いいねの数に意味を感じなくなった日

いいねの数に意味を感じなくなった日

誰かに認められたい気持ちはどこへ行ったのか

若い頃は誰かに「認められること」が生きがいだった。努力が評価されることで、自分の存在に意味があるように思えた。司法書士になったばかりの頃は、ブログやSNSで「いいね」がつくたびに胸が高鳴ったものだ。自分の発信が誰かに届いている、そんな手応えに励まされていた。しかし、ある日気づいた。画面上に表示されるその「いいね」の数に、心が反応しなくなっていたのだ。

開業当初は一つの「いいね」に救われていた

事務所を立ち上げたばかりの頃は、孤独と不安の塊だった。案件も少なく、事務員の給料を払うだけで精一杯。そんな中、SNSに投稿した小さな日常の一コマや、開業への思いに「いいね」がつくと、それがたとえ一つでも心が救われた。誰かが見ていてくれる、誰かが共感してくれている。その事実が、眠れない夜を乗り越える原動力になっていた。

ある日から数字が麻痺して見えなくなった

気づけば、「いいね」が10でも100でも、何の感情も湧かなくなっていた。むしろ、数字が増えるほどに虚しさが募るようになった。数がつけばつくほど、「じゃあ自分は何を届けてるんだ?」と自問するようになっていたのだ。ただの自己満足じゃないのか。昔の野球部での活躍のように、誰かの声援が心に響く感覚とはまるで違っていた。

「もっと見られたい」「評価されたい」その欲は消えたのか

正直に言えば、まだ心のどこかで「評価されたい」という気持ちは残っている。でも、それが「いいね」という数値で測られることに意味を見出せなくなったのだ。表面的な共感やアルゴリズムの恩恵ではなく、自分の言葉が誰かの本当の心に届いたと感じられる瞬間が欲しい。それがないと、発信する意味さえ揺らいでしまう。

承認欲求の裏にある孤独感との向き合い方

結局、承認欲求というのは、根っこの部分では「孤独」との戦いだと思う。独身で地方の事務所にこもって仕事をしていると、話し相手もいない時間が長い。その孤独を埋めたくてSNSに投稿する。だが、何百の「いいね」があっても、本当の孤独感は癒されない。人は数字ではなく、言葉やまなざしでしか救われないのかもしれない。

本当に誰かに届いているのかという疑念

自分が発信していることが、本当に誰かの心に届いているのか。ふと、そんな疑念がわいてくる。どれだけ発信しても、何も反応がない日もある。数字はつく。でも、声は届かない。その違和感が積み重なって、「意味」というものが、どんどん遠ざかっていく感覚に陥るのだ。

数字の反応と現実の反応が一致しない日々

ある日、投稿に100以上の「いいね」がついた。が、現実では何も変わらない。電話が鳴るわけでも、問い合わせが来るわけでもない。画面の中では賑やかでも、事務所の中は相変わらず静まりかえっている。そのギャップに、思わず空を見上げて深いため息をついた。自分は一体、誰に向かって叫んでいるんだろうと。

声をかけられたことのないSNSフォロワーの存在

SNSでは何百人、何千人のフォロワーがいる。でも、実際に「こんにちは」と声をかけられたことはない。街を歩いていても、スーパーで買い物をしていても、フォロワーの「存在感」は感じられない。リアルとバーチャルの距離感に、自分の心がすり減っていくのを感じた。

デジタルの反応では心が満たされないこと

バズっても、心が喜ばない。かつては通知の数に一喜一憂していたのに、今では音が鳴っても無視するようになった。それはきっと、心が本当に求めていたのは「数字」ではなく「人とのつながり」だったからだ。誰かの顔が見えないままの共感は、薄くて儚い。

誰かの役に立てた実感の不在

司法書士の仕事って、実は地味だけどものすごく人の人生に関わっている。でもSNSでは、その深さは伝わらない。登記が無事終わっても、ありがとうの声が聞けないと、自分が役に立てたのか分からない。「いいね」ではなく、「ありがとう」が欲しい。そう思ったとき、自分が本当に大切にすべきものが見えた気がした。

仕事としての司法書士とSNSのギャップ

司法書士の仕事は、SNS映えとは無縁の世界だ。書類と向き合い、法律とにらめっこし、電話とFAXに追われる毎日。その地味さゆえに、ネットの世界では埋もれてしまう。だが、その仕事には確かな意味があると、自分に言い聞かせるようにしている。

登記には「いいね」は付かないけれど

登記を終えた瞬間に「いいね」がつくわけじゃない。でも、依頼者が「ありがとう」と言ってくれた時の一言は、100の「いいね」よりも重い。画面に映らない現場にこそ、司法書士としての誇りがある。SNSに頼りすぎると、それを見失いそうになる。

地味だけど確実に誰かを支える日常業務

毎日同じようなことを繰り返しているようで、実はそれぞれの依頼者にとっては人生の節目だったりする。不動産の名義変更、相続登記、会社設立。どれも人生の転機だ。そこに立ち会える仕事は、数字で評価できるものではない。だからこそ、SNSの反応に一喜一憂するのは、もうやめにしたい。

派手さはないけど「意味」はある

書類の山に埋もれて、静まり返った事務所で一人作業する日々。でも、その一枚の書類が、誰かの未来を守っていると思えば、やる気も出る。派手ではなくても、意味はある。そう思えるかどうかが、司法書士を続ける鍵かもしれない。

数字で測れないものを大切にするという選択

この仕事は、派手さや注目を集めるものではない。だからこそ、自分自身が「これは意味がある」と思える瞬間を信じたい。数字で測れない価値にこそ、本質がある。SNSの中で見失いそうになったその感覚を、日々の業務の中で取り戻していきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。