恋愛が最優先だった頃を思い出す
昔は恋愛が人生の中心にあった。好きな人に近づきたい、話しかけたい、その一心で一日が動いていた。振り返ってみれば、それが生きる活力だったのかもしれない。司法書士になった今では、そんな感情を思い出すこと自体が少なくなってしまった。気づけば、恋愛の優先順位は生活や仕事、疲労感にどんどん押し出されていった。若い頃のあのどうしようもないほどのドキドキを、今の自分がもう一度味わう日は来るのだろうかと、時折ふと思う。
学生時代の「好き」は勢いと無謀さだった
高校時代、部活は野球漬けで、授業が終わるとグラウンドに走っていた。恋愛どころではなかったと言えば嘘になる。密かに好きだった女子がいて、同じ廊下を歩くだけで妙に意識してしまっていた。告白なんてとんでもない。手紙を書く勇気もなかったが、下駄箱にチョコが入っていないか、バレンタインの日は朝から何度も確認した。それでも、あの頃の「好き」は不器用で、でも真剣だった。
告白のタイミングよりバットの振り方に悩んでいた
告白する勇気がなかったのは、恋愛よりも「練習で結果を出さなきゃ」というプレッシャーの方が大きかったからかもしれない。バッティングフォームを鏡でチェックしながら、「このままでいいのか」と思う日々。今思えば、女の子に話しかけるより、バットの握り方を直す方が重要だったというあの考えが、恋愛の優先順位を自然と下げていた気がする。根っからの体育会系だったのだ。
野球部の帰り道に抱いていた片思いの苦さ
夜道を自転車で帰りながら、好きな子が笑っていた場面を思い出して、ひとり勝手に胸が締め付けられていた。何も始まらないまま終わった恋。それでも、その片思いは今でも記憶のどこかでやさしく残っている。当時は成就しなかったことが悔しかったが、今はただ、その感情があったこと自体がちょっと誇らしい。今の自分には、そんな風に心をかき乱す人はいない。
仕事に追われる日々と恋愛のすれ違い
司法書士になってからは、時間の流れが変わった。常に誰かの依頼や期限に追われ、朝が来たと思ったらもう夜。恋愛なんてしている余裕があるのか、と自分に問いかけることすらなくなっていった。週末のデートよりも、未処理の書類が目につく。そんな日々の中で、いつの間にか恋愛は「やるべきことリスト」にすら載らなくなっていた。
最初は「仕事が落ち着いたら」と思っていた
開業したての頃は、「もう少し余裕ができたら誰かと出会えるかも」と思っていた。友人の結婚式ではそんな希望も口にしていた。しかし現実は甘くない。事務所の運営に手一杯で、土日も結局仕事。休日に人と会う元気すら残っていなかった。少しずつ「今じゃない」が「もういいや」に変わっていった。
いつのまにか落ち着く暇がなくなっていた
「忙しいから」が口癖になり、それを言い訳にしていたつもりはないけれど、本心では少しだけ安心していたのかもしれない。恋愛に踏み出す勇気も、時間も、余裕もない。その状態に慣れてしまって、「落ち着いたら」という未来も見えなくなっていた。気づけば、落ち着くという概念そのものが幻想に思えてきた。
「また今度」の積み重ねが距離をつくる
友人から紹介話があっても、「また今度」「今ちょっと忙しくて」と何度断ったか分からない。その「今度」は結局来なかったし、連絡もいつのまにか途切れていった。自分から切ったつもりはなくても、相手から見れば「やる気がない」と思われたはずだ。仕事のせい、忙しさのせい、そうやって恋愛を遠ざけていたのは、結局自分だった。
事務員と二人きりの世界で感じる孤独
現在、事務所には事務員が一人。二人きりの空間は、良くも悪くも静かだ。雑談のネタも尽きがちで、恋愛の話なんて気恥ずかしくてできやしない。年齢も違えば、生活のリズムも違う。ただ黙々と業務をこなす毎日の中で、ふと「俺って、このままでいいのか」と思う瞬間がある。
気楽なようで気まずい日もある
