無表情なお客さんの前で頭が真っ白になる日

無表情なお客さんの前で頭が真っ白になる日

無表情なお客さんに出会うと心がザワつく

事務所のドアが開いた瞬間、その人は現れた。無言で椅子に座り、こちらを一瞥もせずにカバンから書類を取り出す。声をかけても、表情が一切変わらない。こういうタイプの人、たまに来るんだ。怒ってるのか、それともただ真面目なだけなのか。いずれにせよ、私のように気の小さい司法書士にはかなりのプレッシャーである。「何かミスしたか?」「説明足りなかったか?」と、会話の最中もずっと内心で自問自答し続けてしまう。

怒っているのかそれとも普通なのか分からない

「特に問題ないと思います」とこちらが言っても、相手は無言。頷きすらせず、じっとこちらを見つめている。いや、見ているのかすら分からない。ただ顔がこちらの方向を向いているだけで、眼差しの意図が読めない。正直、冷や汗が出る。人間、反応がないとここまで不安になるのかと、自分でも驚く。相手のリアクションがゼロという状況は、説明をする身としてはまさに地獄だ。

こちらの説明に対する反応がゼロという恐怖

説明しても反応なし、質問しても一言だけ返ってくるだけ。そのたびに「今の言い方、失礼だったか?」「難しすぎたか?」と自分を責め始める。まるでバッターボックスに立たされて、球が見えないままフルスイングしているような気分だ。打った感触がなく、スタンドの歓声もない。ただ黙って審判の判定を待つだけ。これが司法書士の日常である。いや、私だけかもしれないけれど。

内心は冷や汗なのに表面上は平然を装う

外から見たら、私は冷静なプロに見えているのかもしれない。でも、内心はジェットコースター並みに感情が揺れている。手汗をかきながらも、できるだけゆっくりとした口調を保ち、丁寧な語尾で説明を続ける。事務員の前でも「まぁ、こういうお客さんもいるよね」なんて涼しい顔して言ってるけど、本音を言えば「もう来ないでくれ」レベルでしんどい。

昔から感情の見えない相手に弱かった

この性格、たぶん昔からだ。元野球部の頃、監督もほとんど笑わない人で、何を考えているのか全然わからなかった。打った後にベンチに戻っても「……」だけで、褒めるでもなく叱るでもなく。逆に怒られてるのかと思って、次の打席では余計に縮こまってしまう。結局、そういう“無表情な人”に対する苦手意識が今も残っているのかもしれない。

元野球部時代の監督を思い出す

試合中、サインを送ってくる監督の顔が無表情すぎて、バントかエンドランか分からず困ったことがある。あのときと似てるんだ、今の状況。お客さんが何を望んでいるのか、こちらの対応に満足しているのか、それとも腹を立てているのか、さっぱり読めない。でもこちらは行動しなければならない。まるで球が来るかも分からないのに振らなきゃいけないバッターの気分だ。

目で殺されるようなあの沈黙の圧

何も言われてないのに、なぜか怒られてるような気がする。話しかけるタイミングも、書類を渡すタイミングも、すべてが正解かどうか分からないまま進む。沈黙の時間が長くなるたびに「何か不快にさせたのでは…」という疑念が募ってくる。もういっそ怒ってくれた方が楽なのに、とすら思う瞬間だ。

事務員と共有しても伝わらないこの緊張感

仕事が終わったあと、軽く事務員に「今日のお客さん、怖くなかった?」と聞いてみた。すると「え?そうですか?普通の人でしたけど」とあっさり返された。あの無表情が怖いのは私だけだったのか。たしかに、感じ方は人それぞれだ。でも、こんなに気を遣って疲れたのに、共有できる人がいないというのは寂しいものだ。

