毎日です。
依頼人の期待に応えなければというプレッシャー
「先生に任せてよかった」と言われると嬉しい。でもその言葉がプレッシャーになることも正直あるんです。「失敗できない」「ミスしたらこの人の人生が狂うかもしれない」。そんな重みを背負いながら、目の前の仕事をただ淡々とこなすふりをしている。元野球部だった頃の「ここで打てなきゃ負ける」みたいな場面の連続です。でも違うのは、応援してくれるチームメイトがいないこと。
書類一枚の重さが心にのしかかる
「この書類、内容間違ってないよな……?」そう思いながらも、何度も見直す。でも人間ですから、完璧なんてありえないんですよ。ちょっとした数字のミスが取り返しのつかないトラブルにつながることもある。たった一枚の登記申請書類でも、その裏にある人の想いを背負っている。それを考えると、提出前に手が震えることもあります。本当に、重たい仕事です。
ちょっとのミスで信頼を失う恐怖
一度ミスをすれば、「先生ってこんなもんか」と思われてしまう。たとえそれまで何十件と完璧に処理していても、たった一件のトラブルで信用はゼロに戻る。しかもその噂は田舎ではすぐ広まる。飲食店での「あの先生、大丈夫なの?」なんて声が聞こえてくることもありました。あれはもう、心がグサッと刺されます。仕事以上に、人としての信用を試されているようで、本当に怖いです。
誰にも見せられない涙がある
「泣く暇があったら寝ろ」「男なんだから強くいろ」。そんな言葉を聞いて育ってきたけど、現実は違います。こっそり涙を流す夜があってもいいと思うんです。泣きたくなるような案件、報われない努力、ひとり事務所の閉じたドアの向こうでは、誰にも見せない感情が渦巻いている。僕だって、人間ですから。
ひとり事務所のトイレで泣いた夜
ある日、長く関わっていた案件が裁判所で棄却されたとき、帰ってきてトイレに閉じこもって泣きました。声を殺して、でも涙は止まらなくて。誰にも見られていないのに、なんだか恥ずかしくて。でも、それだけ頑張ってたんだと思います。泣いたあと、少しだけ肩の力が抜けた気がして、「まだやれるかな」って思えた。泣くことって、意外と立ち直るきっかけになるのかもしれません。
失敗した案件の夢を見て飛び起きた朝
人間の記憶って都合が悪いほうが鮮明に残るんですね。夜中、クライアントに怒鳴られている夢で飛び起きて、汗だくで枕を抱えていました。実際にはそこまで怒鳴られたことはないのに、自分の中では「いつかそうなるかも」という恐怖がずっとある。寝てる間すら気を抜けない自分が哀しくて、でもまた朝が来る。逃げ場がないのが、この仕事のつらさです。
事務員さんには気を遣うけど愚痴は出る
うちの事務員さんは本当に頑張ってくれている。でも、自分がイライラしてるときには、その優しさすら申し訳なくなる。なるべく笑顔で接しているつもりだけど、心の中は荒れていたりする。「また怒鳴りたくなるくらい疲れてるな」と気づいたとき、自分の未熟さに情けなくなることも多いです。
優しくしたいけど忙しさでピリつく
たとえば急ぎの書類をミスされたとき、本当は「大丈夫、次気をつければいいよ」って言いたい。でも頭の中では、「このミスで1時間ロスしたらどうするんだ」ってグルグルして、つい口調が強くなってしまう。あとで後悔して、お菓子を差し入れしても、なんだか罪滅ぼしみたいでカッコ悪い。もっと人間として器が大きくなりたいです。
感謝はあるけど言葉にする余裕がない
事務員さんがいてくれるから、僕はなんとか持ちこたえてる。でも、その感謝を言葉にして伝える余裕がないんです。「ありがとう」って一言で済むのに、気づけば数日、いや数週間も無言で働いてたりする。それが普通になってるのが逆に怖い。もっと気持ちを伝える時間を作れるように、自分の心にも余白が欲しいなと思います。
独身司法書士の孤独な日常
この歳で独身、しかも田舎でひとり事務所。聞こえは自由だけど、現実は「孤独」の二文字が心に染みついてます。日常に話し相手がいない。帰っても電気が点いてない部屋。たまに「このまま歳を取っていくのか」と思うと、無性にさみしくなる夜があります。
夜のコンビニで買う弁当が友達
忙しい日が続くと、夕飯はいつもコンビニの冷たい弁当。誰かと食べるわけでもなく、テレビもつけず、無言でもそもそ食べて終わり。そんなとき、「何やってるんだろう、俺」って思います。でも、それを変える余裕もない。家に帰る途中、誰かと話したいけど、誰にも電話できない。そういう日が、年々増えてる気がします。
SNSを開くとリア充の報告が突き刺さる
SNSを見ると、友人たちは家族との写真、子どもの成長、パートナーとの旅行。そういう投稿を見るたび、「自分は何をしてるんだろう」と思わされる。でも見なきゃいいのに、見てしまう。自分だけが止まっているような、取り残されたような気持ちになる。笑ってるフリをしながら、内心はずっとうつむいてる。そんな夜も、あるんです。
それでも続けている理由
辞めたいって思うこと、何度もあります。でも、それでもこの仕事を続けてるのは、ほんの一瞬でも「ありがとう」が心に響くから。誰かの不安を解消できた瞬間、頑張ってよかったと思える。それがある限り、きっと僕は明日も、書類に向かってペンを走らせてるんだと思います。
たまに届くありがとうの言葉
郵便で届いた小さな手紙。「本当に助かりました。先生にお願いしてよかったです」。たったそれだけの言葉に、涙が出るほど救われた夜がありました。自分のやってきたことは、間違ってなかったんだって。その一言が、どれだけの疲れを吹き飛ばしてくれるか、言葉にならないくらいです。人って、優しさで生き延びられるんだと思いました。
誰かの助けになれた瞬間に救われる
登記が無事に終わって、「これで母の遺産整理ができました」と泣きながらお礼を言ってくれた依頼者の顔は、今でも忘れられません。そのとき、救われたのは僕の方だったのかもしれません。この仕事は孤独だけど、たまに交わすその瞬間だけは、人と人とがちゃんと繋がっている気がするんです。それがある限り、もう少しだけ頑張ろうって思えるんです。