今月もなんとか乗り切ったけど正直もう限界かもしれない

今月もなんとか乗り切ったけど正直もう限界かもしれない

月末になると胃が痛くなる日々

司法書士という仕事は、法律の専門家としての責任と実務の忙しさが重なり、精神的にも肉体的にも削られます。特に月末になると、請求書の発行、登記の締め切り、期日管理の確認と、胃がキリキリするようなプレッシャーが襲ってきます。気づけば胃薬の消費量も増え、ストレスで眠れない夜が続くようになりました。世間的には「しっかりした仕事をしている人」と見られがちですが、内情はなかなか厳しいものです。

報酬よりもプレッシャーの方が重たい

ひと月の報酬が振り込まれた瞬間は、正直ほっとします。ただ、通帳の数字よりも、「あの登記ミスってないか…」「クライアントにあの説明、ちゃんと伝わってたか…」という不安のほうが上回ってしまいます。特にミスが許されない業務なので、常に緊張感の中で過ごすことになります。やりがいよりも、責任に押しつぶされそうになる瞬間の方が多いのが本音です。

お金の不安と責任の重圧が同居する

地方で一人事務所をやっていると、収入が安定しない不安と、ミスできないプレッシャーが常につきまといます。依頼が少ない月は「この先やっていけるのか」と思い、多い月は「こんな量、ひとりで無理だ」と嘆く。お金の不安と責任の重さ、その両方が毎日頭の中をぐるぐるしています。

やってもやっても減らない依頼の山

朝9時に事務所に入り、気づけば夜9時。昼食を取る時間も忘れ、電話とメールと書類に追われ続ける日々。せっかく事務員さんが処理を手伝ってくれても、肝心な判断や説明は結局自分がやらなければならない。どれだけ頑張っても、机の上の書類は減るどころか、いつも新しい依頼が上乗せされていきます。

事務員がいても一人分の心労は変わらない

事務員さんがいるおかげで、助かっていることは本当に多いです。ただし、仕事の全体像を理解しているのはやはり私ひとりで、細かい調整や判断は自分で対応せざるを得ません。実際、「この案件、急ぎなんだけど…」と口にした瞬間、内心で「またか…」と呟く自分がいます。

優秀な子だけど全ては任せられない

今の事務員さんはとてもまじめで、よく気が利く方です。ただ、法務的な判断やイレギュラーな対応については、まだ任せられません。教える時間もなかなか取れず、「今は教えてる場合じゃないから自分でやった方が早い」となってしまう日も多いのが実情です。

ひとり親方の気苦労は結局自分持ち

スタッフがいても、責任の最終的な所在は自分。つまり、何かあればすべて私の責任です。「これで大丈夫かな?」と何度も確認し、夜中に思い出して眠れなくなるようなことも。結局、気を抜く暇がないのが現実です。

乗り切ったというより押し潰されてる

「今月もなんとか乗り切った」と言えば聞こえはいいけれど、実際は“なんとか生き延びただけ”という感じ。達成感というより、疲労感と空虚感が残る日々が続いています。とくに月末の疲れは、ボディブローのように後からじわじわ効いてきます。

依頼が減る不安よりも捌ききれない恐怖

昔は「依頼が来ないかも」という不安の方が大きかったんです。でも今は逆で、「これ以上来たら捌ききれない」という恐怖の方が勝っています。量が増えても人を増やす余裕はなく、全部自分で背負うしかないという状況に、正直もう限界が近づいているのかもしれません。

件数が多い月は生きてる実感が薄れる

特に繁忙期は、起きてから寝るまで仕事。休日も事務所に寄ってしまう自分がいます。誰にも褒められないまま、自己満足と責任感だけで乗り越える。生きてるというより「処理されている」ような気分になってくることもあります。

疲れた顔を鏡で見るのも嫌になる

朝、顔を洗うときにふと鏡を見ると、そこには目の下にクマを抱えた中年男が映っている。元野球部でそこそこ体力には自信があったけど、今は「もう勘弁してくれ」という感じです。何か大きな病気になる前に、どうにかしないととは思っているのですが…。

もう少し頑張ろうが毎日積もる呪文になる

「もう少し頑張ろう」「今週だけ乗り切ろう」と自分に言い聞かせる。それが一日、また一日と積もっていって、気づけば何ヶ月も経っている。ある意味、気力だけで動いているような状態です。

“司法書士らしく”なんて言葉は重すぎる

「先生って呼ばれる仕事だから」「士業は信用第一だから」と、自分に言い聞かせてやってきたけど、もうそろそろ限界。自分のキャパも、心の余裕も、削りすぎてしまったような気がします。

立派であることに疲れ果てた心

ミスをしないように、礼儀正しく、丁寧に、冷静に。そういう姿勢を意識しすぎて、感情を表に出すのが怖くなってきました。「司法書士はこうあるべき」という理想に縛られて、どこか自分を見失いそうになる瞬間もあります。

真面目なふりをするのもしんどい

実際はネガティブだし、愚痴も多い。だけど依頼者の前では明るく、前向きな顔をしなきゃいけない。演技に近い“司法書士ごっこ”が板につくほど、自分の素を出せなくなってきた気がします。

弱音を吐ける場所がない現実

家庭があるわけでもなく、同業の知り合いも少ない。結局、弱音を吐く相手もいなくて、自分の中に溜め込むばかり。たまにSNSで同業者の愚痴を見つけては、「あ、自分だけじゃないんだ」と救われています。

愚痴を言えるのはノートか自分自身

最近は思ったことをノートに書き出して、少しでも心を整理するようにしています。話す相手がいないなら、せめて自分にだけは正直でいたい。誰にも見せないそのノートは、今の私の精神安定剤です。

それでもやめられない理由がある

ここまで文句ばかり書いておいて何ですが、それでもやっぱりこの仕事を続けているのは、ほんのわずかな“報われる瞬間”があるからです。どんなに辛くても、その一瞬に救われる自分がいるのです。

たまに届く「ありがとう」が唯一の救い

書類を渡すとき、あるいは登記が無事終わったとき、依頼者の方がポツリと「本当に助かりました」と言ってくれる。そんな一言に、涙が出そうになるほど心が軽くなることがあります。たったそれだけで、また一日頑張れる不思議。

無表情な依頼者がふっと笑った瞬間

普段は仏頂面だった方が、手続きを終えた後にふっと笑う。その瞬間に、「この人の不安を少しだけでも取り除けたのかな」と感じる。言葉じゃなくても、そういう表情にこっちが救われている気がします。

過去の自分に言い訳したくないだけ

司法書士試験を受けると決めたあの日の自分、勉強漬けで過ごしたあの頃の自分に、「結局やめました」とは言いたくない。それだけの理由かもしれませんが、それが今の原動力になっています。

元野球部の“根性”が残っているのかも

正直、もう若くはない。でも、理不尽な猛練習に耐えたあの頃の自分が、いまの自分に「まだやれるだろ」と囁いてきます。根性だけでは乗り切れないけど、根性がないとこの仕事も続けられない。そんな世界に、今日も足を踏み入れています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。