心の拠り所を探して歩いた日

心の拠り所を探して歩いた日

何かが足りないと感じた午前九時

朝一番の登記相談を終え、デスクに戻った瞬間、ふと胸のあたりがスースーするような感覚に襲われた。書類は山積み、予定もギッシリ。事務員さんからは「先生、次の電話もうすぐです」と声がかかる。でも、自分の中の何かが足りない。朝食は食べた。睡眠もまあまあ取れた。それでも、心がどこか置き去りにされたような、そんな違和感があった。

デスクの上は書類だらけでも心は空っぽ

司法書士という仕事は「依頼をさばく」ことに追われる日が多い。やりがいもある。感謝されることもある。でもそれとは裏腹に、心の奥が空洞になっていくような瞬間も多い。気づけば、タスクをこなすことで一日が終わっている。何かを創造したわけでもなく、誰かと深く関わったわけでもない。まるで自分が「作業の一部品」になったような気さえしてくる。

仕事は山積みでも心が追いつかない

「忙しい」と言えば聞こえはいいが、正直、気持ちがついてこないことも多々ある。特に、気を使う相続案件や、感情的な当事者が多い成年後見の相談などは、こちらの精神力を容赦なく削ってくる。終わった後は、何も考えられずぼんやり天井を見つめるだけの時間が必要になる。「誰か、代わりにちょっとだけこの現実を預かってくれないかな」と思ってしまう。

それでも手を止められない理由

じゃあ、なぜそんな思いを抱えながらも、やめずに続けているのかと聞かれたら、答えに詰まる。ただ、ここで止めたら、今まで積み上げてきたものが音を立てて崩れる気がする。情けない話だが、仕事に自分の価値を見出しているからこそ、しがみついているのかもしれない。そうやって今日もまた、書類の山に埋もれていく。

頼られても頼れない日々の中で

開業してから十数年、「先生」と呼ばれる立場になったが、だからといって何かを打ち明けられる相手が増えたわけじゃない。むしろ、孤独は深まった。事務員さんは若い女性で、真面目で優秀だが、僕の悩みを聞かせるわけにもいかない。結局、自分のことは自分で処理するしかないのだ。

事務員には弱音を見せられない

ある日、疲れ果てて「今日はちょっとしんどいな」とつぶやいたつもりが、事務員さんが「大丈夫ですか?」と心配してきたことがあった。嬉しい反面、申し訳なさで胸が締め付けられた。彼女には彼女の生活があるし、こっちの負の感情を背負わせるべきじゃない。そう思うと、やっぱり弱音は胸の中にしまい込むしかないと悟る。

相談される側のしんどさ

司法書士は「頼られる」仕事だ。相続、登記、債務整理。人の人生に関わる案件ばかり。けれど、頼られるということは、自分が「揺らいではいけない」存在になるということでもある。こちらが疲れていても、悩みを抱えていても、相手には関係ない。だからこそ、相談されるたびに心が少しずつ削れていくのを感じる。

いつからか肩に力を入れる癖がついた

気づけば、いつも肩に力が入っている。背筋を伸ばし、表情を整えて、感情を隠す。まるで役者のように「司法書士」としての自分を演じている。それが習慣になってしまったのはいつからだろう。たぶん、最初に相談者の涙を見た日から、僕は「泣けない側」に立つ覚悟を決めたのかもしれない。

電話のベルが胸に刺さることがある

静かな時間に突如鳴る電話の音。昔は「仕事が来た」と思っていたが、今は少し違う。「また何か起きたのでは」「嫌な連絡では」と不安が先に立つようになってしまった。反射的に肩がビクッとするのを、自分でも情けなく感じている。

クレームよりも沈黙のほうが怖い

クレームの電話は確かに疲れる。でも、それ以上に怖いのは、何も言わずに去っていく依頼者だ。こちらとしては精一杯対応したつもりでも、評価されることは少ない。沈黙は残酷で、こちらに改善の余地さえ与えてくれない。「伝わっていないんだな」と気づいたときの虚しさは、かなりこたえる。

正論と感情の狭間でもがく時間

法的には正しい対応をしていても、感情的には納得してもらえないことも多い。そんなとき、自分の中で葛藤が生まれる。「正しければいいのか」「人としてどうあるべきか」。誰にも聞けない答えを、自分で探し続けなければならない。それが地味に心を削る。

感謝されたいわけじゃないけれど

別に「ありがとう」と言われたいわけじゃない。けれど、せめて「理解してもらえた」という感覚がほしい。それすら得られないとき、心の行き場がなくなる。誰かに話せたらいいのにと思いながら、それができないまま夜になる。

コンビニの明かりにすら救われる夜

仕事帰りに立ち寄るコンビニの照明が、なぜかやけに眩しく、そして優しく感じることがある。誰も僕のことを知らない空間が、時には心の避難所になるのだ。

おにぎりと缶コーヒーが唯一の会話

レジで「温めますか?」と聞かれる。無意識に「お願いします」と答える。たったそれだけのやりとりが、心にじんわりしみる日もある。おにぎりと缶コーヒー。事務所に戻って一人で食べるその時間が、ある意味、今日一番ホッとできる瞬間かもしれない。

人と目を合わせるのが少し怖くなる

忙しい日々が続くと、人と話すこと自体にエネルギーを使い果たしてしまう。コンビニの店員の視線すら、避けたくなる日もある。「話しかけないでくれ」と思いながら、レジの列に並ぶ自分。そんな自分に自己嫌悪する夜もあった。

そんな夜でも家には誰もいない

家に帰っても、明かりの点いていない部屋が出迎える。テレビをつけても、誰かと話すわけでもない。気晴らしにSNSを見ても、誰かの幸せそうな投稿が胸を刺す。そうやって、孤独の音が少しずつ部屋に広がっていく。

心の拠り所とは何かを考えた

この仕事を続けるうえで、心の支えが必要だと本気で思うようになった。誰かに話を聞いてもらえる場、自分の弱さを見せられる空間、何でもいい。心の拠り所が、今の僕には足りていない。

誰かの「お疲れさま」がほしかった

一日の終わりに、「お疲れさま」と言ってくれる人がいたら、それだけでだいぶ救われるのに。そう思うことがある。決して大げさではない。「わかってくれている」という感覚が、こんなにも心に染みるものだとは、年齢を重ねてようやくわかってきた。

自分で自分を支える限界

全部自分で何とかしようと努力してきた。でも、限界はある。心の容量は無限じゃない。どこかで「自分を支える仕組み」を持たないと、いつか崩れてしまう。だからこそ、少しずつでも、誰かと繋がれるような場を持ちたいと思う。

気づいたら空を見上げていた

ある夜、ふと空を見上げた。星は見えなかったけれど、その広さだけは胸に響いた。自分は小さい存在だけれど、それでもこの世界に居場所があるのなら、もう少し頑張ってみようかと思えた。そう、心の拠り所って、意外と身近なところにあるのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