若い依頼人とのやりとりは思ったより気を使う
最近、年下の依頼人が本当に増えた。昔はご年配の方が多かったが、今は30代どころか20代も珍しくない。「司法書士の先生」なんて呼ばれはするものの、実際は上下関係などあってないようなものだ。こちらが年上でも、相手は依頼人。言葉のトーンや間の取り方まで、神経を使う場面が増えた。相手を立てながらも、こちらの仕事の説明責任を果たすには、相当なバランス感覚が必要になる。
上下関係よりも「距離感」の調整が難しい
年齢的には自分の方がはるかに上だが、相手はこちらを「サービス提供者」として見ている。上司と部下のような縦関係ではない。まるでスポーツジムのトレーナーと会員のような関係。あちらは自分のペースで話すし、こちらの助言もすぐに受け入れるわけではない。言い方ひとつで「この人、古いな」と思われかねない。かといって妙に砕けると信用されない。絶妙な距離感の取り方に、毎回神経が磨り減る。
なれなれしさと丁寧さの板挟み
たとえば、ある日20代後半の起業家風の男性が登記の相談に来た。彼は最初からタメ口で、「で、それっていくらっすか?」と聞いてくる。内心「ん?」と思いながらも、冷静に「こちらの手続きは○○円になります」と丁寧に返すと、「へえ、意外と安いんすね!」と笑う。この「意外と」という言葉が地味に引っかかった。バカにされているわけではないが、軽く見られているようで居心地が悪い。かといってムッとするのも大人気ない。そんな場面が1日に何件もある。
「先生」って呼ばれてもまったく偉くない現実
「先生、ありがとうございます」と言われても、心から感謝されているとは限らない。形式としての「先生」は、いわばマナーの一種だ。実際のやりとりでは、相手がこちらの提案に疑問を挟んだり、「ネットで見たんですけど」と調べた知識で指摘してきたりする。それに答えられないと「なんだ、知らないのか」という目を向けられる。先生という肩書きは、時に虚しい。実力と信頼がなければ、ただの飾りにすぎない。
気づけば言葉を選ぶだけで1日が終わっている
一日を振り返ると、資料作成よりも「話すこと」に時間とエネルギーを使っている。しかもただ話すだけでなく、言葉を選んで、相手の反応を見て、また調整する。この作業が地味に消耗する。話し相手が年下であればあるほど、その調整は繊細になる。「傷つけないように」「上から目線に見えないように」そんな意識ばかりが先立って、こちらの主張がぼやけることもある。プロとしては失格かもしれないが、現実はそんなにスマートにいかない。
敬語もカジュアルも通じない相手の正体
年下の依頼人は、こちらの話し方に対して過敏だったり、逆に無関心だったりする。あるとき、「こちらの資料は来週火曜には整います」と言っただけで、「火曜って祝日ですけど、大丈夫なんですか?」と指摘された。一瞬で冷や汗が出た。細かくチェックしてくれるのはありがたいが、その後も「あ、LINEとかで送ってくれます?」と軽く言われたときには、「いやいや、LINEはちょっと…」と返すのが精一杯だった。
やたらとスマホを見ながら話す依頼人たち
若い依頼人の多くは、こちらの説明中にもスマホをいじっている。「メモ取ってるんです」と言われれば何も言えないが、たまにSNSを開いているのが見えることもある。話しているこちらとしては、やる気を削がれる瞬間だ。つい「ちょっとは聞いてくれよ」と言いたくなるが、それを口に出せる関係でもない。むしろ「スマホを使いこなせない人」と思われたくなくて、無理して用語をググったりしてしまう自分が悲しい。
「ネットに書いてありましたけど」が地味に刺さる
