登記の合間にひとりごとをこぼす午後

登記の合間にひとりごとをこぼす午後

登記の書類に埋もれながら思うこと

登記の仕事というのは、一見すると淡々としているように見えて、その実、かなりの神経を使う作業だ。たとえば、たった一文字の違いで補正を求められる。それが仕事であり責任でもあるのだけれど、ずっと机に向かって書類とにらめっこしていると、ふと「俺は一体、何をやってるんだろうな」と思ってしまう時がある。45歳、独身、事務所には事務員がひとり。会話といえば「この書類、郵送ですか?」くらい。静けさが集中を生むはずなのに、心にはぽっかりと穴が開いたままだ。

チェックリストは完璧なのに気持ちは空回り

毎回、登記前にはチェックリストを作って抜け漏れのないように確認する。習慣にしているし、ルールにもしている。でも、どれだけ完璧な準備をしても、心のなかはいつもざわざわしている。仕事に向かう気持ちと、現実の淡々とした作業の間にズレがあるのだ。理屈ではわかっている。「これが仕事だ」と。でも、感情はそう割り切れない。

「間違ってませんよね?」と自分に聞く午後

チェックリストを終えても、何度も何度も目を通してしまう。「本当にこれで大丈夫か?」という不安が消えない。昔、後輩が一度登記の内容を間違えて補正に追われた姿が焼きついていて、どうしても他人事に思えないのだ。結果的に間違ってなくても、その確認に費やす時間がどれほど多いことか。そして、それを誰かが見ているわけでも、評価してくれるわけでもない。

完璧にこなしても誰も褒めてくれない職場

この仕事、うまくいって当たり前。間違えたら大騒ぎ。そんな構造の中で、「今日もトラブルなく終わりましたね」と誰かにねぎらってもらえる日は、ほぼない。独り事務所という環境も相まって、モチベーションのやり場に困ることが多い。心のどこかで、「誰か見ててくれないかな」と思っている自分がいて、そんな自分にまたがっかりする。

事務所の静けさが今日は妙に堪える

普段は静かな事務所がありがたいと思うこともある。でも、雨の日や気圧の低い日は、その静けさがどうにも堪える。誰の声もしない、電話も鳴らない、ただ自分のタイピング音とエアコンの風音だけが響く空間。少し前まで飼っていた犬の足音が懐かしくて、思わず涙がこぼれそうになる。

相棒はコピー機だけという現実

気づけば、コピー機が一番の話し相手になっていた。毎朝の電源オン、たまに出るエラー音、それに対応する自分。なんとも言えない虚しさがある。でもこのコピー機がなければ、仕事はまわらない。そんな大事な相棒を、今日も静かに拭いてから使う。これも自分なりの気持ちの整理だ。

電話の鳴らない日がいちばんつらい

多忙な日々のなかで「電話がないのは平和」と思っていた時期もある。でもそれが何日も続くと、「あれ?依頼来てないのかな?」と不安になる。何か忘れてる?ミスした?SNSで他の司法書士が「月末ラッシュでヘロヘロです」と投稿しているのを見て、自分の静けさが恥ずかしくなってくる。

依頼者の無茶に心が折れそうになる

連絡が来れば来たで、依頼者の要望に振り回されることも多い。「明日までに」「今日中にできませんか」…心の中では「こっちも人間なんですけど」と叫びながら、なんとか対応している。断れば「不親切」、受ければ「当然」。そんな狭間に立っていると、自分の存在価値がどこにあるのかわからなくなってくる。

「急ぎでお願いします」に込められた重圧

「すみません、急ぎでお願いします」と言われると、断れない性格もあって、つい「わかりました」と答えてしまう。でもその裏には、夜まで残業する自分の姿がもう見えている。急ぎの案件が増えるたびに、生活リズムが崩れ、食事もコンビニ、睡眠時間も削られる。まるで、無理していることを自ら認めさせられているようだ。

その場しのぎの笑顔が疲れてきた

依頼者の前では、なるべく笑顔で対応しようとしている。司法書士って、なんとなく堅い印象があるから、せめて自分は少しでも話しやすい存在でいたい。でも、それも毎日続けているとだんだん苦しくなる。自分の感情を押し殺して作った笑顔が、最近ではもう「顔面の筋トレ」にしか思えなくなってきた。

説明したのに「よくわかんない」で済まされる

丁寧に説明したつもりでも、「よくわかんない」「とりあえずお願いします」と言われてしまうと、どっと疲れが出る。わからないのは仕方ない。でも、わかろうとする姿勢すらないと、こちらの努力が全部空振りに終わったような気になる。報われないって、こういうことかもしれない。

それでも今日も登記は待っている

こんなふうに日々の小さな愚痴を積み重ねながらも、気づけば明日もまた登記の仕事に向かっている。誰かに言われたからじゃなくて、結局は自分で「やるしかない」と思っているから。こんな日々の中でも、たまに「助かりました」「丁寧にありがとうございました」と言われるだけで、すこしだけ救われた気持ちになる。だから続けられているのかもしれない。

ひとつひとつの仕事に支えられている実感

登記というのは、確かに地味な仕事だ。派手さもなければ、大きな拍手もない。それでも、目の前の案件にひとつずつ向き合っていくことで、「この仕事が必要とされている」という実感は得られる。その実感が、心の芯に残っている限り、きっと自分は今日もまたパソコンに向かって、書類を打ち込んでいくのだと思う。

たまにある「助かりました」で持ち直す

先日、ある依頼者から「おかげで安心できました」と言われた。それだけで、何日も悶々としていた気持ちがすっと晴れた。ほんのひとことなのに、こちらの気持ちをまるごと救ってくれる魔法みたいな言葉。やっぱり、この仕事には意味がある。そう思わせてくれる瞬間が、年に何回かだけ、ある。

結局、やるしかないからやっているだけ

華やかな志があるわけじゃない。使命感に燃えているわけでもない。でも「誰かがやらなきゃいけないから、やっている」そんな気持ちもまた、立派な動機だと思っている。自分にはこれしかできない。だからこそ、今日もまた、登記の合間にちょっとだけ愚痴をこぼしながら、机に向かう。それで、いい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。