コンビニの店員の笑顔に救われた日

コンビニの店員の笑顔に救われた日

事務所に戻りたくなかった帰り道

その日は朝から電話が鳴りっぱなしで、昼食はコンビニおにぎりをかき込んで終わり。登記申請の手続きが思うように進まず、依頼人とのやりとりにも少しだけピリついた。夕方、ようやく一息ついてふと時計を見ると、まだ18時。だけど、もう疲れ果てていた。事務所に戻って作業する気力もなくて、足は自然と近くのコンビニへ向かっていた。正直、ただ何か甘いものでも買って、その場に座り込みたい気分だった。

疲れ切った夕方のコンビニ

コンビニの自動ドアが開くと、冷たい空気が少しだけ体の熱を奪ってくれるようでホッとした。陳列棚の前をぼんやりと歩きながら、シュークリームを手に取った。そんな自分の姿はきっと、やつれたおっさんそのものだったろう。レジに向かう途中、ふと「こんな毎日で、何が人生だよ…」と口の中でつぶやいてしまった。自分でも驚くくらい、どこにも余白がなかった。

レジで出迎えてくれた笑顔

レジに並ぶと、若い女性の店員さんがこちらを見て、満面の笑顔で「いらっしゃいませ」と言ってくれた。その瞬間、自分の中で何かが少しほぐれた気がした。たかが笑顔。だけど、その「たかが」が、自分にとっては「されど」だった。誰かに、ちゃんと存在を認識された気がして、それだけで目頭が熱くなるような、情けないような不思議な気分だった。

「いつもお疲れさまです」の一言が刺さる

会計を済ませるときに「いつもお疲れさまです」と言われた。その一言で、喉元が詰まった。面識があるわけでもない。ただ、毎日のようにコンビニに寄って、レジに並んで、彼女はそれを覚えてくれていただけだ。でも、その“いつも”が、こんなにも温かいとは。自分が存在していることを、誰かが見てくれている。それだけで、なぜか涙が出そうになった。

誰かに気づいてもらえるありがたさ

司法書士という仕事は、基本的に裏方だ。感謝の言葉が聞けることもあるけれど、決して多くはない。むしろ、何も言われずに事務所を後にされることのほうが多い。だからこそ、あの店員さんのひと言が心に残った。名前も知らない、ほんの数秒のやりとり。けれど、自分の存在を誰かに気づいてもらえること、それがどれだけ救いになるか。今さらながら、身に染みた。

孤独な仕事だからこそ沁みる

地方の小さな事務所で、基本的に一人で業務を回している。事務員はいても、彼女にも限界がある。誰にも頼れない瞬間が多すぎて、気づけば愚痴をこぼす相手すらいなくなっていた。そんなときにふと投げかけられた「お疲れさま」が、どれだけの効力を持つのか。それは、同業者であればきっと共感してもらえるだろう。

電話でもなくメールでもなく

仕事で届く「ありがとう」は、ほとんどがメールの文末や定型の挨拶文。電話越しの声も、どこか事務的だったり、焦りに満ちていたりする。だからこそ、直接交わす言葉の温度が、こんなにも違うのかと思い知らされた。顔を見て、表情を見て、声を聞いて。人と人とのやりとりって、やっぱりそういうものなんだろう。

表情ひとつで救われることもある

彼女の笑顔は特別美人なわけでもなく、マニュアル的なものかもしれない。でも、それでいい。いや、それがいい。無理やり笑ってるわけでもなく、自然なトーンで出された「笑顔」が、自分の中の孤独の膜を突き破った。そんな経験を、もし読者の中で同じように感じたことがある人がいたら、「わかるよ」と肩を叩きたい。

司法書士という職業の地味さ

そもそも、司法書士って何をしてる人?と聞かれても答えられない人が多い。それくらい地味な職業だ。だけど、やってる側はいつもギリギリ。失敗は許されず、でも注目もされない。そういう仕事だからこそ、自分で自分を褒めるしかない日も多い。そしてそれが、たまにむなしく感じる夜もある。

