人の契約には立ち会えるのに自分の人生には不在のまま

人の契約には立ち会えるのに自分の人生には不在のまま

気づけば人生の証人ばかりしていた

気づけば、私は毎日のように誰かの人生の節目に立ち会っている。婚姻届の後の登記、離婚後の名義変更、会社設立に伴う定款認証。人の人生が動くとき、そこには必ず「書類」があり、そこに私がいる。ただ、それは他人の物語の一場面。私はあくまで、立ち会い人、傍観者だ。誰かの新たな門出には立ち会えるのに、自分の人生にはなぜかいつも不在のままだ。

毎日誰かの人生の節目に立ち会っている

朝、事務所に届いた書類の山を前に、今日も誰かの人生を処理する一日が始まる。登記情報を確認し、不備のないように神経を尖らせる。電話で丁寧に説明し、依頼人が安心できるように言葉を選ぶ。そうやって毎日誰かの物語の裏方をしているうちに、ふと我に返る。自分の物語のページは、いつからめくられていないのだろう。

自分の決断は後回しで書類ばかり見てきた

書類のチェックは得意だ。記載ミスも、添付漏れも見逃さない。でも、自分の人生の選択についてはどうだろう。恋愛も、結婚も、転職も、すべて「今じゃない」と後回しにしてきた。気づけば45歳。誰かの人生の節目を何百件と見届けてきたのに、自分の人生は一度も改ページされていない気がする。

結婚登記は何度も処理したけれど

結婚による氏の変更登記、共有名義の住宅、二人三脚のスタートを記録する仕事。それを何百件もこなしてきた。でも、自分の婚姻届は出すどころか、書く相手もいない。誰かの幸せを形式にすることには慣れたが、自分の幸せにはまるで無関心だった。

書類上の幸せを眺めてきた独身の自分

正直な話、最初の頃は微笑ましかった。二人の名字が並んだ契約書を見るたびに、「お幸せに」と心の中でつぶやいていた。でも、何年も経つと、その言葉が口からも心からも出なくなる。代わりに出てくるのは、「またか」「遠いな」という気持ち。自分の人生に登場人物がいないことを、嫌でも思い知らされる瞬間だ。

誰にも求められない静かな夜

仕事が終わり、事務所の電気を消して、自宅に戻る。その瞬間から誰にも見られていない自分がいる。テレビの音だけが空間を埋める部屋で、ふと考える。誰かに「今日どうだった?」と聞かれることもないし、「おかえり」と言ってくれる人もいない。そんな夜が、365日続いている。

登記完了の報告はできても気持ちの整理はできない

登記が完了した時の報告は明確だ。「完了しました」「本日付で登記済みです」など、事務的だが安心感のある言葉。でも、自分の気持ちの整理については、そうはいかない。たとえば、寂しさを誰かに言っても、「じゃあ婚活すればいいじゃない」で片付けられる。でも、そう単純じゃない。気力も、タイミングも、そして勇気も、足りていない。

事務所の電話は鳴るのに心は鳴らない

今日も事務所の電話は鳴り続ける。依頼、問い合わせ、時にはクレーム。電話の向こうにいるのは皆、何かしらの「動き」を求めて連絡してくる。でも、自分の中では何も動いていない。仕事に追われ、感情に蓋をして、ただ日々を流している。

依頼はあるけど対話はない

この仕事をしていると、人と関わっているようで、実は深い部分では関わっていない。名前も住所も生年月日も知っているけれど、その人の悩みや夢までは知らない。会話のほとんどは「提出書類」「期限」「印鑑の種類」。その中に人間味はあまりない。そういう会話に慣れすぎて、自分の心も乾いていくのがわかる。

事務員との会話が唯一の人間らしい時間

唯一、心がほっとするのは、事務員とのちょっとした雑談だ。「今日暑いですね」とか「お昼どうします?」とか、そんな他愛もない会話。でも、そのわずかな交流が、今の自分には大事だと感じている。彼女が休みの日は、事務所の空気が一気に冷たくなる。

仕事中の自分は誰かのためでしかない

書類を整え、登記を完了させ、報告する。その一連の流れに、自分の感情を挟む余地はない。まるでコンビニの店員のように、機械的に丁寧に対応する。たまに「助かりました」と言われると嬉しいが、その言葉はすぐに次の依頼にかき消されてしまう。

本当は自分の人生にも立ち会いたい

この仕事を続ける中で、ずっと後回しにしてきたのは「自分の人生に関与すること」。誰かの人生を形にするばかりで、自分の人生は空欄だらけだ。でも、それに気づいた今、少しだけでも取り戻していけたらと思う。立ち会い人から、ようやく自分の人生の当事者へ。

それでもまだ諦めたくない理由

こんな愚痴っぽい文章を書いておいてなんだが、実はまだ少し、人生に希望を持っている。事務所をちゃんと回しているし、誰かの役には立てている。それだけでも、自分はまだ何かを積み上げているのだと思える。だから、たとえゆっくりでも、自分のことも動かしていきたい。

今からでも少しずつ進める手続きがある

人生には、法務局に出す書類はいらないけれど、自分なりの「意志表明」はできる。誰かに会いに行くとか、やりたかったことをやってみるとか。そんな小さな行動が、自分の人生を再び「進行中」に変えてくれると信じている。

小さな一歩に登記簿はいらない

登記簿は、法的な証明にはなるけれど、心の証明にはならない。自分の気持ちにサインするには、書類も印鑑も必要ない。ただ、勇気と少しの行動があればいい。その一歩を踏み出せるように、今日も仕事を終えたら、自分の人生の書きかけページを少しだけ読み返してみようと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。