逆さ印鑑で全やり直し無言で直すしかなかったあの日のこと

逆さ印鑑で全やり直し無言で直すしかなかったあの日のこと

地味なミスが引き起こす地獄のやり直し劇

司法書士の仕事において、正確さは命だ。たった一文字の間違いで補正が入り、たった一つの印鑑の押し間違いで全てをやり直す羽目になる。そんなこと、頭では分かっていたはずなのに。ある日、いつも通り忙しくも黙々と進めていた業務の中で、うっかり印鑑の上下を逆に押してしまった。しかもそれに気づいたのは、書類を綴じ終えた直後。愕然とした。大きなミスではない。いや、一般的には「そんなことで?」と思われるような些細なこと。でも、それがこの業界では命取りになることを、そのとき改めて思い知らされた。

何が起きたか たった一つの逆さ印鑑

朝からバタバタと登記申請書類を仕上げ、ようやく完成したと思ったその瞬間。机の上の朱肉に目をやると、押したばかりの印影が目に入った。なんか違和感がある。じっと見つめて気づいた。「あっ、逆さだ……」あの瞬間、時間が止まった気がした。誰にも見られていないのに、背中に冷や汗が流れる。印鑑の上下を間違えるなんて、小学生でも気をつけるレベルのミス。それを45歳、現役の司法書士がやらかしたのだ。恥ずかしいとか、情けないとか、そういう感情が一気に押し寄せた。

書類を綴じ終えた直後に気づいた違和感

この時すでに書類は製本済み。ホチキス止めもして、白い製本テープで閉じて、きれいにタイトルラベルまで貼り付けたあとだった。つまり、一番最後の工程で気づいてしまったということ。やり直すには、全部バラして、印鑑ページだけ差し替え…とはいかない。何しろ製本後の差し替えは基本NGだ。やるしかない。最初からすべて。慣れてるようで心はずっしり重たい。この日、たぶん10秒くらい動けなかった。

事務員さんの目線が痛いのは気のせいか

黙ってやり直しを始めた自分を、事務員さんがチラチラ見てくる。何も言わないけれど、何かを察している様子。彼女は言葉を選ぶタイプだが、内心では「またやってる」と思ってるかもしれない。年齢も半分近く違うし、仕事の効率では時々追い抜かれることもある。別に誰かに責められたわけじゃないのに、ひとりで勝手に自責の念に沈んでいく。そんな午後だった。

訂正印は許されない登記の世界

「訂正印押して提出すればいいじゃん」と思う方もいるだろう。ところが、司法書士の世界ではそう簡単にいかない。登記申請書類においては、訂正印を許される場面は限られているし、そもそも「印鑑の天地が逆」という状態そのものが「無効」とされかねない。ルールに厳格な法務局は、例外を許してはくれない。だからこそ、私たちは毎回、緊張しながら朱肉をつけ、手の震えを押さえて印を押す。

お役所のルールはやっぱり厳しい

書類の正確性を担保するために、法務局が厳格であることは理解できる。だけど、現場の感情としては「もうちょっと柔軟でもいいのに」と思ってしまう。とくにこういう形式的なミスで全体がアウトになると、どうしても理不尽さを感じてしまう。自分の責任なのは分かっている。でも、その一方で「もうちょっと人間らしい対応は…」なんて、つい愚痴もこぼしたくなる。

「まあこれくらいいいじゃん」は通じない

知人の行政書士にこの話をしたら、「うちは訂正印でなんとかなったりするよ」と笑われた。羨ましい。そう、司法書士は「まあいいじゃん」が通用しない世界で生きている。たった一つの逆さ印鑑で、一時間がパア。心も体も削られる。こんな日々が続いて、そりゃあ愚痴も出る。だけど、それでもやるしかないのだ。誰も代わってくれないから。

どうしてそんな単純なことを間違えたのか

人はミスをする生き物だ。分かっている。でも、なぜそのミスが「今」だったのか。なぜ「この書類」でやらかしたのか。考え出すと止まらなくなる。おそらく、それは疲労と集中力の低下、そして慢心が合わさった結果なのだと思う。毎日繰り返す作業に慣れて、どこかで気を抜いていたのかもしれない。そして、そのスキを印鑑が見逃さなかった。

