綴じられぬ契約

綴じられぬ契約

封筒の中の違和感

朝の郵便物に混じって届いた分厚い封筒。差出人は地方の不動産会社、案件名は「土地建物売買契約書在中」。よくある登記の前段階、そう思って開封した俺は、すぐに眉をひそめた。

封筒の中に入っていたのは、売主と買主の署名捺印入りの契約書。しかし、それぞれのページをパラパラとめくっていっても、どうにも腑に落ちない。「あれ?契印が、ない?」

不動産売買契約書が届いた朝

事務所の窓の外では、蝉の鳴き声がうるさいくらいに響いているというのに、俺の頭の中は一気に冷え込んだ。契印がないというのは、つまり書類が綴じられていないということ。法的に不備と言えるかは微妙だが、疑念を抱かせるには十分だ。

「サトウさん、これ見てくれ。なんか嫌な感じがするんだよな……」と呟けば、彼女はPCから顔を上げずに「またですか」とだけ返す。塩対応も慣れたもんだ。

依頼人の焦燥

数時間後、契約書を送ってきた買主側の担当が事務所に現れた。四十代半ば、細身で神経質そうな男だった。名刺には「不動産取引アドバイザー」の肩書。

「登記の準備は整ってますよね?今週中に完了させてください。売主側も急いでますんで」と、言葉の端々に苛立ちを含んでいる。こちらが「契印がなくて確認が必要です」と言っても、軽くあしらわれた。

「契印?それって必要なんですか?」

「今どき契印なんて気にする人います?契約の有効性には関係ないですよ」と、男は笑った。たしかに法的にはその通りかもしれないが、問題はそこじゃない。

契約書は書類の山の中で、静かに偽りを抱えていることがある。サザエさんの「タラちゃんが風邪ひいてるのに外で遊ぶ」ぐらい危なっかしい感覚。それを大人が放っておいていいのか。

怪しい第三者の存在

売買契約の書類には確かに二人分の署名があったが、俺にはどうしても引っかかる点があった。買主の欄に添えられていた名前は、数年前に別件で見覚えのあるものだった。

だが、どうやって調べようかと悩んでいたその時だった。「シンドウさん、この名前…こないだの詐欺未遂で登記に絡んでたやつと同じです」とサトウさんが呟いた。

同席していなかった人物の署名

さらに記録を調べると、その人物が過去に書類上だけで不動産の名義を変えようとしていた経歴が出てきた。にもかかわらず、今回の契約ではあたかも問題なく署名したかのような体裁が整っている。

契印がないのは、その過程で何かを入れ替えた、あるいは後から付け加えた可能性があるというサインではないか。ふと、背筋が寒くなった。

サトウさんの冷静な指摘

「この印影、左右でインクの濃さが違いすぎます。下のページの角度とも合ってません。後から押しましたね、これ」

PCを操作しながら淡々と語るサトウさん。彼女は昔から感情を見せない。だが、その分析の鋭さは警察も舌を巻くレベルだ。

筆跡と押印の位置に不自然なズレ

PDF化した契約書を画面で拡大し、ページを比較する。確かに、売主の署名欄と押印の配置がページによって微妙にずれていた。つまり、バラバラに書かれ、あとで一冊に綴じられたフリをしている。

「やれやれ、、、また偽造かよ。まるでルパン三世の変装レベルでやってくるな」と、俺は思わずぼやいた。

売主が語った過去

翌日、俺は売主に直接会いに行った。六十代の穏やかな男で、今回の土地は父からの相続分だという。話しているうちに、彼が「もう一人の兄とは連絡を取っていない」と漏らした。

契約書の偽装にその兄が関与している可能性が浮かんだ。つまり、売主を装って署名し、買主と通じて登記だけを進めようとした、という筋書きだ。

帳簿に隠されたもう一通の契約書

帳簿の整理をしていたサトウさんが、古い契約書のコピーを見つけた。それは先週、別の不動産事務所から届いたファックスの裏紙だった。

偶然貼られていたメモ書きの中に、「契印済 本書は破棄」の文字。まるで二重契約が存在するかのような証拠だった。

法務局での対決

状況を整理し、俺たちは法務局に出向いた。買主と偽売主も同席の上、事実確認が行われることになった。

俺は、契約書の契印の不在、押印の角度のズレ、日付けの不一致を並べ立てた。最後に、サトウさんが印影分析の資料を提出した。完璧だった。

真犯人の動機

兄を出し抜くため、父の死後すぐに書類を偽造し、自分名義で売却して利益を得ようとしていた。だが、契印を省いたことが結果的にボロを出した。

「この契約書、綴じられませんでしたね」と俺が言うと、兄は黙ったまま俯いた。

事務所に戻って

サトウさんはいつものように淡々とパソコンを打っていた。「登記の再申請は明日でいいですよね」とだけ言って、俺にコーヒーを置いた。

静かな午後。書類の山はまだ片付かない。だけど、とりあえず事件は解決した。

シンドウのつぶやき

「契印一つでここまでか、、、」俺は呟いた。ほんの小さなズレが、大きな嘘を暴いたのだ。

やれやれ、、、俺もまだ、役に立てる場面があるってことか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