朝のルーティンすら崩れるスタート
一日のはじまりくらいは穏やかに迎えたい。そう願っているのに、現実は毎朝バタバタだ。アラームを止めて、ふと目を閉じたら次に目を開けたときには30分経っていた。朝ごはんを食べる時間もなく、スーツを着ながらメールをチラ見して、ああ今日も始まったと頭を抱える。ルーティンなんて言葉は私には縁がない。
起きた瞬間から予定外
起きた瞬間から何かがおかしい日は、だいたい全体的にぐちゃぐちゃになる。例えば、朝から雨が降っていて、急いで車に乗ったらワイパーのゴムが取れていたことがあった。いつか変えようと思っていたが「いつか」は今日だったらしい。その日は依頼人との約束が朝イチで、遅れるわけにはいかず、コンビニで傘を買って走る羽目に。朝から疲れ切った顔で登場すれば、相手の印象も最悪。リカバリーに神経を使って、結局その後の予定もずれ込む。
電話一本でスケジュールは総崩れ
事務所に着いて一息つく間もなく鳴り出す電話。最近は急な依頼も増えている。たとえば「至急で相続登記をお願いしたい」と電話口の声。事情を聞けば納得はするが、なぜ皆ぎりぎりまで待つのか。スケジュール帳に線を引いた意味が消える瞬間だ。そこから予定を組み直し、事務員にも指示を飛ばし、気づけば午前の仕事が終わっていたりする。
法務局で味わう理不尽
書類を持って法務局に向かう。誰よりも丁寧に、不備のないように準備したはずなのに、窓口で突き返されると本当にへこむ。担当者によって対応がまちまちなのも、理不尽さに拍車をかける。
窓口で説明しても伝わらない
以前、必要書類を一覧にして説明しながら提出したのに、「この書類が足りません」と一点張りされた。こちらの説明も途中で遮られ、結局一度持ち帰ることに。結局それが誤解だったと後日分かり、「あれで良かったんです」と言われても、交通費と時間と労力は戻らない。腹が立つというより、ただただ虚しい。自分の無力さを思い知らされる。
こっちは正確にやってるのに
登記って、一つのミスも許されない。だからこそこちらも慎重にやっている。それなのに、窓口での一言で「間違ってる」と決めつけられると、信頼してもらえていないようで本当に悔しい。たまたま窓口の職員が新人だったと後から知ったが、それならそれで上司を呼んでほしかった。間違っていない自信があったからこそ、悔しさが何倍にもなる。
説明の途中で遮られるあの感じ
一番つらいのは、ちゃんと説明しているのに「はい、でも」と食い気味で返されるとき。こちらの経験も知識も、相手にとってはどうでもいいのかもしれない。そんなふうに感じてしまう日が続くと、書類を作る気力さえ奪われていく。自信って、崩れるときは一瞬なんだと、何度も思い知らされている。
依頼人のドタキャンに思うこと
予約していた時間に来ない。連絡もない。司法書士という仕事は時間との戦いなのに、ドタキャンひとつで段取りが全部狂う。そんなことが週に何度も起こると、さすがに疲弊する。
こっちは時間を割いてるのに
こっちは準備をして、資料をまとめて、事前に時間を確保している。でも、来ない人は本当に来ない。しかも悪びれもせず後日「ちょっと忘れてて〜」と言われたりする。怒りよりも、虚しさの方が勝つ。こんな調子では、まじめに準備する意味すら疑ってしまう日もある。
無断キャンセルが続くと心が折れる
一度や二度なら「仕方ない」と思える。でも、何度も続くと「自分の価値って何だろう」と思ってしまう。医者や弁護士のキャンセルには気をつかうのに、司法書士は軽く見られている気がしてしまう。もちろん全員がそうじゃないけれど、何も言わずにキャンセルされると、心がポキッと折れる音が聞こえる気がする。
うまくいかない日々と向き合う力
予定通りに進まない毎日。失敗、トラブル、理不尽、そして誰にも気づかれない努力。そんな日々を繰り返すうちに、「全部うまくいく日なんて本当にあるのか」と思うようになった。けれど、少しずつでも前に進んでいれば、それで良いのかもしれない。
愚痴は吐いてもいいと思う
仕事をしていると、どうしても溜まるものがある。愚痴を吐くなと言われるけれど、それすらできなければ心が壊れてしまう。私はこうして文章にすることで、自分を保っている。愚痴を吐ける場所がある、それだけで救われることもある。
それでもまた朝は来る
どんなに最悪な一日だったとしても、次の日はまた朝が来る。そして気づけば、少し笑えるような日もある。たった一つ、予定がうまくいっただけで「奇跡だな」と思えるようになった自分もいる。だから今日もうまくいかなくても、まあいいか。そんな気持ちで、また一日を始める。