仮登記簿の裏に眠る真実

仮登記簿の裏に眠る真実

仮登記簿の裏に眠る真実

その朝、事務所の電話が鳴ったのは、コーヒーに口をつけたばかりの時だった。見慣れない市外局番。電話の向こうの年配女性は、ひとこと「登記簿に知らない名前がある」と言った。

こういうのは、大抵は旧姓や親族の関係で落ち着くのだが、今回は何かが違った。声が震えていたし、なにより「夫には内緒で調べたい」と言う。これは波乱の予感がした。

サザエさんなら波平が「ばっかもーん!」と叫ぶ展開だろうが、現実はもっとややこしい。地味で、根が深くて、そして、、、なぜか司法書士の出番になる。

朝一番の不審な電話

「夫の名義で買った土地なんですが、仮登記が誰か他人の名前になってるみたいなんです」――その一言に、背中がすっと冷えた。

仮登記はあくまで暫定的なもので、本登記が完了すれば消える。しかし、その仮登記が今になって問題になるのは、たいてい理由がある。何より、相続や贈与で揉めているときに多い。

依頼人の声に混じるのは、怒りよりも不安だった。こりゃ、調べるしかない。

古びた謄本と消された名義

法務局で取り寄せた登記事項証明書を見て、俺は思わず目を細めた。確かに仮登記欄には、知らない名前が記載されている。そして、その後に線が引かれ、末尾には「更正」とある。

これは何かを隠している痕跡だ。訂正された記録は、原本の履歴に残っている可能性がある。俺はふと、何年も前に見たマンガ「金田一少年の事件簿」の一話を思い出した。見えない消しゴムで消された文字、あれと似てる。

「やれやれ、、、これはまた、骨が折れそうだ」

サトウさんの冷静な推理

「この仮登記、いわゆる買戻し特約が絡んでますね」

事務所に戻って事情を話すと、サトウさんはノートPCを閉じながら言った。仮登記の中には、将来的に権利を移転させる前提でなされるものがある。だが、それが数十年放置されると、話が変わってくる。

「たぶん、この登記を入れた人、もう亡くなってますよ。戸籍と附票を調べましょうか」――この人、なんでそんなに冷静なんだ。

登記官の不可解な一言

再び法務局へ出向く。登記官に事情を話すと、彼は一言「これは当時、相当揉めた案件ですね」と言った。

曰く、昭和の終わり頃、この土地には建て売り住宅の話が出ていたという。その前段階で仮登記を入れていた男がいたが、名義を移す直前に死亡。そのまま売主も倒産し、宙ぶらりんになった。

まるで、長谷川町子先生の原稿が途中で止まったまま世に出たかのような中途半端さだった。

昭和の借地と謎の増築

さらに調査を進めると、この土地には借地権も絡んでいたことが判明。昭和54年に設定された地上権、それがなぜか抹消されていない。

しかも現地を訪ねてみると、当初の建物に違法な増築が施されていた。あれはたぶん建築確認も通っていない。昔はよくあったが、今となっては立派な問題案件。

こりゃもう、法務より建築の分野になってきたな、、、。

訂正印に潜む罠

仮登記の一部に訂正の印が押されていた。古いタイプのゴム印で、判読しづらい。だが、司法書士の目はごまかせない。

訂正理由が「誤記」とされているが、どう見ても意図的なものだ。別人の名義を入れようとして、それを後から打ち消したような形跡がある。

「こういうの見ると、逆にワクワクしてしまうのが性なんだよな」そう思った自分に、ちょっと引いた。

旧姓のままの委任状

依頼人から預かった古い委任状には、旧姓がそのまま使われていた。しかも、その記載が元の仮登記と一致する。

つまり、依頼人は知らぬ間に、自分の名義で仮登記を入れられていた可能性があるということだ。

「この時代の女性、結婚しても旧姓のまま仕事してる人、多かったんですよね」と、またもやサトウさんが冷静に言う。

司法書士会の旧友が語ったこと

司法書士会の研修で顔を合わせた旧友に、この事案を話したところ、彼は「ああ、それ、たしか親子で揉めた話だったよ」と言った。

「登記をめぐって、実の息子が父親を訴えてたって話。たしか、和解になったけど、登記だけはそのままになってたはず」

記録には出てこない情報が、人の口から漏れてくる。これが現場ってやつだ。

消えた登記申請の控え

法務局の保存文書にあったはずの登記申請書控えが、なぜか見当たらない。廃棄期限前のものなのに、無い。

これは明らかにおかしい。もしかしたら、内部で誰かが処理を急いだのか。申請人、代理人、受理者――その三者の名を手帳にメモしておく。

俺の中で、ようやく事件の全貌がつながり始めた。

事件を結ぶ地積測量図

最後の鍵は、地積測量図だった。そこには、なぜか実際の土地と異なる面積が記載されていた。

これは意図的なものだ。登記された仮登記は、実際には隣地の一部を含んでいた。つまり、仮登記で他人の土地まで囲っていたということだ。

「これは、、、悪質ですね」サトウさんの声にも、珍しく怒りがこもっていた。

意外な名義人の正体

調査の末、仮登記の名義人は依頼人の亡き母親だった。旧姓で記載されていたため、依頼人自身も気づいていなかったのだ。

そして、その母親が土地購入時に資金を出していたことが分かった。つまり、実質的な所有者は母親で、夫の名義は便宜的なものだった。

夫に隠れて調べたいというのは、そういう事情だったのだ。

戸籍の附票が示す足跡

戸籍の附票をたどると、依頼人の母が当該地に住民票を置いていた記録があった。

これで、仮登記の正当性が裏付けられた。あとは、この履歴を基に所有権の移転を行えばよい。

やっと、真実が一つつながった気がした。

怪しい地元業者の正体

当初の売買に関与していた地元業者は、既に廃業していた。しかし、元従業員の一人が市内で不動産コンサルタントとして活動していた。

「ああ、その登記、あの社長が無理やり押し込んだやつだね」と、あっさりと認めた。

昔は「何でも屋」的な業者が多かった。悪気はなくても、やり方が雑なのだ。

火災保険証券の不一致

火災保険の契約者名が仮登記名義と異なっていた。こういう小さな齟齬が、司法書士の目には引っかかる。

調べてみると、最初の契約は依頼人の母名義で行われ、その後に夫名義に切り替わっていた。

これが、すべての謎をつなぐ最後のピースだった。

解決と静かな日常の戻り

俺は登記原因証明情報をまとめ、仮登記抹消と所有権移転登記を完了させた。

依頼人は小さく頭を下げ「これでようやく母も、浮かばれます」と呟いた。

俺はうなずきながら、コーヒーを一口。「やれやれ、、、やっと終わったか」

書類一枚で暴かれた虚構

仮登記という法的な建前、その裏には人の思惑や忘れられた感情が積み重なっていた。

ただの不一致だと思われていた記載ミスも、丹念に掘れば歴史が浮かび上がる。

紙一枚が、時として真実より雄弁だ。

そして誰も得をしなかった

この事件で誰かが得をしたわけではない。むしろ、長年の誤解と放置が多くの人に小さな傷を残しただけだった。

それでも、司法書士として、そこに関われたことが、少しだけ誇らしかった。

夕暮れ、静かな事務所に戻ると、サトウさんが無言でコーヒーを差し出した。俺はそれを受け取り、ただ一言。

「また、ややこしいのが来ないといいな、、、」

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