相手の表情を読んで勝手に動揺する癖

私の悪い癖だと思う。人の顔色ばかりうかがってしまって、自分のペースをすぐ乱される。昔からそうだった。大学のゼミ発表でも、教授が腕を組んで聞いているだけで「つまらないのかな?」と焦ってしまった。たぶん、人よりも“空気を読みすぎる”タイプなんだと思う。司法書士には向いていない性格かもしれないけど、もう今さら転職もできない。

気にしすぎる性格がこういう時に出る

相手のためを思って丁寧に対応しているつもりでも、それが空回りしてる気がしてならない。気にしすぎて言葉が過剰になり、逆に信用を落としたり、冗長になって嫌がられたり…。本当は、もっと堂々としていたい。けれど、目の前にいるのが“何を考えてるか分からない人”だと、どうしてもビクビクしてしまう。

だから女性にもモテないのかもしれない

話がそれるけれど、恋愛もうまくいかないのはこれが原因なのかもしれない。相手の表情をうかがいすぎて、緊張して、結局「いい人」で終わるパターン。笑ってくれないと不安になって、自分を保てなくなる。だからいつまで経っても独身のままだし、モテないのも仕方ないか、と妙に納得してしまう。

感情を見せないお客さんの本音に触れたとき

そんなある日、無表情なお客さんが帰り際にふと「分かりやすかったです、ありがとうございました」と言ってくれた。たった一言だけど、こっちは泣きそうになった。内心であれこれ考えていたけれど、伝わっていたのか。いや、伝えることはできていたのかと、少し救われた気がした。

最後にポツリと漏らした一言に救われた

普段から感情を表に出さない人もいる。ただ、感謝の気持ちはちゃんとある。でもそれが“見えない”だけで、こちらが勝手に不安になっていた。考えてみれば、自分だって接客のときは無表情かもしれない。人は見かけによらない。そんな当たり前のことを、忘れていたのかもしれない。

あの無表情はただの緊張だったと知る

そのお客さん、実は初めて司法書士に相談に来た方だったらしい。「緊張してたんです、すみません」と言われて、逆にこっちが申し訳なくなった。自分が抱えていたドキドキや不安が、まったくの見当違いだったと知る。無表情だったのは“怒り”じゃなくて“緊張”だった。自分の思い込みが恥ずかしくなった。

思い込みで疲弊していたのはこっちだけ

よく考えたら、相手は何もしていない。ただ無言だっただけ。自分の頭の中で勝手にシナリオを作って、自滅していただけ。これは司法書士としてというより、人としての課題なのかもしれない。もっと自分に余裕があれば、相手の沈黙にも耐えられるのかもしれない。

無表情なお客さんが教えてくれたこと

無表情なお客さんに振り回されたことで、人を見た目で判断してはいけないという当たり前を、ようやく思い出した。相手を信じるということは、表情や言葉だけでなく、その場にいる“空気”をまるごと受け止めることだと思う。そして何より、自分の内面を整えることが先だと改めて気づかされた。

見た目で判断しないという当たり前の話

結局のところ、どんなに経験を積んでも、人の感情なんて読み切れるものではない。無表情だからといって怒っているとは限らないし、笑顔だからといって安心できるわけでもない。大事なのは、こちらが丁寧に、誠実に向き合っているかどうか。それだけはぶらさないようにしたい。

でも実は一番難しいのは自分の心を整えること

自分の不安や焦りを抑えるのは本当に難しい。特に忙しい日々の中では、ちょっとした表情や言葉に過剰に反応してしまう。でも、そんな時こそ深呼吸して、目の前の相手と静かに向き合う勇気が必要だ。司法書士という仕事は、書類だけでなく“人”とも向き合う仕事だと、あらためて感じている。

それでも毎日誰かの前に立つしかない

独身で愚痴ばかり、仕事は忙しくて毎日てんてこ舞い。でも、今日も事務所のドアは開く。その先には、また表情の読めないお客さんが待っているかもしれない。だけど私は、今日も一歩前に出る。無表情の向こうにある言葉にならない思いを、少しでも受け止められるように。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。