集中力の低下か疲れか加齢か

昔なら、どんなに忙しくてもこんなミスはしなかった。朝から晩まで働いても平気だったし、寝不足でも体が動いていた。でも最近は違う。目はかすむし、集中力は切れるし、ミスをしてもすぐにリカバリできる体力がない。年齢のせいだと割り切ろうにも、心はついていかない。正直、自信がなくなることもある。

連日深夜残業続きのツケが出た

この数週間、業務が立て込みすぎて睡眠時間も食事も不規則だった。事務員さんが先に帰ったあと、ひとりで電気をつけたまま仕事をしていた日も多い。そういう日々の積み重ねが、注意力を奪っていったのだと思う。だからこそ、あの逆さ印鑑は「偶然のミス」ではなく、「必然の結果」だったのだろう。

「なんで俺だけこんなに…」と空を見る昼下がり

窓の外を見たら、抜けるような青空が広がっていた。世の中は平和そうなのに、自分だけが焦って、怒って、落ち込んでいる。ふと、「なんで俺だけ、こんなに苦労してんだろうな」とつぶやいてしまった。誰かに聞かれたら恥ずかしい独り言。でも、たぶんあの日は本音だったと思う。

やり直しにかかる時間と精神コスト

逆さ印鑑のせいで、まるごとやり直し。印刷し直して、製本し直して、また法務局に提出。それだけで1〜2時間が消える。その間にも他の案件は進んでいるし、電話も鳴る。メールも来る。その全部をこなしながら、同じ作業を繰り返すというのは、肉体的にも精神的にも削られる。何もかもが虚しくなる。

申請し直し再製本 再チェック

一度やった作業をもう一度やる。単純なようでいて、実はとてもつらい。人間は、新しいことに挑戦しているときにはやる気が出るけれど、同じことを二度やらされるとモチベーションが一気に落ちる。何がしんどいって、印鑑の位置を直すだけのために、全体をやり直すこの非効率さ。効率重視の現代社会に真っ向から逆行している。

取引先にも平謝りの電話地獄

こちらのミスなので、取引先には謝らなければならない。「すみません、こちらの印鑑に不備がありまして…」と、何度も頭を下げた。相手は「大丈夫ですよ」と言ってくれたけれど、その優しさが逆に心に刺さる。申し訳なさと情けなさで、胸がいっぱいになる瞬間だった。

笑ってくれた相手に救われた気がした

そんな中、「私も昔、印鑑逆に押したことありますよ」と笑ってくれた担当者がいた。救われた気がした。完璧な人なんていないし、ミスは誰にでもある。それを許し合える関係性が、仕事を支えているのだと感じた。だから、私も少しだけ自分を許すことにした。

同じ過ちを繰り返さないために

この逆さ印鑑事件から、学ぶことは多かった。どんなに忙しくても、一つひとつの確認を怠らないこと。見直しの重要性。そして何より、自分の限界を認めること。完璧を目指しすぎて、自分を追い詰めても意味はない。だからこそ、これからは少し立ち止まってでも、丁寧に仕事をしていこうと思っている。

印鑑の上下を確認する習慣をつける

毎回、印を押す前に「上下OK?」と自分に問いかけるようになった。ちょっと滑稽だけど、これが意外と効果がある。ルーティン化することで、逆さ印鑑の再発は今のところ防げている。確認の一手間を惜しまない。それが、結果的に仕事を守ることにつながるのだ。

自分へのチェックリストを作るようになった

人に頼らず、ひとりで全部背負っていると、どうしても抜けが出る。だから、簡単なチェックリストを作って貼っておいた。「印鑑の上下」「誤字脱字」「日付の確認」…そういう基本を、毎回目にすることで初心に戻れる。ミスが起きるのは、注意力より「慢心」から来るものかもしれない。

それでもミスがゼロにならない現実

どれだけ気をつけても、ミスはゼロにはならない。完璧主義だったころの自分は、それが許せなかった。でも今は、少しだけ柔らかくなった気がする。ミスしたっていい。やり直せばいい。その繰り返しの中で、仕事も自分も育っていくのかもしれない。今日もまた、確認を怠らず、静かに印鑑を手に取る。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。