気づけば全部自分の肩に乗っている
朝から晩まで、気づけば全ての業務が自分の手の中にあります。誰かに頼る余裕なんてないし、仮に頼ったとしても、結局やり直しが発生するなら最初から自分でやった方が早い──そんな思考に染まっていることが、自分でもわかってきました。45歳、独身、元野球部。踏ん張り癖がついてしまったのか、無意識に全部を背負ってしまう。だからこそ、今日も「この仕事、自分しかできないのでは?」と思い込んでしまうのです。
「頼れるのは自分だけ」になってしまう流れ
開業してしばらくは、経営も登記も郵便の手配も、すべて自分で回していました。その癖が今も抜けず、事務員を雇った後も、つい「これは自分がやった方が確実」と手を出してしまう。気づけば、どんどん抱え込んでいました。昔、野球部のキャプテンだった頃、チームのことを一人で背負おうとして空回りしていた自分を思い出します。あの頃と変わらないなと思うと、少し苦笑いしてしまいます。
事務員に任せられないという思い込み
事務員さんは頑張ってくれています。でも、ちょっとした誤字、申請ミスの恐怖が脳裏をよぎると、「ここは自分が…」と動いてしまう。実際にミスがあったわけでもないのに、「万が一」が怖くて仕方ない。自分が責任を負う立場であるからこそ、神経質になってしまうんですよね。だけど、これって本当に相手を信用していない証拠でもあって…。自分の中で、ずっと葛藤が続いています。
「自分がやった方が早い」が生む悪循環
少し前、事務員さんが申請のチェックをしてくれていたのですが、横から口を挟んでしまいました。結果、彼女は「じゃあ、お願いします」と手を引いてしまい、全部また自分のところに戻ってくる。まさに悪循環。自分の首を自分で絞めているんですよね。効率を求めるあまり、誰かに任せる機会を潰してしまう。そのツケは、夜の肩こりと目の疲れとして、地味にボディブローのように効いてきます。
ちょっとしたことでも気が抜けない理由
どれだけ手慣れた案件でも、「これくらいなら大丈夫だろう」が許されないのが司法書士という仕事です。小さなミスが信用を失い、損害につながる。だからこそ、どんな簡単な作業でも確認に確認を重ねる癖がついてしまいました。でもそれが、心の余裕をどんどん削っていくのも事実。仕事が終わってからも、あの書類に不備はなかったか、電話の伝言は間違っていなかったか、と布団の中で目を開けて考え続けてしまうんです。
登記ミスは命取りというプレッシャー
かつて、他の事務所の先生がちょっとした記載ミスでトラブルに巻き込まれたのを目の当たりにしました。あれ以来、必要以上に慎重になってしまったのかもしれません。書類に押す印鑑一つにしても、「間違っていたら…」と念を押して確認。おかげで、周囲からは神経質すぎると言われます。でも、自分の中では「それくらいじゃないと務まらない」という思いがこびりついてしまっているんです。
誰にも相談できない孤独感
この感覚、なかなか人に話しても伝わりません。司法書士の仕事の細かさや重さを本当に理解してくれる人って、同業者くらいなものです。でも、同業者とは競争でもあるし、なかなか弱音を吐けない。ましてや地方だと、愚痴をこぼせる相手も少ない。つい事務員さんに漏らしてしまうと、「私のこと?」と気を遣わせてしまうことも。こうしてどんどん孤独の殻に閉じこもっていくのを感じます。
それ、本当に自分しかできないのか
毎日「これも自分しかできない」と思って仕事をこなしているけど、ふと立ち止まって考えると、「いや、別に他の人でもできるかも…」と思う瞬間もあります。実際、事務員さんに任せたことがうまく回ったケースもあるし、思い込みで自分の首を絞めているのかもしれません。でも、それでもやっぱり不安で手放せない。その葛藤の中で生きている感じがします。
他人に任せる勇気のなさ
これは性格の問題もあるかもしれません。昔から人に頼るのが苦手で、野球部の時もケガをしてても「大丈夫です!」と無理して練習していました。結果、悪化して迷惑をかけることもあったのに、今も同じことを繰り返している。仕事でも、「任せて失敗されたらどうしよう」という不安が先に立ってしまって、つい自分で抱え込んでしまうんです。
失敗されたくないという防衛本能
失敗を恐れる気持ちは、結局自分の保身なんですよね。怒られるのも責められるのも、自分で済むならまだいい。でも、事務員がミスして、それが原因で依頼者との関係が悪くなったら…と思うと、責任を取らせることができない。それなら、最初から自分でやっておこうという選択になってしまう。優しさのようで、実は信用していないという矛盾を抱えています。
でも結局、自分が倒れたら意味がない
自分ひとりで全部を背負って、もし自分が倒れたら…事務所は止まるし、依頼者にも迷惑がかかる。そんな当たり前のことに、ようやく最近気づきました。信じて任せることは、事務所の継続にもつながるんですよね。自分が「壊れないため」にも、人に助けてもらう訓練をしなきゃと、ようやく思い始めています。まだまだ不器用ですが、少しずつ変わっていきたいです。
それでも辞められない理由
こんなに疲れて、こんなに愚痴ばかり言っているのに、なぜかこの仕事を辞めようとは思わない。たぶん、自分にはこれしかないという思いと、誰かの役に立てている実感があるからだと思います。司法書士の仕事は、派手じゃないけど、誰かの人生の節目に関われる仕事。それが自分の中の「続ける理由」になっているのかもしれません。
この仕事が嫌いになれない矛盾
正直、毎日「もうやってられない」と思うこともあります。でも、依頼者から「助かりました」「先生にお願いしてよかった」と言われると、その疲れが少し和らぎます。単純なもので、自分が必要とされていると感じるだけで、また次の日も頑張れてしまうんですよね。この矛盾だらけの感情も、きっと司法書士という職業の一部なんだと思います。
クライアントの感謝が支えになる
先日、相続の案件で涙を流してお礼を言われたことがありました。そんな経験はそう多くはないけれど、それがあるから頑張れる。書類の束に埋もれている日々の中で、「ああ、自分の仕事って意味があるんだな」と感じられる瞬間。だから、辞められないし、辞めたくない。疲れていても、また机に向かってしまう。これがこの仕事の魔力だと思っています。
元野球部だからこそ、踏ん張ってしまう
体がきつくても、心が折れかけても、「ここで逃げたら終わりだ」という気持ちがどこかにある。高校時代の野球部の練習で培った「しんどい時こそ踏ん張れ」という精神が、今も自分を動かしている気がします。それが良いのか悪いのかはわかりません。でも、もう少しだけこの場所で、もがいてみようと思っています。