またかと思った瞬間に始まる一日
朝イチでかかってきた電話。内容は「登記簿謄本ってどこで取れますか?」。前の日にも、たしか同じ内容を3人に説明したばかりだ。思わず「またか」と心の中で呟いてしまった。相手にはそんなこと言えない。丁寧に答える。でも、五回目になると、さすがに自分の声が少し乾いてくる。朝のうちは「元気に対応しよう」と意気込んでいたのに、一発目でその意欲を削がれてしまうのが、なんとも切ない。
同じ質問 同じ説明 それでも声は柔らかく
「はい、それはですね……」と、いつものトーンで話し始める。目の前のパソコンには、急ぎの申請書類が開かれているけど、そんなものより電話優先。それがうちのルール。相手が悪いわけじゃない。制度や言葉が難しすぎるのが原因。でも、こっちは何度も同じ説明を繰り返す側だから、どこかで疲れてきてしまう。相手の不安に寄り添う気持ちが、ちょっとだけ薄れてしまいそうになる。
誰が悪いわけでもない現実
そもそも、登記や法務の仕組みが分かりにくすぎるんだ。普段関わりのない人にとっては、謄本も登記も何がなんだか分からないのが当然。だからこそ説明が必要で、だからこそ問い合わせが来る。だけどその“当然”が、こちらにとっては重荷になる。誰も悪くない。でも、気づいたときには、自分の肩がずっしり重くなっている。
感情を殺すという業務スキル
何度も繰り返すうちに、こちらも少しずつ無表情になっていく。言葉は丁寧でも、感情がこもらなくなる。これは「スキル」と呼んでいいのか分からないけれど、そうでもしないと心が持たない。でも本当は、ちょっとずつ自分の中の“やさしさ貯金”が減っていってるような気がしている。
「それはですね」から始まる虚しさ
電話が鳴るたびに、「もしかしてまた同じ内容じゃないか」という予感がよぎる。受話器を取る前に、深く息を吸って気持ちを切り替える。「それはですね……」で始まる説明も、もう何度目か分からない。声のトーンは一定に保っているつもりでも、心の中ではため息だらけ。なんでこんなに同じ話ばかりしてるんだろう、とふと冷静になってしまう瞬間がある。
手元の書類より電話が優先される矛盾
不動産の売買や相続の案件が机に積まれている。でも、電話が優先。問い合わせがあるからこそ業務が成り立つ。でも、緊急の申請作業が止まり、集中力も切られる。短時間で進めなければいけない業務が、電話一本で台無しになることもある。気づけば夕方、進んでいない書類を見て「今日なにやってたっけ」となる。
繰り返す説明に削られていくもの
一日に同じ言葉を5回も6回も言っていると、自分の言葉が「定型文」に思えてくる。「ここは、法務局で取得できまして……」と口にしながら、頭の中では「あと何回言えば終わるんだろう」と数えてしまっている自分がいる。そうして削られていくのは、時間だけじゃなく、自分の気持ちそのものだ。
事務員の視線が痛く感じる時
電話を切ったあと、ふと顔を上げると、事務員の彼女と目が合う。軽く笑って「また同じ質問だったわ」と言えばいいのに、口から出るのは「もう勘弁してくれよ……」というぼやき。彼女は苦笑いしながらも「大変ですね」と優しく言ってくれる。でも、その視線がなんだか痛く感じてしまうことがある。
電話を切った後の沈黙
5回目の同内容の電話を終えた直後、ふと訪れる沈黙。その時間が一番つらい。誰かに文句を言いたい。でも言っても仕方ない。そうして自分の中で溜まっていくモヤモヤ。独り言でごまかすけれど、なんだかむなしい。誰かが「それ、大変ですね」と一言言ってくれれば少し楽になるのに、その言葉すら期待できない日もある。
「あの人またですか」のひとことに苦笑
事務員が小声で「またあの方ですか?」と聞いてくると、思わず笑ってしまう。でも、それは苦笑いだ。本音では「勘弁して」と叫びたい。でも、同時に「また頼ってくれた」と思う気持ちもある。感情が複雑に絡まりあって、自分の中で答えが出ないまま、次の電話が鳴る。
助けてくれる存在がいても孤独
事務員がしっかりしていて、業務を支えてくれていることは本当にありがたい。だけど、最終的な責任はすべて自分にある。その重みがある限り、どこか孤独感が抜けない。助けてもらっても、支えてもらっても、心のどこかが満たされないまま時間だけが過ぎていく。
本当は怒りたいわけじゃない
一日に5回も同じ説明をしていれば、さすがにイライラもしてくる。でも、それを表に出したくないし、出すべきではない。だからこそ、自分に対して腹が立ってくる。「こんなことでイライラしてる自分」が嫌になる。でもそれが現実だ。きれいごとだけではやっていけない。
イライラの正体は自己嫌悪
怒りの矛先は、相手よりも自分に向くことが多い。「なんでこんなことでつまずいてるんだ」「なんでまた同じ対応してるんだ」と、自分に対する苛立ちが募る。その結果、自己肯定感はどんどん下がっていく。誰も悪くない。でも誰も助けてはくれない。それが地味にこたえる。
「これくらいでイラつく自分」が嫌になる
本当はもっと大らかでいたい。でも、日々の小さなストレスが積み重なると、ほんの些細なことで心がぐらつく。「そんなに怒ることじゃないよな」と自分に言い聞かせるけど、言い聞かせ続けること自体がもう限界を越えているサインだったりもする。
でも、ちゃんとしないと仕事にならない
感情に任せて投げ出すわけにはいかない。司法書士という仕事には、冷静で論理的であることが求められる。それが分かっているからこそ、どんなに心が折れそうでも、淡々と仕事を続けるしかない。でも、そうして押し殺しているものが、いつか自分を壊してしまいそうな気がする。