予定表は空っぽなのに忙しい気がして疲れている

予定表は空っぽなのに忙しい気がして疲れている

予定表は空っぽなのに忙しい気がして疲れている

忙しくないはずの一日がなぜかしんどい

予定が何も入っていない。朝から「今日は余裕だな」と思ったのに、夕方になるころにはヘトヘト。そんな日が最近増えてきた気がする。若い頃は、スケジュールに空白があると嬉しかったのに、今はなぜか落ち着かない。空いているはずなのに、疲れている。時間に追われてるわけでもないのに、心がざわざわする。そんな自分に「なんでだよ」と問いかける日々だ。

スケジュールには余裕があるはずなのに

朝、予定表を見て「よし、今日はゆっくり片付けができそうだ」と思ったのも束の間。電話が1本、メールが1通、来客がひとり、それらが連鎖反応のように次々と起こり、気がつけば午前中は吹っ飛んでいた。「まあ午後からやればいいか」と思ったら、次は市役所からの電話。日々の仕事って、予定に書かれるものだけじゃない。むしろ書けないもののほうが、精神を削ってくる気がする。

気づけば夕方 なにに時間を取られていたのか

夕方、デスクに戻って「今日は何やってたんだっけ?」と振り返っても、これといった作業は思い出せない。でも疲れている。集中もしていないのに、なぜこんなに消耗しているのか。時間の使い方が下手なのか、それとも自分が無駄に動きすぎているのか。気づけば事務員さんもため息をついていて、「あ、俺だけじゃないんだな」と変な安心感を覚える。

電話と来客に追われたつもりで気持ちがぐったり

電話は鳴ったら出るしかない。来客が来たら対応するしかない。それが仕事だ。でも、そのひとつひとつが終わるたびに、自分の中に小さな「やり残し」が溜まっていく気がする。本来やろうと思っていた作業は常に後回しにされ、やがて「今日は無理だったな」と諦める。それが何日も続くと、「また今日も空回りだった」と自分を責めてしまう。

「あれもやらなきゃ」と頭の中で走り続けている

「今日中にやらなきゃ」と思っていることが5つくらいあっても、実際にはひとつも手をつけられず終わる日がある。そして夜になって寝ようとしても、頭の中ではずっと「やらなきゃ」「でもできなかった」が反芻されている。身体は休んでいても、心はずっと走り続けている感じだ。たまに夜中に目が覚めて、明日の予定を確認してまたため息。そんな自分が、情けなくて仕方ない。

自分で自分にプレッシャーをかけている話

誰かに急かされているわけじゃない。でも「今日これをやらなきゃダメだ」「事務所の仕事はきっちり終わらせないと」って、自分で自分を追い込んでいる。予定表に何も書いてなくても、脳内には常に予定が詰まっている。昔の部活みたいだ。試合はないのに、キャプテンだからって無駄に素振りしてた頃と似てる。誰も見てないのに、勝手に緊張して、勝手に疲れてる。大人になっても、変わらないのかもしれない。

予定表の空白に安心できない理由

本来、予定表の空白は「自由な時間」のはずだ。でもその空白が不安になる。「空いてるってことは、何か忘れてるのでは?」という焦りが心を支配する。電話が鳴らない時間、誰にも呼ばれない時間。それは貴重なはずなのに、どこか居心地が悪い。誰かに必要とされてないような気持ちにさえなる。これは働き方の問題なのか、自分の性格なのか…。

空いていると逆に落ち着かない

予定がぎっしり詰まっていた方が安心する、というのも変な話だけど、実際そういう日もある。詰まっていれば「これをやればいい」と割り切れる。でも空白の日は「何か見落としてる気がする」とモヤモヤが止まらない。忙しいときは「暇が欲しい」と願うのに、いざ時間が空くと不安になる。これはもう、職業病なのかもしれない。

「なにか忘れてるんじゃないか」という不安

とくに午後からぽっかり予定がない日などは要注意だ。頭では「ゆっくりできるチャンス」と思っていても、心がざわつく。以前、そういう日にひとつだけ大事な登記申請を忘れていたことがあったからかもしれない。「空いてる=何か忘れてる」という刷り込みが、自分の中にある。だから、安心しきれない。

忙しくない自分に罪悪感を覚える日もある

周りの士業仲間が「今月は依頼が多くてさ」なんて話していると、急に自分が取り残されたような気分になる。「今日は暇だった」と素直に言えない。なんなら「ちょっとバタバタしてて」と嘘をついてしまう。本当は空いてるのに。それくらい、暇であることに罪悪感がある。妙なプライドがまだ残ってるのかもしれない。

