ひとりごとが増えてきた気がするのは誰ともぶつかりたくないからかもしれない

ひとりごとが増えてきた気がするのは誰ともぶつかりたくないからかもしれない

気づけば誰にも聞かれていない声を出していた

最近、気がつくと自分でも驚くほどひとりごとが増えた。「あれ、なんだっけ?」とか、「これで合ってるよな」とか、誰に向けるでもない言葉が口からこぼれている。昔はこんなじゃなかったと思う。仕事のミスを防ぐための確認のつもりが、いつのまにか癖になっていたのかもしれない。誰も聞いていないはずなのに、聞いてほしい気持ちがどこかにあるのだろうか。あるいは、自分の声でも聞こえてこないと、不安になるようになってしまったのかもしれない。

朝の準備中にぽつりと漏れた一言

ある朝、洗面所で歯を磨いているとき、ふと「今日も面倒だな」とつぶやいていた。誰もいない部屋に、歯ブラシの音と自分の声だけが響いていた。独身で一人暮らし、話し相手もいない。話しかける人がいないから話さないのではなく、話さなくなったからこそ、口が勝手に言葉を探しているような感覚だ。これはただの独り言なんだろうけど、どこかで「誰か」に聞いてほしいという思いも込めてしまっているのかもしれない。

「あれ どこやったっけ」と自分に問いかける日常

出かける前、鍵やスマホを探しながら「どこ置いたっけ?」と自分に聞く。別に誰も答えてくれないのにだ。だけどその一言があると、少し安心する気がする。何も言わずに黙って探すと、焦りが増してしまうのだ。自分に語りかけることで、不安や焦りをごまかしているのかもしれない。そう思うと、ひとりごとは単なる癖じゃなくて、自分を守るための小さな儀式のようなものかもしれない。

誰かに話しかけたいわけじゃないが黙っていられない

不思議なことに、誰かに聞いてほしいわけでもないのに、黙っていられない時がある。とくに仕事の締め切りが近づいていたり、神経を使う作業をしているとき、自然と「よし、あと一件」「大丈夫、間に合う」とつぶやいている。まるで自分にエールを送っているようだ。こんなことを他人に話すと、ちょっとおかしい人に思われそうで恥ずかしいけれど、これはきっと、ひとりでやっている仕事だからこそ必要な「声」なんだと思う。

仕事中の独り言はもはや業務の一部

事務所で登記申請の準備をしているときも、ついつい声が漏れてしまう。「印鑑証明つけた」「添付書類はOK」など、声に出して確認しないと自信が持てない。事務員には「先生また言ってますよ」と笑われるが、こっちは真剣だ。ミスが許されないからこそ、声に出して確認するようになった。でもこれがいつのまにか癖になり、誰もいない時にも自然と口をついて出るようになった。業務の一部といえばそれまでだが、なんだか自分でも変な気がしてくる。

「これミスったらヤバいな」って確認するだけ

登記の書類一枚でお客様の人生が左右される。だからこそ、何度も何度も確認する。そのたびに、「これで間違ってないな?」と自問する。声に出すことで、頭の中でだけ確認するよりも安心できるのだ。とはいえ、これを人前でやると少し気味悪がられる。事務員の女性に「自分で自分を励ましてるんですか?」と笑われたこともある。でも、それで済むなら安いもんだ。間違って取り返しのつかないことになるよりは、ずっといい。

事務員の前でうっかり出てしまう自己実況

ふとした瞬間に出てしまう「さて次は…」「これは後回し」などの声。自分では無意識だが、事務員の前でやってしまったときの気まずさはなかなかのものだ。別に怒られるわけじゃないし、彼女も慣れているのかスルーしてくれるが、こっちは勝手に恥ずかしくなる。実況してるつもりなんてないのに、なんでこんなに話しかけてるんだろう。やっぱりどこかで、人と会話をしたいという気持ちが残っているのかもしれない。

言葉に出さないと崩れてしまいそうな心

独り言は、ただの習慣じゃない。ときに、それは心を支える一本の柱のようなものだ。特に、司法書士の仕事のように一人で抱える責任が重い職業では、自分の中に溜まったプレッシャーを、声にして逃がさないとやってられないことがある。たとえ誰にも届かなくても、自分の耳に届くだけで、少し気が楽になる。声を出すことは、感情を整える一つの手段なのかもしれない。

自分の中のストレスをこっそり逃がす方法

昔、ストレス解消にカラオケに行ったことがある。誰もいないヒトカラで大声を出すと、確かにスッキリした。でもそれと同じことを、今では日常でこっそりやっているのかもしれない。「はぁ、またかよ」「なんでこうなるんだよ」そういう愚痴混じりのひとりごとは、言葉として吐き出すことで、心の中のもやもやを一瞬だけ晴らしてくれる。それがなかったら、きっともっと不機嫌で無口な自分になっていた気がする。

愚痴のようで慰めのような独り言

「まぁ、仕方ないか」「自分だけじゃないよな」そんな言葉を誰にも言われない代わりに、自分で自分に言う。愚痴のようでいて、どこか慰めでもある。誰にも頼らず生きているように見えるかもしれないが、本当は誰かにそう言ってほしいのだろう。けれど現実は、自分で自分をなだめるしかない。それでも声に出すだけで、少し気が楽になるのだから、不思議なもんだ。

聞いてくれる人がいない寂しさとの折り合い

独身で、地元の友達とも疎遠になり、夜に話す相手もいない。昔は「誰かに愚痴を聞いてもらうのも悪くないな」と思っていたが、今ではそんな相手すら思い浮かばない。だからこそ、独り言が増えたのかもしれない。人は言葉を交わさないと、どこかで壊れてしまう気がする。せめて自分とだけでも対話していないと、心が静まりすぎて怖くなるのだ。

ひとり言を言っていると安心する理由

これはたぶん、誰ともぶつかりたくない、誰にも迷惑をかけたくないという気持ちの裏返しなんだと思う。話し相手を求めるけれど、それと同時に人との関係で傷つくのが怖い。だったら、自分との会話だけで済ませてしまおう。それが安全だし、気を使わなくていい。でも、本当にそれでいいのか。時々、ひとりごとが増えた自分に問いかけたくなる。

元野球部だった頃のベンチの声出しの名残か

ふと思い出すのは、高校時代の野球部での声出しだ。ベンチから「ナイスバッティング!」とか「一本いこうぜ!」とか叫んでいたあの頃。誰かを励ましながら、自分も鼓舞していた。今の独り言も、あれに似ている気がする。ただ、今は励ます相手が自分しかいないだけ。誰かの応援が聞こえる日が、また来るのだろうか。

言語化して整理しないと不安で進めない

頭の中で考えているだけだと、どこか曖昧で不安になる。だからこそ言葉にして確認したくなるのかもしれない。「これでいい」「よし、次」といったひとりごとは、単なる確認作業ではなく、心の中の不安にフタをする儀式のようなものだ。司法書士の仕事は小さな不安の連続だ。だからこそ、言葉にしないと次へ進めないのかもしれない。

モテないし独身だし 誰ともケンカしないで済む日々

誰ともケンカしない代わりに、誰とも分かり合うことも少ない。そんな静かな日常の中で、ひとりごとだけが自分の味方になってくれている。話しかけても否定されない、怒られない。そんな安全な関係性に、いつの間にか甘えてしまっている。だけど、それで本当に心が満たされているのか、正直わからないままだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。