味方がいない気がして全部しんどい日

味方がいない気がして全部しんどい日

誰かと戦っているわけじゃないのに疲れる理由

毎日がまるで戦場のようだ、と感じることがある。でも別に誰かと争ってるわけでもないし、怒鳴り合ってるわけでもない。ただ淡々と仕事をこなしているだけのはずなのに、終わる頃にはどっと疲れている。「一人で全部抱え込んでる」っていう感覚が、体力よりも精神を削ってくる。電話、メール、書類、ミス、謝罪、訂正。誰かに頼りたいけど、頼れない。それが日常になってる。

敵なんていないのに心はずっと構えている

別に敵視してくる人なんていない。役所も依頼者もそれなりに丁寧な人たちだ。でも、なんだか常に「次はどんなトラブルが来るか」と構えてしまっている自分がいる。これって、まるでキャッチャーの癖が抜けないみたいなもんで、元野球部の自分からすると自然な姿勢なのかもしれない。でも、仕事中にずっとミット構えてちゃ、そりゃ肩もこる。

依頼者も役所も誰も悪くないのに

よく考えると、周囲の人は特別ひどいわけじゃない。役所の職員さんだって忙しい中対応してくれてるし、依頼者もみんな一生懸命だ。ただ、ちょっとした言葉の端々に「もっとしっかりしてくださいね」という無言の圧を感じてしまう。自分の受け取り方が悪いんだと思いたい。でも、毎日続くとそれが蓄積していく。

全部自分でなんとかしようとする癖

気づけば、「これくらい自分でやらなきゃ」と思って何でも背負ってしまう癖がついていた。事務員さんには負担をかけたくないし、任せた後のミスのリカバリを考えると自分でやった方が早い。そんな思考が根にある。でも、その考え方が「一人で戦ってる感覚」をどんどん強めてるんだよなと、たまにふと我に返る。

「助けて」と言えない性格が足を引っ張る

誰かに「手伝って」と言うのが本当に苦手だ。これも性格というより、育ち方やこれまでの経験が影響している気がする。若い頃から「頼らずやる」が正義だった。部活でも、仕事でも、恋愛でも。それでなんとかやってきたけど、今この年になって、「それで良かったのか?」と疑問が湧いてくることもある。

元野球部のプライドが邪魔をする

野球部時代、「エラーしても黙って拾いにいけ」って空気があった。誰かに助けを求めるのは、甘えだと思われるのが怖かった。司法書士の世界でも、妙にその感覚が染みついてる。わからないことがあっても、誰にも聞けずに夜中まで調べ続ける日々。誰も怒ってないのに、自分の中のプライドが、素直に弱音を吐くことを邪魔する。

事務員さんにまで気を使ってしまう

うちの事務員さんは真面目で丁寧な方だけど、どうしても「負担をかけちゃいけない」と気を使ってしまう。ちょっと忙しそうにしてるだけで、「これは自分でやった方がいいな」と判断してしまう。その繰り返しで、いつの間にか自分のタスクが山のようになってる。それでも、お願いする勇気が出ない自分がもどかしい。

孤独を感じる瞬間はどこにでも転がってる

仕事をしていてふとした瞬間に、「あれ、なんでこんなに自分ばっか頑張ってるんだろう」と思うことがある。周囲は特別冷たいわけじゃないけど、自分の努力が誰にも届いていないような、虚しさがこみあげてくる。そんな気持ちが、静かに心をすり減らしていく。

「先生だから当然でしょ」と言われたとき

司法書士という肩書きは、時に自分を守ってくれるけど、時に見えない責任を押し付けてくる。依頼者からの何気ない一言、「それ、先生なら当然でしょ?」が胸に突き刺さる。そういう言葉は、相手にとっては悪意がない。でも、自分にとっては「味方がいない」と思わせるには十分すぎる。

人は肩書きに甘えてくる

肩書きがあるから信頼される、それは事実だ。でもその肩書きに依存して、どんなことでも任せられると思われてしまうと、正直きつい。「わからないことはある」「間違えることもある」そう言えない空気が、余計に孤独感を増幅させる。人間としてじゃなくて、司法書士という機械として扱われているような気分になることがある。

