頼られたいのに疲れてしまうという矛盾と付き合う日々

頼られたいのに疲れてしまうという矛盾と付き合う日々

頼られる喜びは確かにある

司法書士という仕事をやっていて、「頼っていただけること」は何よりの報酬のひとつだと感じる瞬間があります。「先生がいて本当によかったです」なんて言われた日には、多少の疲れなんて吹っ飛びます。大げさではなく、こちらの人生そのものが肯定されたような気分になるものです。人の役に立てること。それが仕事として形になっていること。その実感があるからこそ、なんとか続けてこれた部分もあります。

感謝されるときだけは報われた気がする

登記が無事に完了したとき、依頼者がほっとした表情で「ありがとうございました」と言ってくれる。その瞬間、「やっててよかったな」と思える。たとえ依頼が急ぎで、前日ほとんど寝られなかったとしても、その一言で帳消しになるような気がしてしまうんです。正直、自分の仕事の成果って他人の人生の節目に関わっていることが多いから、ちょっと感傷的にもなります。

「先生がいて助かりました」の重み

特に印象に残っているのが、母親の相続登記を終えた年配の女性が、ぽろぽろ泣きながら「助かりました」と言ってくれた日。自分も母を早くに亡くしていたので、なんだか感情移入してしまって、終わった後にひとり車の中で涙が出ました。こういうとき、自分はただの書類屋じゃないんだなと思えます。でも、いつもそう気持ちよく終われるわけじゃないのが現実です。

元野球部のノリで頑張ってはいるけど

高校まで野球部だったこともあって、「根性で乗り切る」みたいな思考が染みついてるんですよね。多少しんどくても、頼まれたら断れないし、無理してでも応えてしまう。でも、もう若くない。試合のたびに泥まみれでスライディングしてた自分が、今では疲れ切ってパソコンの前で座ったまま寝落ちしてる。誰かに頼られるのが嬉しい。でも、それだけじゃ回らない。

でも現実はそんなに甘くない

実際のところ、司法書士としての業務はとても地味で、かつ膨大です。書類を集めて、不備があれば補正して、期限に間に合わせて……と、日々追われています。時には役所での理不尽な対応に振り回されることもあるし、依頼者からの無茶なお願いに対応せざるを得ないこともある。気がつけば、自分の食事すらまともに取っていない日もあります。

時間も体力も持っていかれる日常

たとえば、朝から夕方まで相談や外出、帰ってから書類作成。電話もひっきりなしに鳴る。19時を過ぎても、まだ今日の分の登記完了チェックが終わってない。疲れて帰ってきても、事務員さんがやり残した確認作業をこちらでやらなきゃいけない。寝るのは深夜1時すぎ。土日も休めないことが多い。疲れてると感じる間もなく、やることが増えていくんですよね。

事務員さんのミスも最終的には全部こっち

雇ってる事務員さんは悪くないんです。むしろよくやってくれてると思う。でも、どんなに気をつけていても、人はミスをします。そしてそのミスの責任は最終的に自分に返ってくる。法務局から電話がかかってきたときの心臓の跳ね上がる感じ、司法書士ならわかってくれると思います。「あ、やっちまったかも」って冷や汗が止まらないんです。

忙しさにかまけて自分の感情がどこかへ消える

こうやって日々をこなしていると、自分の本音や感情を置いてけぼりにしたまま過ごしてしまう。誰かの人生を支えるために、自分の感情や身体がどんどん摩耗していく。気がつくと、なんのために仕事してるんだっけ?と思ってしまう夜もあります。誰かに頼られたい。でも、自分は誰に頼ればいいのか、わからなくなる。

「頼られる=幸せ」ではないことに気づいてしまった

若い頃は、頼られることが嬉しかった。自分が役に立っているという実感があれば、それだけで十分だった。でも、年齢を重ねて体力も気力も落ちてくると、その「嬉しさ」が「重さ」に変わってくるんです。頼られるって、責任なんですよね。そして、責任はときに重たすぎる。

人に必要とされることと、自分を守ること

「必要とされているうちは幸せだ」と言う人もいます。でもそれって、自分を守れている前提の話。自分の健康、時間、心の余裕がなければ、誰かを支えるなんて無理なんです。そういう基本が崩れていることに気づかず走っていると、ある日突然ガタが来ます。僕も一度、過労で倒れかけました。あれは本当に怖かった。

断る勇気を持つことは悪じゃない

「なんとかしてあげたい」という気持ちは大事。でも、それで自分が壊れてしまっては元も子もない。最近は、思い切ってお断りすることも覚えました。勇気がいります。嫌われたくないし、断ったあとのフォローも面倒です。でも、自分の生活を守るために必要な選択だと、やっと思えるようになってきました。

それでも辞められない理由

じゃあ、なんでまだこの仕事を続けてるんだ?と問われれば、やっぱり「誇り」があるからです。大変だけど、やっぱり好きなんですよ。この仕事。たとえ毎日ぐったりでも、誰かの人生の節目に関われるって、なかなか味わえない特権です。

依頼者の笑顔に救われる瞬間

最後の登記完了通知を渡したときの「やっと終わった〜」っていう依頼者の笑顔。それを見るたびに、「ああ、この人の力になれたんだな」と思える。何百件もやってきたけど、そのひとつひとつが心に残っています。つらさはある。でも、それ以上の何かが確かにあるんです。

誰にも言えないけど誇りはある

「司法書士って地味だよね」と言われることもあるけど、俺はこの仕事を誇りに思ってる。地味だけど、縁の下の力持ちとして多くの人の人生に関わっている。その事実だけは、誰に笑われても揺らがない。弱音を吐くこともあるけど、それでも前に進んでる自分を、ちょっとだけ褒めてやりたい。

今ちょっとしんどい人へ伝えたいこと

もし、この記事を読んでいるあなたが、誰かに頼られて疲れているなら。もしくは、同じ司法書士として頑張っているなら。僕のこのグダグダな文章が、少しでも心の支えになったら嬉しいです。疲れてるのはあなただけじゃない。僕も、同じです。

頑張ってる自分を否定しないでほしい

自分に厳しい人ほど、自分の不調や弱さに気づいても見て見ぬふりをしがちです。でも、それって本当はすごく危ないこと。疲れてる自分を責める必要はないし、頑張れない日があってもいい。そういう日があって当然。人間だもの、と自分に言い聞かせてます。

愚痴をこぼしてもいい仕事はある

司法書士って、真面目で我慢強い人が多い。でもね、愚痴を言ってもいいんです。人の前では言えなくても、心の中で毒づいたっていい。そうやってガス抜きしなきゃ、潰れちゃいます。僕なんて、毎朝コーヒー飲みながら心の中で「全部ぶん投げたい」と思ってますよ。

「頼られすぎた人」こそ誰かに支えてもらっていい

頼られることが当たり前になっている人ほど、自分が誰かに頼ることに罪悪感を持ちがちです。でも、人間は一人じゃ生きられません。信頼できる誰かにちょっと弱音を吐く。それだけで気持ちが軽くなることもあります。あなたが人を支えてきた分、今度はあなたが支えられていいんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。