移転されたのは家か命か

移転されたのは家か命か

朝イチの来客と不機嫌なサトウさん

「8時59分にノックするの、やめてほしいですよね」 出勤してすぐ、サトウさんは腕時計を見ながら吐き捨てるように言った。 確かにまだ営業時間前だ。だが、ドアの外には深刻そうな表情の女性が立っていた。

封筒の中にあった奇妙な登記識別情報

その女性は「急ぎでお願いしたい」と言って、厚手の封筒を机の上に置いた。 中には委任状、本人確認資料、そして登記識別情報の通知が入っていた。 ただし、問題はその識別情報に添付された紙に「この家を手放すのは心苦しいが」と書かれていたことだ。

突然現れた依頼人の真意

「叔母から贈与された家を名義変更したいんです」 女性はそう言って涙ぐんだ。だが、その説明はどこかよそよそしく、感情の深みを感じなかった。 しかも登記原因証明情報に記載された「生前贈与」という言葉が、妙に浮いて見えた。

名義変更の理由は「生前贈与」?

この家の元の所有者である叔母は、2か月前に急逝していたという。 しかし、登記識別情報の発行日は3週間前だ。つまり、亡くなったはずの人が、死後に移転の手続きをしたことになる。 それが可能なのは、幽霊登記か、あるいは誰かが意図的に偽装した場合だけだ。

違和感とわたしの胃痛の始まり

その瞬間から、胃がキリキリと痛み出した。 司法書士という職業柄、こういう「矛盾」は放っておけない。 本来なら依頼を断ってもよかった。だが、それを見越しているような依頼人の視線が、余計に気になった。

やけに急ぐ依頼人と不一致の委任状

「今日中に法務局に提出できますか?」 そんな催促に応えようと、委任状に目を通した時だった。 署名の筆跡が、添付の免許証にある故人のものと微妙に異なっていた。

サトウさんの冷静なツッコミ

「これ、”つ”の字の払いが逆ですね」 サトウさんが淡々と言い放つ。まるで名探偵コナンのような観察眼だ。 「達筆に見せかけたけど、偽造ですね。きっとボールペンの練習用ノートとか買って頑張ったんでしょうけど」

委任状の署名に見覚えアリ

ふと、以前扱った成年後見人の案件で見た筆跡と酷似していることに気づいた。 あのとき問題を起こしたのは、不動産業者の知人を名乗る男だった。 今回の女性も、その男と同じ名字を名乗っていたことを、ようやく思い出した。

調査開始と隣人の証言

その家の近隣住民に話を聞いてみた。「ああ、あの家ね…誰も住んでなかったよ。半年くらいは」 やっぱり、依頼人の説明とは矛盾していた。 そして、叔母とされる女性の姿を知っている者は、誰一人いなかった。

そこに住んでいたのは別人だった

近隣の高齢男性が、「前に一度だけ、若い女が出入りしてたのを見た」と証言してくれた。 それが今回の依頼人だったのかもしれない。 もしくは、彼女はただの「受取人」に過ぎず、背後に誰かがいるのかもしれない。

過去の登記と照合する記録

念のため登記簿謄本を3年前まで遡って確認した。 すると、前所有者の住所変更登記が行われていなかった。 つまり、登記上は存在していたが、実際には誰が住んでいたか不明のままだ。

旧姓と現姓の狭間に浮かぶ謎

遺言書もなければ、遺産分割協議書もない。 だが、戸籍を確認すると、依頼人は故人の姪にあたる人物である可能性が浮上した。 しかし、その関係性を示す書類は、一切提出されていない。

やれやれ、、、やっぱり何かある

結局、今回の件は警察に相談することにした。 「なんだか最初から全部、わかってたんじゃないですか」とサトウさんに言われる。 「いや、わかってても、確証がないと動けないのが司法書士ってもんでね」

わたしのうっかりが命を救う?

書類をひっくり返したとき、依頼人の名前の誤字に気づかなかったのはミスだった。 だが、それが逆に、依頼人の動揺を誘った。 「やれやれ、、、不注意にも使い道はあるもんだ」

依頼人の正体と真実の動機

その後の調べで、依頼人は実際に叔母を介護していた人物であり、感情的な混乱の中で贈与を偽装したことが判明。 「家を取られるのが怖かった」と涙ながらに語ったという。 結局、民事不介入の原則の中で、警察は不正登記未遂として処理した。

財産よりも守りたかったもの

贈与ではなく、相続としてやり直すことになった。 故人が残した思い出や感謝の言葉は、登記簿には記録されない。 だが、それが人を動かすきっかけになることもある。

サトウさんのひと言と静かな帰路

「ま、よくある話ですね。人の家にまつわる欲と情、両方揃って」 サトウさんは相変わらず淡々としていた。 帰り道、夕陽を見上げながら、ひとりごちた。「俺も、誰かに家を残せるのかなあ」

彼女の塩対応はいつも通り

「シンドウさん、そういうセリフは焼き鳥屋で言ってください」 そう言って彼女はさっさと歩き出す。 やれやれ、、、今日もまた、口では敵わなかった。

登記簿には書かれない物語

司法書士の仕事は、紙の上でしか物事が動かないと思われがちだ。 だが実際には、人の心と人生の岐路に、そっと手を添えるような仕事でもある。 移転されたのは、ただの所有権だけじゃない。誰かの思いと、もうひとつの命だったのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