相談の終盤でよく出てくるのが、「ネットでこういうケースもあるって見たんですけど…」という言葉。こちらの説明が終わった後に言われると、まるで「ちゃんと調べてるんですか?」と詰められているような気持ちになる。ネットの情報がすべて間違っているとは言わない。でも、文脈も責任もない情報と、現場で判断してきたこちらの経験を、同列に扱われるのはやっぱり悔しい。そんなとき、ふと「俺、何やってるんだろう」と思ってしまう。
自分の中のプライドとどう付き合っていくか
若い依頼人に振り回されながらも、こちらにはこちらの矜持がある。「経験だけは負けない」という自負もあるが、それを見せびらかすような態度はNG。だけど、まるで年下に媚びるような対応をしている自分を見ると、たまに情けなくなることもある。どこで線を引くか、毎回自問自答している。
「こんなに気を使ってるのになぁ」と思ってしまう
自分では相当丁寧に、相手を立てて話しているつもりなのに、軽くスルーされたり、雑に扱われたりすると、ちょっと虚しさが込み上げてくる。こういう感情を事務員に漏らしても「気にしすぎですよ」と一蹴されるのがオチ。だけど、この仕事を長く続けていくなら、感情の処理方法を見つけないとやってられない。
元野球部だった頃の上下関係が邪魔をする
高校時代は野球部で、先輩後輩の関係は絶対だった。そんな感覚がまだどこかに残っていて、年下に敬語で対応したり、下手に出るのが心のどこかで引っかかっているのかもしれない。あの頃は「年下が偉そうにするな」と思っていたが、今は「年上が威張ってる時代じゃない」とわかっている。それでも、無意識の葛藤が疲れの原因になっているように思う。
それでもこちらから辞められない理由がある
じゃあ辞めればいいかといえば、そう簡単ではない。仕事はありがたいし、依頼人が若いからこそ、将来につながるご縁になる可能性もある。疲れるのは事実だが、それ以上に得るものがあるのも事実だ。だから、今日もまた、言葉を選びながら笑顔で対応するしかない。
仕事があるありがたさと矛盾する気持ち
愚痴ばかり言っているが、実はありがたいと感じている部分もある。田舎で司法書士として生き残っていくには、若い依頼人の存在は貴重だ。彼らがいなければ、未来の売上はどんどん細っていく。そう考えると、少しの我慢や気遣いくらいは、必要経費なのかもしれない。
独立している以上、我慢するのも仕事のうち
誰かに守られているわけじゃない。自分が看板であり、責任者であり、最後の砦だ。だったら我慢して当然、というのが独立開業の現実。それでも時折、「なんで自分だけがこんなに気を使ってるんだろう」と思う夜もある。それがまた明日の糧になっているのかもしれないけど。
事務員の前では愚痴を飲み込む自分がいる
事務員の前で「疲れた」「もう嫌だ」なんて言えない。彼女も大変なのはわかっているし、気を遣ってくれているのも伝わってくる。だからこそ、愚痴はここにこうして書くしかない。口に出せない本音がたまっていくけれど、それもまた、地方の司法書士のリアルな日常だ。
モテない男の仕事場に癒しはあるのか
気づけば今日も1日、年下に気を遣って終わった。帰っても誰もいない部屋。晩飯はコンビニ弁当。モテない男の司法書士に、ドラマのような癒しの場面はない。それでも、ふとした「ありがとう」の一言に救われることもある。だから、やめられないのかもしれない。
優しさを勘違いされないようにしているのに
優しく接しているだけで、勘違いされるのも嫌だし、されないのもまた寂しい。どっちに転んでも虚しいって、どういう罰ゲームなんだろう。そんなことを考えながら、明日もまた「先生」と呼ばれて、誰かに気を遣う1日が始まるのだろう。
たまには「先生、すごいですね」って言われたい
実はこれが一番の本音かもしれない。「先生、さすがですね」「助かりました」と、素直に言ってもらえると、ああ、やっててよかったなと思える。評価されたいわけじゃないけど、ちょっとは報われたい。そんな期待を胸に、また一件、依頼を受けてしまうのだ。