「ありがとう」が聞こえない日々

登記が終わったら「ふつう」に戻る日常。依頼人にとっては当たり前のこと。感謝の言葉よりも「まだですか?」の催促が先に来ることもある。それがこの業界。でも、だからこそ、ほんの小さな「ありがとう」や「お疲れさま」が、胸に残る。数にすれば圧倒的に少ない言葉たち。でも、それだけに価値がある。

それでもやる意味はあるのか

時々考える。「こんな働き方をしてまで、続ける意味ってあるのか?」と。でも、やめてしまったら、もう二度と戻れない気がする。少なくとも、自分にはもうこれしかないという感覚がある。誰かの笑顔や言葉で一日が救われるように、自分もまた、誰かを支える側にいたい。そう思えたとき、少しだけ、やる意味が見えてくる。

元野球部の自分と笑顔の原点

思えば、野球部時代も似たようなことがあった。つらい練習の中で、ふとした仲間の笑顔やひと言に救われることがあった。無言のハイタッチとか、ベンチでの小さな笑い声とか。言葉がなくても伝わるものがあると、あの頃から感じていた。そしてそれは今でも、変わっていないんだと改めて思った。

厳しい練習と無言の信頼

野球部の練習は厳しかった。だけど、信頼はあった。口数少ないキャプテンの「頼んだぞ」の一言に、胸を張って応えたくなった。司法書士として働く今、あのときの無言の信頼を、依頼人と築けているだろうか。そう自問する夜もある。でも、まずは自分が信じてもらえる存在であること。それが今の目標だ。

人の表情から読み取る温度

今は、依頼人の表情をよく見るようになった。言葉で言わない不安や不満が、顔に出ていることがある。それに気づけるかどうかが、自分の仕事の質にもつながっている。だからこそ、あのコンビニ店員の笑顔のように、僕も誰かにとっての「一瞬の救い」になれたらと思う。

若い頃には気づかなかったこと

20代の頃は、もっと効率や要領ばかりを気にしていた気がする。いかに素早く仕事をこなすか。いかに正確に。だけど、今になって思う。そういうのも大事だけど、人の感情に寄り添う力のほうが、もっと大切かもしれない。あの日のレジの一言で、それに気づけた気がする。

たった数秒のやりとりの力

世の中には、時間をかけて築く信頼もあるし、ほんの数秒で救われる瞬間もある。司法書士の仕事は前者がほとんどだけれど、後者の大切さも、これからはもっと意識していきたい。短い時間でも、人の心に何かを残せる人間でありたい。そう思わせてくれたあの店員さんに、心の中で何度もありがとうと言っている。

笑顔はコスパ最強の励まし

疲れているときに、「笑顔でいましょう」なんて言われるとイラッとする。だけど、自分のためではなく、誰かのために笑える人って、すごいと思う。あの店員さんの笑顔は、そういう笑顔だった。疲れた顔のまま事務所に戻っても、書類は書けない。でも、少しでも元気が戻った状態なら、また頑張れる。

僕も誰かにそうなれているか

最後に、自分自身に問いかけたい。果たして、自分は誰かの力になれているだろうか。依頼人だけじゃない。隣で頑張ってくれている事務員にも。ふとした一言、さりげない表情、それが誰かの明日を支えるかもしれない。司法書士という仕事に、もう少し人間らしさを込められたら、それだけでいい気がする。

事務所に戻ってできたこと

コンビニから戻って、冷めたコーヒーを飲みながら、いつもより落ち着いて業務を片付けた。不思議なことに、あの笑顔のおかげで集中できた。作業の手も止まらず、少しだけ効率も良かった。人は本当に、気分ひとつで変われるものだ。だからこそ、自分が人に与える影響も大事にしていきたい。

依頼人に少しだけ優しくなれた

その日の最後の電話対応では、いつもより丁寧に言葉を選んで話せた。「何をそんなに急いでるんだろう」と思う余裕もあった。もしかしたら相手も、誰かの笑顔を求めていたのかもしれない。そんなふうに考えることができた自分に、少しだけ救われた。

書類にも心を込められた気がする

登記の書類にも、ミスがないか念入りに確認しながら、少しだけ気持ちを込めて処理した。単なる手続きに見えるかもしれないけれど、その向こうにいる依頼人の人生がある。そう思えるようになった自分は、やっぱりあの店員さんに救われたんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。