孤独と戦う毎日 それでも机に向かう理由
地方の司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、毎日が戦いだ。戦う相手は、書類でも依頼人でもなく、「自分自身」だ。やる気が出ない朝、電話を取る手が止まる午後、そして誰にも頼れない夜。たまに「このまま全部放り出して消えてしまいたい」と思うことすらある。でも、それでも今日も机に向かっている。依頼人がいて、やるべきことがあるから。それだけが、自分をここに繋ぎ止めている。
目の前の依頼と終わらない電話
朝一番に届いた郵便物を開けた瞬間から、時間との戦いが始まる。登記簿を確認し、相続人に電話をかけ、必要書類をリストアップしながら、次の面談の準備も頭に入れておく。なのに、その合間にかかってくる「ちょっと聞きたいんですが…」という電話に、毎回丁寧に答えなければならない。全部「仕事」だ。そう分かっているのに、ふとした瞬間に「この作業に意味があるのか?」と自問してしまう。
一人事務所の現実
事務所には一人、事務員さんがいる。が、当然すべてを任せられるわけではない。郵便を出す、電話を取る、書類を整理する…それ以上のことは基本的に自分でやることになる。もし自分が倒れたら、この事務所は一瞬で止まる。そう思うと、どんなに体がきつくても無理をしてしまう。自分の替えはいない。責任が全部、自分ひとりにのしかかる。
疲れているのに休めないという矛盾
「週末くらいはゆっくりしたら?」と知人に言われても、心のどこかで「でも、あの書類まだだったよな」と思い出してしまう。仕事を完全に忘れるということが、ここ何年もできていない。心も体も「休むこと」に慣れていないのだ。結局、誰にも頼れず、誰にも甘えられず、なんとかやってきてしまった。そのツケが、じわじわと心に染みてくる。
同業の仲間がいない日々の不安
学生時代は野球部だった。仲間がいて、声を掛け合って、共に試合に臨む日々が当たり前だった。今はどうだ。トラブルが起きても相談できる相手はおらず、成功しても誰とも分かち合えない。士業というのは、案外「孤独な職業」なのかもしれない。
相談できる相手が欲しい
実は同業者に「ちょっと聞きたいこと」があっても、気軽に連絡できる間柄がない。講習会や会合で顔を合わせることはあっても、表面的な付き合いばかりだ。悩みを話せる友人がいないまま、大人になってしまった。学生時代のように「お前それ間違ってるぞ」と言ってくれる人も、もういない。
気軽な雑談すら贅沢になる
昼ご飯をコンビニで済ませ、戻っても誰もいない事務所。スマホを眺めても、誰かと繋がっている実感は薄い。ふと「あ、今日一言も喋ってないな」と思う日もある。冗談でも、軽口でもいいから、誰かと声を交わしたい。そんな小さな願いすら、今では叶いにくい。
依頼人の一言が心に刺さった瞬間
その日も、朝から忙しかった。相続関係の複雑な案件で、戸籍をたどるだけでも一苦労。午後になって、ようやく依頼人が来所。説明をしている最中、その方がふと漏らした。「先生も大変ですね」。たったそれだけの言葉だったのに、胸の奥がじんわり熱くなった。
先生も大変ですねの破壊力
依頼人の目は、明らかにこちらの疲れを見抜いていた。「大変ですね」と言われて、涙が出そうになったのは初めてだった。誰にも見せてこなかった疲労と寂しさを、その一言が貫いた。優しさって、意外とこういうところにあるのかもしれない。
強がりが崩れた午後
普段は「いやいや、大丈夫ですよ」と笑ってごまかしてきた。でもその日は、うまく笑えなかった。「実はちょっと…きついです」とつい本音をこぼしてしまった。依頼人は驚いた顔をしていたが、すぐに「無理しないでくださいね」と言ってくれた。こっちが相談される立場なのに、まるで励まされていた。
見せないつもりだった弱さ
司法書士という肩書に、必要以上に強さを求められている気がしていた。でも、それは自分が勝手に作ったイメージだったのかもしれない。もっと素直に、「疲れました」と言ってもいいのかもしれない。そう気づかされた日だった。
涙を堪えたまま処理を続ける
気を緩めたら涙が出そうだった。でも仕事は待ってくれない。書類にハンコを押し、説明を続け、依頼人を見送った。戻ってきた事務所で、椅子に沈みながら天井を見上げた。「今日はなんだか、いい日だったな」と思えた。
優しさに触れると脆くなる
普段は「人は人、自分は自分」と割り切っているのに、あの一言だけは効いた。優しさというのは、心に隙間があるときほど刺さるのだ。自分が脆いことに気づかされた午後でもあった。
感情と仕事の間で揺れる
士業は感情を表に出さず、冷静に仕事をこなすのが美徳とされている。でも、だからこそ「感情」とどう付き合うかが課題になる。泣きたいときは泣いたっていい、そんな空気がもう少しこの業界にもあっていいのではないか。
誰かに共感されることの救い
正直、「大変ですね」の一言だけで、ここまで救われるとは思っていなかった。共感って、こんなにも力があるのか。日々、誰かの人生に関わる仕事をしているのに、自分は誰にも関わってもらえていなかったのかもしれない。
共感が原動力になるという実感
「誰かが自分のことをわかってくれる」――それだけで、翌朝の目覚めが少し軽くなる。人は一人では生きられない。士業も、結局は人間関係で支えられている。あの依頼人の言葉を思い出すたび、今日もがんばろうと思える。
ただの一言に価値がある
カウンセリングでも、コーチングでもなく、たった一言の何気ない言葉が、一人の司法書士を救う。それが現実にあるのだ。だからこそ、私も依頼人に対して、もっと言葉を大切にしようと思った。
言葉の力は想像以上
士業だからといって、感情を切り離す必要はない。むしろ、言葉の温かさが人を動かすことがある。改めて、言葉の力を信じてみようと思う。たった一言で、世界が少し変わることもあるのだから。
司法書士として生きる意味を問い直す
疲れて、悩んで、もう辞めようかと思ったこともある。でも、こうして人と出会い、言葉に救われる経験がある限り、この仕事を続けていきたいとも思う。自分の弱さを認められたその日から、少しずつ風向きが変わった気がしている。
仕事に押しつぶされそうになった時のこと
仕事量に押されて、何も考えられなくなった日。電話を切った直後に「何でこんなにやってるんだろう」とつぶやいたあの瞬間が、今でも忘れられない。その気持ちを受け止めてくれる存在が、たとえ一瞬でも現れてくれたことに、感謝しかない。
それでもやめなかった理由
辞めたい気持ちは、何度も襲ってくる。でも、最後の最後に思いとどまるのは、「誰かの役に立てるかもしれない」という小さな希望だ。その希望を、依頼人の何気ない一言がそっと支えてくれている。それだけで、また明日も仕事に向かえる。