二人しかいないからこそ、余計な気遣いも多い。気軽に愚痴をこぼすこともできず、話しかけるタイミングにも気を使う。ラジオの音がやたら大きく感じる日は、話題のなさに不安になる。職場に恋愛が入り込む隙なんてないし、求めてもいない。でも、完全な他人とも言えない距離感が、時にやるせない。
愚痴を言えない相手と働くということ
忙しい時ほど誰かに愚痴を言いたくなるが、相手が限られる。同じ職場の人に愚痴をこぼすと空気が悪くなるし、余計な心配をかけたくない。だからといって誰かに電話をするわけでもなく、結局、自分の中でぐるぐる思考が回る。孤独というより、「誰かに話すという選択肢がない」という状態が、想像以上に精神にこたえる。
静まり返る事務所で感じる生活音のありがたさ
ふと、誰もいない昼休みに湯沸かしポットの音が響いた瞬間、妙に安心したことがあった。日常の音が恋しくなるというのは、心が誰かを求めている証なのかもしれない。恋愛でなくてもいい。ただ、何かが足りないと気づかされた、そんな昼下がりだった。
恋愛に使うエネルギーが残っていない
夜になると眠気が勝って、何かを始めようという気力がわかない。誰かにLINEを返すのも億劫で、スマホを握ったまま寝てしまう。こんな調子では、誰かと向き合うことなんてできるはずもない。恋愛は「頑張る」ものだったはずが、今は「頑張れない」ものになってしまった。
「好き」と言う前に眠くなる
昔は夜更かししてでも誰かと話したいと思っていた。今は、話し始める前に眠ってしまう。LINEの通知が鳴っても、「明日返そう」で終わる。誰かに期待されるのが怖いのかもしれない。返信が遅くなって嫌われるくらいなら、最初から踏み込まない。そんな自分を守るような選択が、気づけば習慣になっていた。
ときめきよりも睡眠時間が欲しい
最近の一番のご褒美は「ぐっすり眠れること」になった。好きな人と夜更かししても、次の日が辛いだけ。そう思ってしまう時点で、恋愛の優先順位はとうに消えていたのだろう。体が正直なのか、心が保守的なのか、もはや自分でも分からない。ただ、眠れることが一番ありがたいと思ってしまう。
この疲れは一人で癒すしかないのか
温かい声をかけてくれる人がいれば、少しは違うのかもしれない。でも、誰かに寄りかかるには、自分がしっかりしていないといけない気がして、結果一人でどうにかしようとしてしまう。甘えたいのに甘えられない。そんなジレンマの中で、「今は無理」という選択を繰り返している。
それでも心のどこかで求めているもの
こうやって恋愛を遠ざけてきた自分だけれど、完全に諦めたわけではない。誰かと一緒に笑いたい、寒い夜に温もりが欲しい。そう思う瞬間は今でもある。恋愛じゃなくても、人とのつながりを欲している。それはたぶん、年齢を重ねたからこそ、余計に強くなったのだと思う。
本音を言える相手がほしいだけかもしれない
恋人という形じゃなくてもいい。仕事の話を笑って聞いてくれる人、何も気を使わず愚痴れる人、そういう存在がいるだけで救われる。本音を隠して生きるのは疲れる。せめて誰か一人だけでも、自分を受け止めてくれる相手がいれば、それだけで日々は変わると思う。
恋愛じゃなくてもいいでも誰かがいてほしい
「恋愛」という言葉にこだわっていたのは、若い頃だけだったのかもしれない。今は肩書きや関係性よりも、「安心できる人」がいてほしい。その人が恋人でなくても、家族でなくても、構わない。つながりがあれば、心が少し軽くなる。そんな人との出会いを、もう少しだけ信じていたい。
優先順位の中に静かに残っている願い
仕事や生活に追われて見失ってしまいがちだけど、心の片隅にはいつも「誰かとつながりたい」という願いがある。優先順位としては見えづらくなったけれど、確かに存在している。恋愛に限らず、人との縁を大切にしたいと思う自分が、今もどこかに残っている。それがある限り、まだ遅くはないのかもしれない。