気づいたら家に帰るのがめんどくさくなっていた
仕事が立て込んでいるときは「今日はもう事務所でちょっと残って片付けてから帰ろう」となる。最初はそれだけだった。でも気づけば、残ってるのが当たり前、というより「帰るのがめんどう」になっていた。家に帰ったって風呂に入って寝るだけ。だったら事務所でそのまま座って寝落ちしても、たいして変わらない。そんな風にして、いつの間にか「帰る」という行為が自分の中で優先順位の下の方に落ちていった。
帰る理由より残る理由の方が多くなった夜
昔は「仕事が終わったら帰る」って、当たり前だった。でも今は、「この資料だけ終わらせておきたい」とか、「郵便物を朝イチで出したいからもう泊まってしまえ」とか、残る理由がどんどん増えていく。自分でも呆れるけど、たまに事務所にカップラーメンを常備してると、もう「一泊しても何も困らない」環境が整ってしまっている。そうなるともう、人はどんどん動かなくなる。
夜の静けさが仕事にちょうどいい
昼間の電話や来客が一段落して、夜の事務所にひとりポツンといると、妙に落ち着く時間が流れる。キーボードを打つ音とエアコンの低い唸り声しか聞こえない空間は、逆に集中できてしまう。これは悪循環だとわかっていても、そういう時間帯に限ってはかどってしまうのが現実。そしてまた、「ここにいた方が効率がいい」という言い訳が積み重なっていく。
ただ、布団を敷いたらもう戻れない気がする
まだぎりぎり、「布団は敷いていない」。それが自分なりの一線。床にクッションを置いて仮眠するまでは許しているけど、ちゃんとした寝具を持ち込んだら、もうそこで“暮らす”ということを認めてしまう気がする。だからこそ、その一線だけは越えないようにしている…けど、寒い冬の深夜、こたつでもあったら、たぶんあっさり越える自信がある。
事務所にスリッパが増えた理由
最初は来客用にと買ったスリッパだったのに、いつの間にか自分用、事務員用、予備、と増えていった。しかも、それぞれのスリッパに微妙な「愛着」が芽生えている。来客用はなるべく綺麗に保ち、自分用は少しへたってきているけど手放せない。そんな“生活のにおい”が、事務所の片隅にどんどん蓄積されていく。
宅配便を受け取るたびに足元が気になって
宅配便のお兄さんが来るたび、素足で応対するのが気まずくて。最初は靴を脱がないままだったのに、「ちょっとだけ楽にしたい」と思ってスリッパを導入した。そこからが始まりだった。スリッパがあることで、ちょっとしたくつろぎが生まれ、それが逆に「ここで暮らせるかも」という錯覚を生む。快適さって恐ろしい。
あれこれ置いてるうちに生活感が増していく
加湿器、アロマ、予備の靴下、着替え用のシャツ。最初は「念のため」だった。でも“念のため”が“毎度のこと”に変わるのは一瞬だ。机の引き出しには歯ブラシと歯磨き粉、冷蔵庫には豆乳と納豆。誰がどう見ても生活しているようにしか見えない。それでも自分では「いや、ここは事務所だから」と言い訳し続けている。
「このコーヒーどこで買ってるの?」ってお客さんに聞かれた日
ある日、相談に来たお客さんに「先生の淹れてくれたコーヒー美味しいですね。どこで買ってるんですか?」と聞かれてドキッとした。その豆はAmazonの定期便で届けてもらっている自宅用のもので、普段は事務所でしか飲まない。「あ…ああ、まあ、ネットで」とごまかしたけれど、もう事務所が生活の拠点になっていると薄々気づかれているんだと思う。
朝の出勤時間が無意味になった日
一応、自宅と事務所は別れている。でも、朝のルーティンが崩れた日から「別れている意味」はなくなってしまった。5分で来られる距離なのに、帰らずに泊まるという矛盾。自分でもバカだと思うけれど、机の横に積んだ書類を見ると、帰ること自体が後回しになってしまうのだ。
自宅と事務所の境目が消えた瞬間
かつては「帰宅後は仕事のことは考えない」が自分の中のルールだった。ところが最近では、自宅のトイレより事務所のトイレの方が落ち着く始末。これってもう、居場所が入れ替わってるということだ。プライベートの時間すら、事務所で過ごすようになって、だんだん「境目」があいまいになっていった。
「通勤時間ゼロ」の代償
誰もが羨む“通勤時間ゼロ”。だけどそれは、オンとオフの切り替えがなくなることと同義でもある。通勤って、実はリセットの儀式だったのかもしれない。電車に揺られて頭を切り替えることがなくなって、結果としてずっと“仕事中”のままになってしまう。これ、結構しんどい。
この生活でいいのかとたまに思う
事務所に長くいることが当たり前になると、自分の人生の輪郭がぼやけてくる。仕事と生活の境がなくなった今、ふと「これでいいのか」と立ち止まることがある。結婚のことも、老後のことも、誰かと暮らす未来も、見えそうで見えない。
誰かと暮らす未来が見えなくなった
恋愛が面倒になったとか、興味がなくなったわけじゃない。ただ、毎日事務所で過ごす中で、人と接する時間も場所も極端に減っている。いざ「出会いを」と思っても、事務所に誰かが飛び込んでくるわけじゃない。気がつけば、他人との距離の取り方を忘れてしまいそうな自分がいる。
事務所の明かりが心の灯になりかけている
夜遅く、誰もいない商店街の中で、ぽつんと事務所の灯りだけがついている。その光に安心してしまう自分がいる。誰にも迷惑をかけず、誰にも期待されず、ただ静かに働ける場所。それが“心の拠り所”になってしまっている現実に、少しだけ怖さを覚える。