気づけば誰にもそう言えなくなっていた
「仕事が恋人なんで」と笑っていた頃が懐かしい。あの頃は、本気でそう思っていたわけじゃない。ただ恋愛に興味がないふりをしていただけだし、忙しい自分をちょっとカッコよく見せたかったのかもしれない。でも、ある日ふと、そのセリフを口に出そうとして、飲み込んだ。誰も笑ってくれない気がしたのだ。寂しさが冗談を冗談にしなくなった瞬間だった。
昔は笑い話だった言葉の重さ
若い頃、同期の集まりや同窓会では、「いやもう、俺、仕事が恋人だからさ」と言えば場が和んだ。みんなが笑って、「またまた」とツッコんでくれた。自分の中にもまだ、出会いを求める気持ちがあったし、可能性はゼロじゃないと思っていた。でも今は、その言葉の裏にある現実が透けて見えてしまって、もう笑えない。誰も突っ込まない、というか気を遣わせてしまう気がして口をつぐむようになった。
飲み会の定番ネタだった頃
司法書士の勉強をしていたころ、仲間内での打ち上げでは「彼女?今は六法としか会ってない」とか言って笑い合っていた。周りも似たような境遇だったから、なんとなく共有できていた空気感。勉強漬けの毎日でも、どこかで“今だけ”だと思えていた。でも、その“今だけ”が10年20年と続いて、気づけば本当に仕事しか残っていなかった。あの頃の笑い話が、今はただの現実になった。
本気でそう言うようになってしまった今
「仕事が恋人」――本当になってしまった。朝から晩まで、依頼人の顔を思い浮かべながら書類に向かい、夜中にひとりで登記の段取りを見直す。電話は鳴るけど、プライベートの連絡なんて来ない。スマホはただの業務連絡端末だ。恋人どころか、仕事が“配偶者”のような存在に思えることさえある。だけど、愛されてる実感はない。こちらが一方的に尽くしているだけの関係だ。
仕事に全てを捧げた結果の静けさ
決して嫌いな仕事じゃない。むしろ誇りもあるし、責任感だってある。でも、全てを捧げた結果がこの静けさだと気づいたとき、ちょっとした空虚感に襲われる。毎日きちんとこなしているのに、満たされない何かがある。事務所は静かで、電話のコール音が妙に響く。たまに人の声が聞きたくてラジオをつけることもある。こんな日常が、ふと怖くなるときがある。
誰も咎めないけど誰も待っていない
遅くまで働いても誰にも怒られない。むしろ、「さすが真面目ですね」と褒められることさえある。でもその裏で、誰かが待っていてくれるわけでもない。帰っても明かりがついていない部屋、冷蔵庫の中にはコンビニのサラダ。お疲れ様、と声をかけてくれる人もいない。誰からも咎められず、誰からも求められない。その静けさが、年々重たくのしかかってくる。
休日の予定が埋まらないのは忙しさのせいじゃない
「休みの日は何してるんですか?」と聞かれて、答えに詰まることがある。以前は「仕事が忙しくて」と言っていたが、本当は誘ってくれる人がいないだけだった。予定がないのは、選んでそうしているのではなく、自然とそうなってしまった結果なのだ。せっかくの休日にどこに行こうかと思っても、行きたい場所も人も思い浮かばない。それに気づいてしまうと、余計に予定を入れたくなくなる自分がいる。
モテなかったのか避けていたのか
女性にモテなかった自覚はある。でも、同時に「自分には合わない」と、どこかで距離を置いていたのも事実だ。野球部時代は女子と話すのが苦手だったし、大人になっても“女性と関わると面倒”という先入観を持ち続けていた。そのまま仕事に逃げ、気づけばその“逃げ”が“選択”になってしまっていた気がする。
恋愛よりも安心できる仕事との関係
恋愛は、不確実で、傷つくリスクもある。一方、仕事はルールがあって、努力すればある程度報われる世界だ。司法書士という職業も、責任は重いが、自分がやった分だけ結果が出る。それが心地よかった。たぶん、安心できる居場所がほしかったのだと思う。誰かに振り回されるより、書類と格闘しているほうが自分らしくいられる。そんな風に自分を納得させて、ここまできた。
気づけば気楽をこじらせていた
一人は気楽だし、誰にも干渉されない。でも、その“気楽”がいつしか“孤独”に変わっていった。自由なはずなのに、なぜか息苦しい。誰にも気を使わず、好きなように生きてきたはずなのに、どこか寂しい。年齢を重ねて、「これでいいのか」と思う瞬間が増えてきた。誰かと比べてるつもりはないけれど、SNSで家族写真を見かけると、どうしようもなく静かになる。
部活と仕事は似ているけど違う
元野球部として、努力や根性で乗り越える精神は身についていた。実際、司法書士の資格を取るときも、それが支えになった。でも、社会に出てみると、がむしゃらに頑張るだけではどうにもならないことが多い。部活には仲間がいて、声を掛け合って乗り越えられた。でも、今は一人。掛け声もなく、ただ静かに机に向かっている日々だ。
野球部だった頃の汗と声と仲間
あの頃のグラウンドには、声が飛び交っていた。「ナイスプレー」「ドンマイ」そんな言葉一つで、気持ちが切り替えられた。負けても、仲間と焼きそば食べて笑っていれば、明日また頑張ろうと思えた。司法書士の仕事は、ある意味“孤独なマウンド”だ。ミスは自分一人の責任だし、誰もベンチから応援してはくれない。それが一番きつい。
一人で背負うようになった責任の重み
依頼人の人生の一部を背負っている。そのプレッシャーは重い。登記一つミスれば、信用を失う。だからこそ、慎重にならざるを得ない。でも、その重圧を誰かと分かち合えるわけでもなく、自分の中で飲み込むしかない。黙って耐える日々に、ふと「これって本当に理想の生き方だったんだっけ?」と我に返ることがある。
だからといって仕事を嫌いになれない
ここまで書いておいてなんだが、それでも仕事を嫌いにはなれない。不器用で、下手で、モテなくても、自分が一生懸命になれるものがあるというのは、ある意味幸せなことかもしれない。愚痴ばかり言ってるが、それも全部、この仕事に本気だからだ。誰にも言えないことを、今日もパソコンに向かって打ち込んでいる。ただそれだけの毎日でも、自分なりに意味があると信じている。
愚痴をこぼしながらも今日も机に向かう理由
誰かに認められたいとか、賞を取りたいとか、そんな気持ちはもうあまりない。でも、目の前の依頼人のためにできることをやる。それだけが自分を支えている。正直、時々「何やってるんだろうな」と思うけれど、それでもまた朝が来れば、机に向かって書類を広げる。そうやって今日も、仕事と暮らしていくのだ。