依頼の朝に鳴った電話
「もしもし、司法書士さんですか。ちょっとおかしな話がありましてね」
受話器越しに聞こえてきた声は低く、妙に落ち着いていたが、その内容は妙にざわついていた。
「隣人が、死んだのに登記が変わってないんですよ。しかも最近、誰かが勝手に入ってるみたいで……」
時計の針は朝の九時を指していたが、すでに頭が痛い。
無愛想な声が語る奇妙な相談
相談者は六十代の男性で、一戸建てに住んでいるという。
隣の家は空き家だったはずが、数日前から人の気配があるらしい。
「夜中に灯りが点いてるんです。でも、誰も見たことないんですよ」
不動産登記の異変と共に、隣人の死と出入りする謎の人物。話は混沌としていた。
サトウさんの冷静な初動対応
「所有者の確認はわたしがやっておきます」
そう言って電話を切ると、サトウさんは黙々と法務局のオンライン閲覧サービスを開いた。
「所有者、まだ十年前に亡くなった人のままですね。それと……」
画面をじっと見つめながら、彼女の眉がわずかに動いた。
亡き隣人と空き家の謎
隣家の登記簿には、亡くなったとされる男性の名義が残ったままだった。
だが、不思議なことに、表題部の建物構造や床面積に微妙な変更が加えられていた。
誰が、何のために――。この手の細工は、ただの素人には難しい。
登記簿の所有者欄に違和感
「所有権保存登記が昭和のままですよ」
サトウさんが指差したのは、所有者欄に記された旧字体の名前。
「でも、建物の構造変更の登記だけが昨年になってる。名義人が死んでるのに」
つまり、生きていない人物の名義を利用して、誰かが改ざんを加えていた。
古い抵当権が動き出す
さらに奇妙だったのは、抵当権の設定。
地方銀行の名前が記載されていたが、支店は十年以上前に統廃合で消えていた。
「幽霊名義に幽霊抵当ですか……これは、さしずめサザエさんの波平さんが、こっそり秘密基地でも建てたようなものですね」
サトウさんは皮肉混じりにそう言った。
隣地境界の線が語るもの
土地家屋調査士との現地調査は、午前中いっぱいかかった。
境界杭の一つが、なぜか新しい。しかも、真っ直ぐでない。
「これは意図的にずらしてますね。たぶん、建て替えたか、増築したんでしょう」
だがその記録は、登記には現れていなかった。
土地家屋調査士との合同調査
調査士の持つ測量データと、法務局の図面が微妙にズレていた。
「この土地、ちょっと前に測量し直した形跡があります。境界ブロックも新しい」
それが意味することはひとつ。
誰かがこの土地を、法的な所有者の確認もせず、勝手に利用しようとしている。
境界杭に隠された手がかり
杭の根本に、小さなビニール袋が埋まっていた。
中に入っていたのは、白黒の古びた写真と、一通の封筒。
「やれやれ、、、探偵漫画か怪盗ものか、まるでドラマの筋書きですよ」
思わずそう呟いた自分が恥ずかしい。だが、この写真が決定的だった。
遺産分割協議の裏側
登記の名義人には相続人がいなかったとされていた。
だが、その前提が誤りだった。写真の中の人物に見覚えがあったのだ。
それは、近くの工務店の社長。名字こそ違えど、顔の輪郭と目元があまりに似ていた。
相続人不在の不可解な展開
戸籍を追うと、名義人の姉にあたる人物が一度だけ結婚していた記録が出てきた。
その夫の戸籍には、養子縁組された男児――つまり、あの工務店の社長の名が。
「相続人、いるじゃないですか。なんで不在ってことになってたんです?」
その疑問が、すべての始まりだったのだ。
陰で糸を引く人物の存在
社長が建設業者として関わった現場の一つに、件の空き家があった。
「もしかして、自分が相続人ってことを知ってて、わざと手を出したんじゃ」
だが、確証がなかった。動機は見えていても、法的証明がなければただの疑いだ。
鍵を握るのは、例の封筒の中身だった。
記録の中に眠るもう一つの真実
封筒には、一通の手紙と司法書士の職印が押された遺言書の写しが入っていた。
「これ、登記に使われてない。なぜ提出されなかったんだろう」
その答えは、封筒の差出人欄にあった――十年前に廃業した司法書士の名前だった。
不自然な登記の変更履歴
オンラインで閲覧できる履歴では、数年前に申請が却下された形跡があった。
「不完全な遺言書だったとか、形式が合わなかったとかですかね」
だが、今回見つかった写しは、明らかに有効な形式だった。
つまり誰かが、あえてそれを使わず、宙に浮いた不動産を利用した可能性がある。
昔の名義人が残した遺言書
手紙の最後にこう書かれていた。
「すべての財産は、長年音信不通だった甥に渡したい。彼しかいない」
遺言書が法的に効力を持つことを確認し、ようやく一つの線が繋がった。
工務店の社長が、なぜかそれを黙っていた理由も、薄々見えてきた。
過去と現在を繋ぐ証拠
あとはこの遺言書の存在を証明するための裏付けが必要だった。
サトウさんは古い書庫から、廃業した司法書士の記録を調べ始めた。
「ありました。遺言書の原本保管記録、バッチリ残ってます」
これでようやく、物語はクライマックスを迎えようとしていた。
昭和の写真が明かす血縁
写真の裏には「けんちゃんへ おじさんより」と鉛筆で書かれていた。
それが工務店の社長の幼少時代の名前であることは、地元の古い住民の証言で裏が取れた。
これが、遺言者と受遺者の関係を証明する、唯一にして最大の証拠だった。
謄本に記された一筆の余白
建物図面の片隅に、手書きで記された「将来はけんちゃんのもの」という走り書き。
公式記録ではないが、遺志の片鱗として十分だった。
「あとは提出して、名義変更するだけですね」
サトウさんがそう言った時、すでに日は傾きかけていた。
嘘と欺きの結末
社長は罪には問われなかった。遺言の存在を知らなかったと主張し、実際それを覆す証拠はなかった。
だが、隠していたことは明白だった。
「結局、欲しかっただけなんだろうな。黙ってれば手に入ると思って」
だが、法の壁はそう甘くはなかった。
誰が何のために登記を操作したのか
背後にいたのは、社長の依頼で動いていた建築事務所の担当者だった。
彼が無断で構造変更を登記し、事実上の所有を既成事実化しようとしていた。
「法務局も見落としてましたね……」
制度の隙間に潜む悪意が、また一つ露わになった。
シンドウのうっかりが導いた解決
実を言えば、最初に資料を取り違えたのは僕だった。
だがそのおかげで、廃業した司法書士の記録にたどり着けた。
「うっかりも、たまには役に立つもんだな……」
自分で自分に苦笑いしながら、事務所の椅子に深く腰掛けた。
エピローグ
「お疲れさまでした。アイスコーヒー、冷蔵庫にあります」
サトウさんが言う。塩対応だが、それが今は少し心地いい。
蝉が鳴いていた。いつの間にか、真夏の午後だ。
やれやれ、、、今日もまた、何とか一件落着。