ひとり事務所に響く静けさがやけに堪える日がある
普段はただの「静けさ」だったはずの事務所の音のなさが、どうしようもなく心に響いてくる日がある。朝から何件かの相談に対応し、法務局とのやりとりも済ませ、ようやく夕方。ふと気づけば、誰とも本音を交わしていない。電話は事務的、メールも事務的、事務員さんとのやりとりも最小限。あの静けさは、自分の中の「空白」を増幅させる。
書類の山を前にした時の虚しさ
積み重なった登記関係書類、未処理の郵便物、請求書。日常の光景のはずなのに、それを見て「なんのためにやってるんだろうな」とつぶやいた瞬間、急に虚しくなることがある。目の前にあるのは「誰かのための仕事」ではあるけれど、自分の人生そのものに還元されている感覚が薄い。気づけば溜息が深くなる。
効率化しても埋まらない心の隙間
業務効率化だってやってきた。スプレッドシートで案件管理も自動化したし、謄本もオンラインで申請している。だけど、心の満足度は一向に上がらない。むしろ人と関わる機会が減った分、余計に孤独が濃くなった。作業が早くなっても、心は置いてけぼりのまま。数字や件数では埋まらない「感情の隙間」がそこにある。
片付けたくても片付かないものがある
机の上の書類なら、時間をかければ整理できる。でも心の中のぐちゃぐちゃは、どこから手をつければいいかわからない。人に話せる内容でもないし、聞いてほしいわけでもない。ただ、黙って座っているだけで、胸がつかえて涙が出そうになる日がある。感情って、整理も処理も難しい。
泣きたくなる瞬間はいつも予定外にやってくる
泣くつもりなんてなかったのに、ふと涙がこぼれそうになることがある。特別な出来事があったわけでもなく、ただの日常。けれど、その「ただ」が積み重なった先で、感情が揺さぶられる。誰かに言われた何気ない言葉や、見慣れた風景が引き金になることもある。
郵便ポストに混じる一枚の絵はがき
ある日、定型の書類と一緒に届いた一枚の絵はがき。取引先の方が趣味で描いたものだった。裏に「お世話になってます」とだけ書かれていて、それだけの内容だったのに、急に胸がいっぱいになった。なんでもない言葉に、なぜか心を持っていかれてしまう。ちょっとした優しさが、逆に今の自分の孤独をあぶり出してしまった。
昔の名前を見るだけでぐらつく心
仕事の中で、かつての知人や同級生の名前を見ることがある。「ああ、あの人か」と思うだけで、なんとも言えない気持ちになる。学生時代はよく一緒にバカやってた。野球部の遠征帰りにコンビニでアイス買った記憶とか、くだらない思い出が蘇る。あの頃には戻れないし、今の自分にその人たちはいない。それが寂しい。
誰かを思い出すという仕事外の動揺
業務の一環として名前を扱っているはずなのに、ふとした拍子に感情が混じる。それが一番やっかいだ。書類作業が止まり、手が止まり、気持ちも引っ張られる。名前だけで、ここまで心を揺らされるとは思わなかった。自分の中にまだ未処理の思いがあることに気づかされて、少し泣きたくなった。
依頼人の言葉に心が揺れることがある
相談を受けていると、思わぬところで感情が動くことがある。法律や制度の説明をしているつもりでも、相手の言葉にぐっとくる瞬間がある。「もう頼れる人がいなくて」とか、「先生だけが話を聞いてくれて」とか。人の言葉は、不意に心の奥に届く。
ありがとうの一言が刺さる夜
一日の終わり、ふと届いた依頼人からのメール。「本当にありがとうございました」たったそれだけの一文。なのに、深く刺さった。自分は必要とされているんだなと思うと同時に、「ありがとう」を言ってくれる人がいない日常が浮かび上がる。優しい言葉は、時に切なくなる。
誰かの家族の話を聞いて泣きそうになる
「父の土地のことなんですが…」そうやって始まる話の中には、いろんな家族のドラマが詰まっている。疎遠になった親との再会、亡くなった人への後悔、兄弟との確執。それをただ「手続き」として聞き流すには、自分は少し感情が入りすぎるタイプかもしれない。思いがけず、自分の家族との距離感を重ねてしまう。
羨ましいと思った自分にまた落ち込む
相談者が語る「家族の絆」や「大切な人」との関係に、羨ましさを感じてしまう。誰にも見せられないけれど、自分にもそういう存在がいれば…と思う。でも、そう思う自分がまた情けなくなる。そんな時は、ただ黙ってコーヒーを淹れ直すしかない。