寂しさと引き換えに得た自由という選択に救われた僕の話

寂しさと引き換えに得た自由という選択に救われた僕の話

あのときの選択がなかったらどうなっていたか

司法書士として独立するかどうか悩んでいた30代後半、僕は大きな岐路に立たされていました。地元で開業するか、それとも都市部の事務所に留まって安定を選ぶか。周囲は口を揃えて「今さら地元に戻ってどうする」と言いました。でも、どこかで誰にも管理されず、ひとりでやっていく自由に憧れていたのも事実です。その選択の果てに待っていたのは、確かに孤独でした。けれど、もしあのとき別の選択をしていたら…僕は今ここにはいなかったでしょう。

家族か仕事かと迫られた二択の先に

ちょうどその頃、母が体調を崩しました。兄も妹も遠方に住んでいて、介護は自分に回ってくるだろうなとは思っていた。でも開業準備と母の面倒を両立するのは簡単じゃなかった。家族を取るか、夢を取るか──そんな選択、どちらも正解がないことくらいわかっていました。僕は仕事を選んだんです。罪悪感を抱きながら。それでも自分で決めたんだから、後悔はしないつもりでした。

誰にも相談できずに下した独断の決断

相談相手はいませんでした。恋人もいないし、友人も忙しそうで「まあ頑張ってよ」と言われるだけ。法律のことは詳しくても、自分の感情の整理は下手なまま。結局、黙って母の入院手続きをし、同時に開業届けを提出しました。どちらの書類にも震える手で判を押しました。決して軽い気持ちではなかったけど、それでも一人で決めるしかなかったのです。

静かに泣いた帰り道の車内

その日の夜、病院の駐車場でひとり泣きました。運転席の中、エンジンも切らず、ハンドルに顔をうずめて。大声では泣けないから、静かに、でも止まらない涙でした。「これでよかったんだろうか」と自問し続けながら、それでも次の日は開業準備に向かわなきゃいけない。その繰り返しの始まりが、あの日でした。

自由を選んだ代償は確かに大きかった

開業してからの数年、誰にも縛られない自由と引き換えに、いろんなものを失いました。飲み会も減ったし、土日も仕事のことが頭を離れない。誰かと予定を合わせるということ自体、億劫になっていきました。それでも「自由であること」に救われた感覚は確かにありました。決してラクじゃないけれど、自分の裁量で働けるのは、僕にとっては大きな意味があったんです。

人付き合いが減っていく現実

もともと人付き合いが得意な方ではなかったけれど、開業してからはさらにその傾向が加速しました。誘いを断るのも、誰かと話すのも、だんだんおっくうに。気づけば連絡を取るのは業者かお客さんばかりになっていて、プライベートの会話なんて数えるほど。休みの日にスマホを見ても、通知はゼロ。あのときの選択が、こういう形で響いてくるとは思っていなかった。

LINEの通知は仕事関係だけ

ある日、事務員さんが「先生って、誰とでも仲良くなる感じじゃないですね」と笑って言ってきた。冗談だとわかっていても、内心は少し刺さりました。LINEの通知も、銀行や役所、業者からのものばかり。たまに来るのは、家族からの「〇〇の書類ってこれでいい?」という確認メッセージだけ。たまに間違えて通知が来たときですら、ちょっとだけ期待してしまう自分がいるのが、なんとも情けなかったです。

夜のスーパーに並ぶ独身男の孤独

閉店間際のスーパーで、割引シールが貼られた弁当を手に取るたび、「なんだかな」と思う。隣に並んでるのもだいたい似たような年齢層の男性ばかり。会話もない、表情もない、ただ黙って買い物を済ませて帰るだけ。誰かのために食事を選ぶことも、帰ったら話し相手がいることも、ずいぶん昔のドラマのように遠い存在。自由はある、でもそれだけだと、心は乾いていくのかもしれない。

それでも僕が司法書士を続ける理由

寂しさを感じない日は、正直ほとんどない。でも、それでもこの仕事を続けたい理由があるんです。誰かの人生の一部に関われるということ。それが形式的な登記であっても、「先生に頼んでよかった」と言われたときに、ああ、ここにいてよかったなと思える瞬間があります。派手な成功なんていらない。地味でも確かな役割があることが、僕にとっての救いなんです。

誰かの困りごとに真面目に向き合いたい

例えば、相続で揉めてしまった家族が、うちの事務所に来てくれたとき。最初は全員が険しい顔をしていたのに、少しずつ話を聞いていく中で、表情が和らいでいく。書類だけでなく、気持ちをまとめるお手伝いができること。それが司法書士の面白さであり、やりがいでもあります。報酬ではなく、信頼で返してくれるこの仕事が、僕の心の支えなんです。

地味でも感謝されるこの仕事の価値

不動産登記、商業登記、遺言書の作成支援──どれも地味な仕事です。でも、どれも人の人生の節目に関わる仕事です。派手な営業活動ができるわけでもない僕には、この「丁寧にやる」というしか取り柄がありません。けれど、それを評価して「また先生にお願いしたい」と言ってもらえたとき、やっぱりこの道を選んでよかったなと思えます。

「ありがとう」の一言が明日も頑張れる理由

ある日、古くからの依頼者の方が手土産を持ってやってきて「先生に任せてほんとによかった」と言ってくれました。その言葉が、僕の1週間分の疲れを一瞬で吹き飛ばしてくれた気がしました。誰にも必要とされないような日々のなかで、ポツンと差し込む光みたいなその言葉。そんな瞬間があるから、明日もまた、地味な仕事に向き合っていけるんだと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。