仕事が減ったと感じると妙に心細くなる現象

予定表が真っ白の日が2日続くと、「このまま依頼がなくなったらどうしよう」と、どこかで不安になる。昔は暇な時間を楽しめたのに、今は減収や経営不安に直結してしまう。独立して10年以上になるけれど、「暇=危機」と刷り込まれているのだろう。こういうとき、ひとりで事務所をやってる寂しさが沁みる。

忙しさの正体はタスクじゃなく焦りだった

予定に追われてるわけじゃない。でも「やらなきゃ」という気持ちが、常に心の中に居座っている。その正体は焦り。仕事があるかどうか、役に立てているかどうか、自分の存在意義すら問うてしまう。だから何もなくても、忙しい気がしてしまう。それが、一番疲れる原因かもしれない。

見えない義務感が自分を締めつける

義務感というのは厄介だ。誰にも「やれ」と言われていないのに、「やらねば」と思ってしまう。そしてできなかった自分を責めてしまう。予定表に書かれていない義務感のリストが、心の中にずっとある。ひとり経営だと、これを誰にも共有できず、抱えたまま日々が過ぎていく。肩こりの原因の半分は、たぶんこれだ。

本当は今日やらなくていいことまで背負っている

月末の登記。来週の契約立会い。来月の決算処理。全部、今日やらなくてもいいのに、なぜか手をつけようとして空回りする。「今やっておけば安心」と思う一方で、手が止まると「あれもこれも中途半端」と罪悪感が募る。結局、何ひとつ終わらず、ただ疲れるだけ。段取りが悪いだけなのか、性格の問題なのか。そんな自問自答をする午後三時。

他人の目を気にして空欄を埋めたくなるとき

SNSで他の司法書士さんが「今日は5件対応しました」とか書いてるのを見ると、自分の予定表が情けなく見えてくる。だから、意味のない会議を入れたり、無理に用事を作ったりすることもある。「何かしてるふり」をして、自分を安心させている。しょうもないことだと分かっていても、つい見栄を張ってしまう。

予定で自分の価値を測ろうとしていた反省

予定表が埋まっている=自分は必要とされている、という幻想を持っていた時期がある。でも、それは違った。たとえ空白でも、1件でも、ちゃんと向き合えばそれでいい。そのことに気づくまで、何年もかかった。今でも、ときどき忘れそうになるけど、少しずつ「空白」を肯定できるようになってきた。

心をすり減らさないためにできること

司法書士という仕事は、どこか「忙しさ」が評価に直結してしまう風潮がある。でも、本当は心の余裕が一番大事だと思うようになった。予定がない日も、自分を立て直す大切な時間。その価値を、自分で認められるようになりたい。まだまだ修行中だけど、ちょっとずつでも。

あえて予定表を空白のままにする勇気

最近は、予定がない日はそのままにしておくことにしている。むしろ「予定表に空欄がある」ことをひとつの目標にしている。最初は不安で仕方なかったけど、今では少しずつ慣れてきた。空白の日には、あえて散歩に出たり、気になっていた本を読んだりする。それもまた、大事な「仕事」なのかもしれない。

「やらないこと」を意識的に予定に入れてみる

「何もしない時間」を予定に書いてみたらどうだろう。実際、私はカレンダーに「なにもしない」と入力したことがある。最初は半分冗談だったけど、思ったより効果があった。空白は怖いけど、「やらないこと」として予定化すれば安心できる。空白を「不安」から「安心」に変えるコツかもしれない。

思い切ってサボるときの後ろめたさとの付き合い方

誰も見ていないのに、「今日は仕事してない」と罪悪感を抱くのはもうやめたい。たまには思い切って事務所を閉めて温泉に行く日があってもいい。後ろめたさはあるけれど、「長く続けるための充電」だと思えばいい。真面目に生きすぎて潰れてしまうのは、本末転倒だ。

忙しくない日の過ごし方にこそ人生が出る

忙しい日は、誰でも全力で動いている。だけど、本当の自分が出るのは「何もしなくていい日」だと思う。そこでどう過ごすか、何を感じるか。そんなところに、自分の人生の質が現れる気がする。空っぽの予定表を見つめながら、ようやくそんなことを思えるようになってきた。遅すぎたかもしれないけど、それもまた人生だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