司法書士を続ける理由がある日見えなくなった

司法書士を続ける理由がある日見えなくなった

朝起きて机に向かうのがしんどい日もある

司法書士という職業は、外から見れば「士業」という響きのとおり、それなりに尊敬を集めるものかもしれない。でも現実は毎日が締切との戦い。朝、目覚ましの音を止めて、そのまま天井を見つめてしまう日がある。何をするにも億劫で、コーヒーを入れる手すら止まってしまう。やるべきことは山ほどあるのに、どうにも気持ちが乗らない。そんな日は、自分が壊れかけの機械みたいに思える。

やる気が出ない自分に落ち込む瞬間

「今日はやらなきゃいけないこと、少ないな」と思っても、いざ机に向かっても手が止まる。依頼人からの電話が来るのが怖くて、スマホを裏返したままにしてしまう。資料は目の前にあるのに、ただ見つめるだけ。そういう自分を責めてしまって、余計に動けなくなる悪循環。やる気が出ないのは疲れているからだ、と頭ではわかっていても、気持ちはどんどん沈んでいく。

電話一本で崩れるスケジュール

この仕事、計画通りにいったことがない。朝に「今日は早めに帰れるかも」と思っても、昼に一本の電話が鳴る。それで全部がひっくり返る。たった一枚の書類に記載ミスがあっただけで、役所との調整、再発行、そして謝罪。予定していた別の案件は後回し。自分の生活は常に「誰かの予定」に振り回されている。そんな現実に、何度も心が折れそうになる。

予定通り進む日は月に何回あるだろうか

月初に立てた業務スケジュールが、月末には原型をとどめていない。電話、飛び込みの相談、依頼人の都合、そしてミスのリカバリ。予定通り終わった日は「奇跡」と言ってもいいくらいだ。カレンダーを見返して「この日だけは全部うまくいったな」と思えるのは、せいぜい月に2日あるかどうか。そんな日々を何年も繰り返していると、「予定を立てること自体が無意味なのでは」とさえ思えてくる。

誰の役に立っているのか分からなくなる時

感謝されることもある。けれど、それで報われた気持ちになるかというと、そうでもない。仕事が終わったあとに「本当に意味があったのか」「この人のためにできたことはこれでよかったのか」と自問する。手続きを終えても、心の中にモヤモヤが残る日がある。「誰かの役に立っている」と思えない時、虚しさは増すばかりだ。

感謝されても空虚に感じる理由

「ありがとう」と言われても、心が動かないことがある。形式的なお礼なのか、本当に助けになったのか分からない。逆に、感謝されないことも多い。手続きがスムーズすぎると、「あれ、これだけ?」という反応になることもある。表面上のやりとりにどこか虚しさを感じるようになって、気がつけば感情の起伏がほとんどなくなっていた。

登記が終わっても心が晴れない

登記が完了しても、達成感はあまりない。むしろ「ミスがなかったか」「あとでクレームが来ないか」と不安の方が大きい。依頼人に完了の報告をしても、気持ちは切り替わらない。終わった直後より、1週間後に何もなかったことが確認できてようやくホッとする。そんな感情の遅れが、日々のモチベーションをさらに下げている気がする。

成功体験が心に残らない仕事

「うまくいったな」と思える瞬間はあっても、それが心に残らない。次から次へとやることがあるから、感動している暇もないのだ。誰かに自慢できる成果もないし、拍手喝采もない。だから、自分が本当に頑張ったかどうかも曖昧になる。成功が積み上がらない仕事は、自己肯定感が育たない。これが司法書士という仕事の一番のしんどさかもしれない。

ふとした瞬間に湧き上がる辞めたい気持ち

夕方、事務所で一人きりになったとき。コンビニで昼飯を買うとき。何気ない場面でふと、「もう辞めたいな」と思うことがある。きっかけなんて些細なものだ。誰かの無神経な一言だったり、パソコンのフリーズだったり。そういう小さなイライラが積もっていくと、気づいたら「この仕事、向いてないのかもな」と思っている。

忙しいだけの毎日に疑問を感じる

朝から晩まで働いて、何かを成し遂げた気がしない。休日も完全には休めないし、心が休まる時間がない。働くことで生活は成り立っているのに、「生きてる」実感がない。ふと、昔の自分が思い描いていた未来とはかけ離れていることに気づいてしまう。そうすると、「このままでいいのか?」という疑問が頭から離れなくなる。

昔の夢と今の現実のギャップ

高校の頃、野球部で汗を流していた自分。仲間と笑い合いながら、いつかは「人の役に立つ仕事がしたい」と思っていた。まさかこんなに孤独な日々になるとは思わなかった。司法書士を目指したのは正義感からだったが、今は書類に囲まれて一人で黙々と作業する毎日。そのギャップが、心にじわじわとダメージを与えてくる。

本当にこれが自分のやりたかったことなのか

この仕事を始めた頃は、誇りもあったし、やりがいも感じていた。でも今は、「仕事をこなすだけの人」になってしまった気がする。依頼人のためにというより、ただ終わらせるために働いているような感覚。本当にやりたかったことは何だったのか、それすら思い出せない。そんな自分が嫌になってしまう。

それでも辞めない理由を考える

じゃあ、なぜ辞めないのか。結局、辞める勇気もない。けれどそれだけじゃない気もする。誰かの役に立ちたいという気持ちは、まだどこかに残っているのかもしれない。長年積み重ねてきたものを簡単に手放したくない気持ちもある。続ける意味を失っても、なぜか手を動かしている。そんな自分が、少しだけ誇らしく思える瞬間もある。

依頼人の笑顔が心に残ることもある

すべてが虚しいわけじゃない。たまに、依頼人が涙を浮かべて「本当に助かりました」と言ってくれることがある。その言葉に救われたことが、これまでに何度かあった。そういう瞬間があるから、もう少し頑張ってみようと思える。それが司法書士という仕事の、数少ない報酬の一つだ。

事務員との雑談が救いになる時

一人だけの事務所で、雇っている事務員との会話が心の支えになることもある。今日の天気、テレビの話、たわいもない雑談。そんな些細な会話の中に、「人とつながっている」感覚がある。たった一人でも、理解してくれる誰かがそばにいるだけで、救われることがある。孤独な仕事の中にある、ささやかな安心。

続けてきたという事実だけが支えになる

ここまでやってきた。それだけでいいじゃないかと思うこともある。向いているかどうかも分からない。でも、少なくとも逃げ出さずにやってきたという事実は、自分だけの勲章だ。誇れるような成果がなくても、この道を歩いてきたことに意味がある。そう思えた日は、少しだけ前を向ける。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。