LINEの通知が来ないスマホと静かな日常

LINEの通知が来ないスマホと静かな日常

朝スマホを確認しても通知がない日

朝、目が覚めて最初にすることは、布団の中でスマホを手に取ることだ。これはもう習慣であって、誰かからの連絡を期待しているというより、ただ惰性でやっているような行動だ。なのに、どこかで「もしかして…」という期待があるから、自分でも驚くほど何もない画面にがっかりする。未読がゼロ、LINEのアイコンも沈黙したまま。これがもう何日続いているのか、カレンダーをめくって数えたくなる気分だ。

無意識に手が伸びる習慣だけが残った

通知が来るはずのない時間にも、スマホに手が伸びる。コーヒーを淹れているとき、書類をプリントしている間、トイレに入ったとき。無意識の動作だ。昔はLINEのグループチャットがいくつもあって、通知が鳴りっぱなしだった気がする。けれど今は仕事の連絡くらいしか鳴らない。土日なんて、無音だ。スマホがただのガラスの板のように感じることもある。通知が鳴らないだけで、なぜこんなにも孤独を感じるのか、自分でもわからない。

今日も変わらず未読ゼロの画面

事務所に着いて、デスクにスマホを置く。そのときちらりと画面を見るのは、もはや儀式のようなものだ。期待していないくせに、やっぱりどこかで“何か”を望んでいる。でも表示されるのは天気予報の通知や、アプリの広告だけ。人間からの連絡はない。司法書士という仕事は、連絡があるときは決まって問題があるときか、支払いが遅れているときだ。喜びのLINEなんて、もうどれだけ見ていないんだろう。未読ゼロの画面が、今日も静かにそこにある。

通知音を一度も聞かないまま夜になる

夜、帰宅してもスマホの画面は一日と同じ。着信履歴も、メッセージの通知も何もない。家のドアを開ける音と、湯を沸かす音しか聞こえない部屋。テレビをつけるのも億劫で、黙ってスマホを見つめてしまう。このまま誰にも連絡せず、誰からも連絡が来ないまま、明日も同じように過ぎていくのか。そんな不安が静かに胸をしめつける。人と関わる仕事なのに、関係が深まることは少ない。スマホの通知音は、今日も一度も鳴らなかった。

忙しいのに誰ともつながっていない感覚

日々の業務は立て込んでいる。登記、相続、債務整理に相談対応。電話は鳴り止まず、来所する人も多い。事務員もよく動いてくれている。けれど、その忙しさの中で、ふとした瞬間に感じる“ぽっかり感”。誰かとつながっているという感覚がまるでないのだ。事務所は動いているのに、自分だけが止まっているような、そんな錯覚に襲われる。クライアントとは話しても、共に過ごす相手ではない。どれだけ人と会っていても、孤独は埋まらない。

クライアントとは話すけど友達ではない

依頼人とのやり取りは、あくまで業務上のものだ。名前を覚えてくれる人もいれば、何度も来る人もいるが、それは「お客さん」としての関係にすぎない。仕事が終われば連絡はないし、こちらもそれ以上のやり取りは望まない。そういう意味では、プライベートでのつながりは年々減っていく。飲みに誘われることもない。あっても業者との接待がほとんどだ。気を許せる相手と話す時間が、気づけば一ヶ月以上なかったということもある。

業務連絡ばかりで心が乾いていく

LINEに届くのは、司法書士会からの通知、取引先からの納期確認、金融機関からの書類連絡。便利なはずのツールが、どこか心を削る凶器に思える日もある。「お疲れさま」や「ありがとう」の言葉すら業務テンプレに見えるようになったら末期かもしれない。それでも既読にして返信し、また次の仕事へ進むだけ。その繰り返しに違和感はあるけれど、やめる理由もない。ただ、人間関係というものがどんどん「連絡手段」へと変質しているのを感じる。

声をかけられるのは催促かクレームのときだけ

よく考えれば、最近“自然な会話”というものが極端に減ってきた。仕事の連絡以外で「元気ですか?」と聞かれることもなければ、「最近どう?」と誰かに話しかけることもない。声をかけられるときは、ほとんどが「書類がまだです」「いつ終わりますか?」のような催促。あるいはクレームだ。それに応える自分の口調も、どんどん機械的になっていくのが分かる。まるで人間が人間でなくなるような感覚に、恐怖すら感じるときがある。

