連休の予定は洗濯掃除沈黙だけどそれでもやることは山積み

連休の予定は洗濯掃除沈黙だけどそれでもやることは山積み

連休の予定は洗濯掃除沈黙だけどそれでもやることは山積み

連休だからこそ見えてくるものがある

世の中が連休モードに入ると、どこか気持ちがソワソワする。とはいえ、この年齢になっても予定は「洗濯」「掃除」「沈黙」。それだけといえばそれだけなのだが、不思議なもので、何もないはずの時間にこそ、自分の中に溜まっていたものが噴き出してくる。ふだんは書類や登記に埋もれて感じない「空白」や「音のなさ」が、連休には妙に大きく感じられる。せっかくの休みなのに、どこにも出かけず誰とも会わず、ただ一人でいるだけで、逆に心のノイズが大きくなる。

仕事が止まったはずなのに気持ちは落ち着かない

この数ヶ月、バタバタと依頼が重なって、処理に追われる日々だった。祝日なんて、正直「関係ない」が本音だ。しかし、いざ連休になって事務所の電話が鳴らないと、それはそれで不安になる。まるで「社会から切り離された」感覚。自分がいなくても世界は回っている、そんな当たり前のことを実感させられる時間だ。仕事が忙しい時は「ああ、休みたい」と思うくせに、実際に休みになると「何もない」ことが怖くなる。結局、心が休まることはあまりない。

洗濯物の山は現実逃避を許さない

溜まりに溜まった洗濯物。特に冬の毛布やタオルは重くてかさばる。洗濯機を何度も回して干す頃には、すっかり夕方になっていたりする。でも不思議と、「干す」という行為は頭を空っぽにしてくれる。畳むときにふと、事務員の制服の洗い替えが目に入ると、「ああ、俺は一人じゃないんだ」と思えることもある。でもそのあと、やっぱり誰もいない部屋に戻って一人で夕飯を食べると、乾いたタオルよりも、自分の心のほうがパリパリに乾いてる気がする。

静かすぎる事務所が怖くなる日

連休中は事務所に誰も来ない。普段なら、朝一の来客や登記の電話対応、銀行とのやりとりなどで慌ただしいのに、連休はすべてが止まっている。PCのファンの音と自分のタイピングだけが空間を支配する。最初は「静かで快適」と思っていたけど、それが三日も続けば、静けさが重荷になってくる。独身男性の事務所というのは、放っておくとどこか無機質で、時間が止まったような錯覚に陥る。

鳴らない電話と誰もいない空間

スマホの通知も鳴らない。LINEも営業メールだけ。電話も鳴らない。誰も来ない。この「何も起きない空間」にいると、自分がただ存在しているだけでいいのか、ふと不安になる。掃除機の音すら恋しくなる。事務所の観葉植物に水をやっても、成長してるのかしてないのかもわからない。誰とも会わない日が続くと、自分の役割も存在も薄まっていく気がして、心が静かにザワつく。

沈黙は自由じゃなくて孤独だった

「誰にも会わない自由」と言えば聞こえはいいけど、実際に沈黙に包まれると、それは孤独の別名でしかない。音がないということは、誰かと笑うことも、相談することもないということ。かつて野球部で、誰かと肩を並べて声を張っていた日々が、遠い夢のように思える。声を出すことも少なくなり、笑うことすら少なくなっている。沈黙が快適だったのは若い頃までだったのかもしれない。

予定のない休日が一番疲れるという事実

何も予定がない休日というのは、想像以上に疲れる。予定があれば体力は消耗するが、精神はむしろ満たされる。でも一日中家にいて、部屋の掃除や片付けをしていると、充実感の代わりに「何も成し遂げていない感覚」だけが残る。仕事とは違って、結果が目に見えづらい。綺麗になった部屋を見ても、心のざわつきは拭えないことが多い。

掃除で気が紛れるのは一瞬だけ

床を拭き、窓を磨き、書類の山を整理していると、その瞬間は確かに気が紛れる。特に書類の整理は「自分が何かを片付けられる存在だ」と思わせてくれる。でも、片付け終わってソファに座った瞬間、「で、これが何になるのか」と思ってしまう自分もいる。虚無感は綺麗になった部屋の隅にしっかり残っていた。

自分のための掃除は空しい作業

掃除も洗濯も、結局は自分のための作業だ。他人のためなら「ありがとう」が返ってくるかもしれないけど、自分のためだと、終わった後の「達成感」は案外小さい。誰も褒めてくれないし、誰にも気づかれない。それでもやらなければ部屋は荒れていく。だから黙々と続ける。空しいと分かっていても、やめられない。むしろ空しさをごまかすためにやっているのかもしれない。

埃は溜まるのに会話は増えない

掃除機をかければ埃は消える。雑巾で拭けば汚れは落ちる。でも、人との会話はそうはいかない。誰かに電話してみようと思っても、話す内容が浮かばない。用もないのに連絡するのは、少し勇気がいる。結果、今日も誰とも会話をせずに一日が終わる。埃は減ったけど、孤独は減らない。それどころか、静かな部屋の中で、余計に際立っていく。

他人と比べてしまう癖が抜けない

同級生がSNSで家族旅行の写真を載せているのを見ると、どうしても自分と比べてしまう。いや、比べたところで意味がないと分かっていても、「自分だけが取り残されているような気分」になる。司法書士としてはそれなりにやれているつもりでも、一人の男としての人生はどうなのか。つい、そんなことを考えてしまう。

家族の話をされるたびに沈黙する自分

依頼人から「うちの息子が司法書士を目指してて」とか、「連休は孫が来るんですよ」と言われるたび、少しだけ言葉に詰まる。「そうなんですね」と笑って返すけど、心のどこかで波が立つ。自分にはそういう話をする相手もいないし、話題もない。仕事上の会話はできても、プライベートの会話は誰とも交わせない。連休がそれを強く思い出させてくる。

元野球部の俺が孤独にスライディングしている

昔は泥だらけになっても笑っていられた。負けても仲間と一緒にいた。それが今では、スーツ姿で一人パソコンに向かい、書類の山に突っ込んでいく毎日。まるで誰にもタッチされないまま、孤独にスライディングしているようだ。滑り込んだ先には誰もいない。ホームベースも、観客もいない。そんな光景がふと頭に浮かぶと、笑うしかない。

モテないのも慣れたけど笑えない夜もある

もうモテないのは慣れた。誘われないのも当たり前。でも、夜ふと目が覚めたとき、誰もいない部屋の天井を見上げて、「俺って何やってんだろ」と思う瞬間は、何年経っても笑えない。人には「仕事が生きがいでしょ」と言われるけど、それだけじゃ満たされない夜もある。そんなときは、翌朝の洗濯を思い浮かべて、自分をごまかすように眠りにつくのが精一杯だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