今日もまた聞かれるそれ司法書士の仕事なの
「これって司法書士の先生にお願いできることですか?」——この質問、何度聞かれたかわかりません。登記に関係ない話から、遺産の分け方、果てはペットの世話の相談まで。笑い話にできるレベルならいいんですが、本気で「なんとかしてほしい」と言われると、こっちも無下にはできない性格でして。気がつけば「先生なら大丈夫だと思って」と言われ、今日も本来業務じゃない案件に巻き込まれていく。そんな日々が続くと、ふと「俺ってなんの専門家だったっけ」と思ってしまうんですよね。
名刺に書かれていない仕事が多すぎる
司法書士という肩書きは、登記や供託、簡裁訴訟代理などが本来の範囲です。でも、実際の現場では「法律に詳しい人」「頼れる人」「話を聞いてくれる人」といった、曖昧な役割まで背負うことが多くなります。名刺に「なんでも屋」って書いた方がしっくりくるんじゃないかと思うこともあるくらい。特に地方では「町の法律屋さん」として見られていて、頼られれば応えたくなるのが人情。でもそれが積み重なると、自分のキャパを超えてしまうんです。
突然の「ついでにお願い」が日常茶飯事
相談のついでに「お隣との境界がよくわからないんですが…」と始まった話が、気がつけば測量士の領域。さらに「兄が勝手に遺産を使っていて…」と家庭内のトラブル相談へ発展し、いつの間にか親戚一同の調整役になっていたなんてこともあります。「ついでに」という軽い言葉に、毎度ヘビーな内容がぶら下がっていて、いつも油断できません。
ついでで終わらない登記簿の相談
ある日、登記簿を見せられて「この物件、今誰のものになってるか教えて」と言われました。まぁそこまでは仕事の範囲内。でもその後「じゃあ、兄に黙って名義を変えたい」と言われて、これはもう法的な調整案件。そこに感情も絡んできて、話を聞くだけで2時間。「登記簿の読み方教えて」と言われると、単なる説明だけじゃ済まなくなるケースが多いんです。
家族関係の悩み相談に発展することも
相続の手続きの相談だったはずが、気がつけば「実は母と長年うまくいってなくて…」という家族の根深い話に変わっていたことも。そんなとき、カウンセラーでもない自分がどこまで踏み込んでいいのか、毎回悩みます。でも「誰にも相談できなかった」と言われると、つい寄り添ってしまうんですよね。性格上、無視できない自分がいて、余計に苦しくなることもあります。
便利屋じゃないけど断りきれない現実
何でも「先生ならわかるでしょ?」の一言で、畑違いの分野まで広がる相談。それでも「できません」と言うとがっかりされるのが怖くて、断れない。特に一人でやってる事務所では、頼られることが営業にもつながるから難しいんですよね。でも、自分の専門外のことで疲弊していく感覚は、思ってる以上に精神にきます。
頼られるのが嬉しい反面重荷になる瞬間
「先生にお願いしてよかった」と言われると、やっぱり嬉しい。だけど、その裏には「本来の仕事に集中できなかった時間」があるわけで、業務としてはマイナス。そんなジレンマを感じるたびに、「自分って何をしたくてこの仕事選んだんだっけ」と、自問自答する夜がやってきます。冷えたコーヒーとため息が、いつものセットです。
法務と雑務の狭間で揺れる日々
自分の中での「司法書士の仕事」と、周囲が求める「なんでも解決してくれる人」とのギャップ。その狭間で、どうにもならないフラストレーションがたまっていきます。ときどき「資格ってなんだったんだろう」と思うこともあります。でも、その思いを声に出すと、自分の存在を否定するようで、ますます言えなくなる。だからこうして文章にしています。
自分の専門ってなんだったっけ
司法書士試験に合格するために、必死に勉強したあの日々。あの頃は「登記の専門家として社会の役に立つんだ」と信じていました。でも、現実は「先生、銀行の窓口の書類ってどう書くの?」といった質問ばかり。書類作成のプロとして頼られること自体は本望だけど、明らかに範囲外のことまで広がると、資格の意味が霞んできます。
「法律のプロ」であることの曖昧さ
司法書士は「街の法律家」と言われることもありますが、その定義は実にあいまい。弁護士と違って、広く浅く扱う範囲も多く、そこを頼ってくる人は「なんでもわかってるでしょ?」という前提で話してきます。でも、プロとしての境界線を曖昧にすると、自分を消耗するだけ。ときに「私は司法書士であって、万能ではありません」と線を引くことも必要なんです。
相続や遺言の話から始まる家庭内トラブル
ある依頼者の遺言書作成を手伝っていたとき、「弟にだけ財産を残したい」と言われました。その理由を聞くうちに、家族との複雑な関係が見えてきて、最終的には兄との間に代理人として入るよう求められました。本来、そこは司法書士の業務外。でも頼られてしまうと、断る勇気が要るんですよね。結局、関係調整で時間も心もすり減ってしまいました。
時間の使い方が崩壊していく
朝から「ちょっとだけ相談いいですか?」が2件。気がつけばお昼も食べられず、肝心の書類作成は夜に持ち越し。そんな日が続くと、時間の感覚もマヒしてきます。効率よく回そうと試行錯誤するけど、人と向き合う仕事は思い通りにならないもの。特に感情が絡む案件は、マニュアルなんて通用しません。
本来業務に集中できないもどかしさ
書類を前にしても、相談の余韻が頭から離れず、手が止まる。集中力が切れているのに、締切だけは迫ってくる。そんなとき、自分が分身できたらどれだけ助かるかと思います。事務員さんも一人だけでは到底回らず、結局、自分が無理して対応するしかない。理想と現実の差に、ため息ばかり増えていきます。
いつも後回しになる「自分のやりたい仕事」
新しい業務を開拓したい、ブログをもっと更新したい、セミナーの準備をしたい——そう思っても、毎日「目の前の火消し」に追われて終わってしまう。本当にやりたいことは、いつも一番後ろ。だからこそ、こうして文章にする時間だけは大切にしたいと思っています。誰かの共感になれば、少しは救われる気がするから。
それでも司法書士であり続ける理由
辞めようと思ったこと、実は何度もあります。それでも続けてこれたのは、不思議と誰かに「ありがとう」と言われる瞬間があるから。些細な感謝でも、心に沁みるんです。もしかしたら、それが自分の「やりがい」なんでしょうね。
感謝の言葉でなんとか立ち直る
ある依頼者から「おかげで家族とまた話せるようになりました」と言われたとき、涙が出そうになりました。自分のしたことは、ただ話を聞いて書類を整えただけ。でも、誰かの人生の分岐点に関われたという実感が、胸を支えてくれるんです。そういう瞬間があるから、また明日もがんばろうと思えるんですよね。
たった一言の「助かりました」が救いになる
深夜に仕上げた登記書類。翌朝渡したとき、依頼者が「助かりました、本当に」と頭を下げた。その一言で、昨日の疲れが少し和らぎました。どれだけ報酬が少なくても、どれだけしんどくても、人の気持ちに触れることで、自分も人間らしくいられる。それがこの仕事の不思議なところです。
過去の依頼者から届く年賀状の温かさ
毎年、何通か年賀状が届きます。「先生、元気ですか?」「おかげさまで無事に過ごしています」といった手書きの言葉を見ると、自分のした仕事がちゃんと残っていることを実感します。無償の応援に、また背筋を伸ばして机に向かう気持ちになれるのです。