抹消人の沈黙
午後三時の来訪者
その男は、薄汚れた封筒を手に持ち、どこか所在なさげに事務所のドアを開けた。 年の頃は五十代前半、無精ひげに古びたスーツ。目元にうっすらとした影があった。 「抵当権の抹消をお願いしたいんですが……」その声には、何かを隠すような重さがあった。
依頼は抵当権の抹消
住宅ローンを完済したということで、通常の抵当権抹消登記の依頼かと思われた。 書類一式もきちんと揃っており、登記識別情報通知書も添付されていた。 それでもどこか、ひっかかるものが胸の奥に残る。
どこか引っかかる
書面上の問題はない。それでも、どうにもその“静けさ”が気になった。 まるで何かを隠すために、完璧に仕上げられているような、異様な整合性。 経験則というやつだ。違和感は、いつだって理屈の前にやってくる。
サトウさんの冷静な視線
「この日付、おかしいですよ」 そばでパソコンに向かっていたサトウさんが、突然口を開いた。 表示された画面を覗くと、たしかに抵当権設定の日付と弁済日が矛盾している。
古い登記簿の中の違和感
過去の登記簿謄本を調べてみると、かつて別の抵当権が設定されていた形跡があった。 それが、なぜか今の登記簿には存在していない。抹消記録もない。 「消された、、、?」という言葉が、頭をよぎる。
消された登記原因
登記原因証明情報を確認すると、理由の記載欄が空欄に近い形式的な文言で埋められていた。 そこには「弁済」とあるが、金額も返済日も記されていない。 誰が作ったかもわからない、コピーのような書式だった。
やれやれ、、、うっかりの中のひらめき
机の引き出しをガチャガチャと探していた拍子に、封筒の中から付箋が落ちた。 「連絡先 キムラには黙っておくように」と書かれたその紙片。 やれやれ、、、こういうのはもっと早く出てきてほしいんだがな。
消えた債権者の正体
名義上の債権者は実在する銀行だったが、実際の金銭貸付は別の人物によるものだった。 その名はキムラ、地元では悪名高い貸金業者で、別名義で抵当権を設定していたという。 抹消されていたのは、その裏の抵当権だった。
背後に潜む二重契約の罠
一つの物件に対して、正式な銀行の抵当と、裏で動いた私的な契約が並存していた。 表向きの借入金は完済されたが、裏の債務は残っていた。 男は、それをもみ消すため、表の抵当権だけを抹消しようとしていたのだ。
急転直下の法務局呼び出し
「職権抹消の件で、お話があります」と法務局から呼び出しが入った。 一瞬、冷や汗が流れたが、真相を話す覚悟はできていた。 男の沈黙が、結果的に不実の登記に繋がっていたのだ。
サザエさんのような家族構成
調査の末、男の家族構成が浮かび上がった。 母はサザエさん的な天然型、妹はワカメ以上に鋭くて現実的、弟は就職浪人のカツオ系。 家族の誰かがキムラと繋がっていたことで、男は口を閉ざしていたのだ。
明かされる沈黙の理由
「妹の借金を、俺が肩代わりしたんです……」 男の声は、紙のように乾いていた。沈黙は、妹を守るための盾だった。 だが、それが許される世界ではない。
司法書士の一手
「登記はできません。むしろ、前の抵当権を戻す手続きをすべきです」 その提案に、男はうなだれた。 だが、これで真っ当な手続きが踏める。真実は帳簿にこそ残すべきだ。
依頼人のための結末
再登記と、裏の契約の整理。妹との話し合いも進んだ。 キムラは行政指導を受け、裏の貸付も精査されることになった。 男は、ようやく本来の意味で“完済”した。
静けさの中で
夕暮れの事務所、サトウさんが紅茶を淹れてくれた。 「やっぱり、最初の違和感は当たってたわね」 ぼくは湯気を見ながら、つぶやいた。「まあな、でももう少し静かな午後が欲しいよ、、、」