心の中で一人の人間として見てほしいだけ

ただ、「大変ですね」と言ってくれるだけでも、全然違うのになと思う。完璧じゃなくていい、失敗してもいい。そんな風に見てくれる人が一人でもいれば、たぶん今のこの孤独感は少しは和らぐ。でも現実には、「先生なんだから」という目で見られることがほとんど。それがしんどい理由のひとつなんだろうな。

電話もLINEも全部仕事の連絡だけ

スマホが鳴るたびに、「またトラブルか?」と身構えるようになった。昔は誰かと他愛のないやりとりをするツールだったのに、今や完全に仕事の兵器。電話が鳴らない日はホッとするけど、鳴らなきゃ鳴らないで不安になる。そんなジレンマの中で、心がどんどん擦り減っていく。

日曜日の着信にビクッとする日常

たとえば、日曜の午後に電話が鳴ると、もうそれだけで頭の中が仕事モードに戻る。「何かトラブル?登記漏れ?」みたいに。休みの日ぐらい心を休めたいのに、鳴ってしまったら最後。たとえ出なかったとしても、頭の中はそのことでいっぱいになる。結局、心はずっと休めてない。

連絡はあっても会話はない

誰かと連絡を取る機会はたくさんある。でもそれは全部、連絡であって、会話じゃない。ありがとう、おつかれさま、がない日もある。「人と関わってるのに孤独」って、たぶんこの状態のことを言うんだと思う。誰かとただ笑って話せたら、それだけで違うのに。

一人で戦っている気がする日々にできること

この仕事の孤独感から完全に逃れるのは難しい。でも、「少しでも軽くする」ことはできる。最近になってようやく、そんな風に思えるようになってきた。戦い続けるだけじゃなくて、自分をいたわる日も必要だ。

自分を労る時間を意識的に作る

以前は「休むのも仕事のうち」なんて言葉は、甘えだと思っていた。でも、今は少し考えが変わった。たった5分でもいいから、仕事と関係ない時間を取る。昼に外を10分歩くだけでも、思った以上に気分が変わる。自分の気持ちを整えるための小さな儀式、それをバカにしない方がいい。

コーヒー一杯を味方にするという考え方

朝のコーヒーを入れる時間を、無理やりにでも作るようにしている。ただのお湯と粉の時間なんだけど、その数分だけは「誰のためでもなく、自分のため」の時間になる。誰も味方がいないと思う日でも、その一杯だけは確かに自分の味方になってくれる。そんな小さなことが、意外と救いになったりする。

「今日はこれ以上やらない」勇気

「まだできる」は危険な言葉だ。できてしまうからこそ、どこまでもやってしまう。「今日はもうやめる」「あとは明日でいい」と線を引くのは、今の自分にとって一番必要な行為かもしれない。やらない勇気を持つことで、ようやく自分の時間と心を守れるようになってきた。

たまには誰かの弱音を聞いてみる

自分が弱音を吐けない分、誰かの弱音を聞くことで救われることがある。意外なところで、同業の友人がぽつりと「俺も最近しんどくてさ」と言ったとき、心がふっと軽くなった。それだけで「一人じゃないんだ」と思える。話すより、聞く方が楽になることもある。

人の弱さに触れて気づく自分の優しさ

他人のしんどさを否定しないで聞ける自分がいる。それって、裏返せば自分もそうしてほしいんだと思う。自分の中にある優しさや共感力を、誰かの言葉で思い出す。司法書士って、人に寄り添う仕事でもあるはずだよな、とふと立ち返る瞬間。

孤独って一方向じゃない

孤独って、「誰もいない」だけじゃなくて、「自分が閉じてる」ことでも生まれるんだと思う。誰かがそこにいても、こっちが心を閉ざしてたら、結局は同じ。ちょっとだけ扉を開ける勇気があれば、たぶん誰かは手を差し伸べてくれる。その一歩が難しいんだけどね。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。