恋が始まるのに申請なんていらない理不尽
世の中のほとんどのことが「申請主義」で成り立っている。登記だってそうだ。申請しなければ、存在しないのと同じ扱いを受ける。だからこそ、こちらも期限を守り、書類を揃え、印鑑を押して、ようやく動き出す。それが正しい世界の動きだと、僕は信じてきた。司法書士として生きてきた中で、それが唯一の安心材料だったかもしれない。だけど——恋だけは違った。申請の窓口もなければ、審査基準も不明。そもそも「受付中かどうか」すらわからない。いつも片想いで終わる理由は、そのあたりの不透明さにある気がしてならない。
書類はきちんと整えてきたけれど
僕は基本、抜け漏れのない書類を好む。相手先にも迷惑をかけないよう、完璧な準備をしてから提出するのが信条だ。だから、恋にも同じような姿勢で臨んできたつもりだった。話しかけるタイミングを見計らい、服装も清潔にし、変に踏み込みすぎず、丁寧な距離感を保つ。そう、まるで書類審査に通るかのような計算をしてきた。でも、現実は甘くない。そういうの、女性からすると「気持ち悪い」らしい。後から聞いた話だけど、「なんか許可を求めてる感じが重い」って。こっちは書類を一枚一枚揃えてる気持ちだったんだけどな。
どれだけ完璧な書類でも恋には通用しない
司法書士の仕事では、間違いがなければ受理される。記載漏れがあれば補正、最悪取り下げ。そこに感情は介入しない。でも、恋愛は違う。こっちは気持ちを言葉にしようと用意しても、相手が「無理」と思えば即終了。審査にも乗らない。しかも事前に却下理由が説明されることもない。せめて「今は恋愛モードではありません」とか「タイプではありません」とか、何かしらのフィードバックがほしい。登記申請であれば、不備があったら登記官が教えてくれるのに。人の心って、本当に面倒くさい。
ハンコの押し忘れなら取り返せるけど
たとえば、印紙の貼り忘れがあったとしても、それは持参すれば済む話。日を改めて補正すれば完了する。だけど、恋のタイミングを逃したら、それはもう二度と取り戻せない。大学時代、ちょっといいなと思ってた人がいて、何度か会話して、メールもしてた。でも、告白しようと決めた頃には、もう別の人と付き合っていた。あの時、あの一歩を踏み出すだけで、変わってたかもしれない。でも当時の僕は「まだ準備が…」なんて、まるで書類に押印を忘れたみたいな理由で止まっていた。自分の弱さに、今でも時々腹が立つ。
仕事では通るのに恋では却下される人生
司法書士として、そこそこやってこれたと思っている。依頼された登記をミスなく処理し、役所とも円滑にやりとりしてきた。それなのに、なぜか恋だけはことごとく失敗してきた。どれだけ丁寧に接しても、相手にとっては「良い人止まり」。仕事なら「有能」と言われる場面でも、恋になると「距離がある」「面白くない」「印象が薄い」。それが地味にこたえる。なまじ自分に何かしらの実績があるだけに、恋愛という分野でだけ無力な自分が情けなくなる。
完了登記通知書のように気持ちも通知できたら
恋も、気持ちを送ったら「受け取りました」くらいの返事がほしい。登記が完了したら通知が来るように、「好意を受け取りました」「ただいま検討中です」なんて通知がくれば、こちらも無駄に期待して傷つくこともない。昔、LINEで送ったメッセージが既読無視になったとき、まるで登記を提出して受理番号すら出なかったような虚無感に襲われた。ステータスがわからないって、こんなにも不安になるものかと知った瞬間だった。
手続きのプロでも恋の進行は素人
登記の進行はわかる。今どの段階にあるか、誰が担当しているか、どこにボールがあるか。それに比べて恋は、ボールが宙に浮いたまま戻ってこない。何をしたら好感度が上がるのか、どこでラインを越えたのか、まるで読み解けない。恋愛指南本を読んでみたこともあるけど、どうもピンとこなかった。自分の感覚と違うし、正解が人によって違いすぎる。つまり、法務局のような統一されたルールがない。それが、一番の難関なんだろう。
「不受理」の印鑑が心に押されるたびに
失恋するたび、心に「不受理」スタンプが押されるような感覚になる。あれだけ頑張ったのに、やっぱり受け入れられなかった。たった一言「ごめんなさい」で終わるその冷たさに、何度心が折れたかわからない。だけど、それでもまた好きになる。これが不思議だ。何度不受理にされても、どこかでまた申請しようとする自分がいる。懲りないというより、たぶん人間はそれくらいバカでないと生きていけないのかもしれない。
忙しさを言い訳にしてきたけれど
「今は仕事が忙しいから」と、どれだけのチャンスをスルーしてきただろう。確かに司法書士の仕事は忙しい。特に年度末や相続のピーク時期は、休みもろくに取れない。でもそれは言い訳だ。恋をする時間は、本気で作れば作れるはずだ。なのに、それを避けてきたのは、きっと傷つきたくなかったからだろう。仕事は成果が見えるし、努力も報われることが多い。でも恋は、報われる保証なんてどこにもない。だから、つい後回しにしてきた。
申請主義のような仕組みが欲しくなった夜
ふとした夜、独りでコンビニ帰りの道を歩いていて、急に思った。「恋も申請主義だったらよかったのに」と。事前に相手の受け入れ可否がわかっていたら、どれだけ安心してアプローチできるだろうか。準備期間も読めるし、無理なら無理と割り切れる。そうしたら、僕ももっと真剣に恋に向き合えたかもしれない。そんな妄想をしながら、冷たいおにぎりを片手に夜風に吹かれていた。まったく、何をしてるんだか。
誰かが決裁してくれる恋ならどんなに楽か
たとえば、恋愛感情を第三者が仲介してくれて、「この人とは付き合ってみてもいいんじゃないですかね」なんて助言してくれたら、ずいぶん気が楽だ。会社なら上司がハンコを押してくれる。僕だって補助者に指示して、書類を通す。そういう仕組みがあれば、恋ももう少し滑らかに進むのではないか。いや、それは責任逃れかもしれない。だけど、自分一人で決断して踏み込むのは、やっぱり怖い。
あの人の気持ちもPDFで届けばいいのに
「この人はあなたに好意を持っています」「残念ながら現時点では対象外です」——そんなPDFファイルが添付されて届いたら、どれだけわかりやすいだろうか。封筒を開けるときのドキドキもなく、淡々と事実を受け止められる気がする。だけど、恋はそうじゃない。だからこそ面倒で、厄介で、でもやっぱり惹かれてしまう。僕は、そういう不器用な感情をずっと持て余している。そして、今夜もまた、恋の申請書を書けないまま、机に向かっている。