ふとした瞬間に感じる孤独の正体

テレビの音も止まり、湯船に浸かっているときにふと、孤独という感情が膨らんでくる。昼間は忙しくて気づかないが、何かを終えた後の“無”の時間に、それは忍び寄ってくる。LINEの通知が来ないのも、誰かと食事に行かないのも、誰かに褒められることがないのも、すべてが「一人である」という現実を突きつけてくる。この感情を誤魔化すために仕事に没頭している節があることを、自分でも認めざるを得ない夜がある。

人と接していても一人な気がする理由

司法書士は、人と接する仕事のはずだ。法律相談、登記の手続き、相続のアドバイス…それなりに会話もある。でも、それは“関係”ではない。終われば切れる関係ばかりだ。だからこそ、「人と話していたのに孤独だった」という矛盾した感情が生まれる。居酒屋で周囲が盛り上がる中、自分だけが遠いところにいるような感覚。そんな気分に、日常の中で何度も襲われる。人間関係の表面だけをなぞっていると、いつか心が擦り切れてしまうのかもしれない。

どうせ自分なんてと思ってしまう瞬間

うまくいかないことが続くと、つい「どうせ自分なんて」と思ってしまう。高校時代は野球部で、あれだけ仲間と声を出してたのに、今では一日中まともに話すのが事務員一人。しかも事務的な会話ばかり。婚活をしてもうまくいかず、趣味もなくなっていく。そんな中でLINEの未読が増えないという事実は、静かに自尊心を削ってくる。誰にも求められていない感覚、それがふとしたときに自分を支配してくるのだ。

昔はLINEを使う相手もいた気がする

最初にLINEを使い始めたころは、けっこう楽しかった。グループで盛り上がったり、ちょっとした連絡が恋愛のきっかけになったりもした。でも、気づけばあの頃の連絡先はどんどん減って、通知が来ることもなくなった。削除もブロックもしないまま、ただ“無”になったままのトーク画面がいくつも残っている。その履歴すら、今はもう見返すこともない。だけど、ふとした瞬間に「あの人、元気かな」なんて思う日もある。

同業の誰かもきっと似たような気持ちでいる

この感覚を誰かと共有することは少ないけれど、きっと同業の司法書士さんたちも、似たような日常を送っているのではないだろうか。孤独を感じながらも、依頼人の前では毅然とふるまい、ミスなく仕事をこなす。でも、ふとした瞬間に自分の存在の薄さを感じる。誰かと話したいけど、話せない。そんな“矛盾”を抱えて生きている気がする。だからこそ、この静けさを、少しだけ言葉にしておきたいと思った。

この仕事の特殊な孤独に名前をつけるなら

司法書士の孤独は、言葉にしづらい。人と接するのに人とつながらない。責任は重いのに感謝は少ない。そんな仕事の構造そのものが、孤独を生んでいる気がする。「応答しない信頼関係」…そんな名前をつけたくなるような関係性の中で、毎日を過ごしている。だけど、それが悪いとは思っていない。たぶん、どの仕事にも似たような孤独はある。ただ、それを話す場所がないのが、この仕事のまた一つの難しさなのかもしれない。

相談されるばかりで誰にも相談できない

「先生だから」「プロだから」そう言われて相談されることは多い。だが、自分の悩みを誰かに相談できる機会はほとんどない。仕事の愚痴を言える相手も限られているし、言ったところで軽く受け流されるだけだったりする。そんな現実に直面するうちに、「まあいいや」「自分で何とかしよう」と、ますます自分を閉じていってしまう。LINEの未読が増えないというだけで、これほどまでに複雑な気持ちになる自分を、誰かにわかってほしいと心の奥で願っている。

だからこそ小さな通知一つに救われる

ある日、旧友から突然「元気?」というLINEが届いた。それだけのことなのに、驚くほど心が軽くなったのを覚えている。通知一つでこんなにも救われるのかと、自分でも驚いた。それはまるで、乾いた砂にぽとりと水滴が落ちるような感覚だった。誰かに求められている実感、それが一日の景色を変えることがある。だから、もしこの記事を読んでくれたあなたが、誰かを思い出したなら、短い一言でもいいから連絡してみてほしい。あなたの通知が、誰かの今日を救うかもしれないのだから。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。