朝の届出と恋の気配
朝一番で届いた補正通知に、俺は思わず目をこすった。登記原因証明情報の中に、奇妙な追記がある。内容は法的なものではなく、明らかに感情が滲んでいた。
「あなたの手続きを忘れません、今もあなたを思っています」と、そんな文言が添えられていたのだ。いや、ここはラブレターの受付じゃない。
補正期限は三日後。恋の行方と登記の行方、どちらが先に終わるのか——やれやれ、、、朝から胃が痛い。
補正通知がもたらした違和感
封筒の消印は隣町、依頼人の住所とは微妙に違う。しかも、申出書に記された筆跡は前回の提出書類と一致していなかった。俺の頭の中で警鐘が鳴り始める。
「サトウさん、この補正書類……ちょっと見てくれるか?」
彼女は一瞥して、すぐに言った。「本人じゃありませんね。字に迷いがない」
誰の筆跡か分からない申出書
依頼人が書いたのではないとすれば、誰が? 恋の告白を、わざわざ補正書に紛れ込ませてくるとは。まるで少女漫画のプロットだ。
俺はふと、昔読んだ『キャッツアイ』の一幕を思い出した。愛と犯罪が紙一重の、あの独特の空気。これはただの補正書ではない。
誰かが、意図を持ってこの補正を出している。
サトウさんの冷静な分析
昼休み、カップ麺をすすっているとサトウさんがメモを差し出してきた。例によって表情は無い。「依頼人の旧姓を調べました。以前、一度婚姻届を出しかけて引っ込めた記録があります」
「ほう……それは興味深いな」俺は思わず姿勢を正した。
「元婚約者が書いたのかもしれません」
補正欄に書かれた余計な一文
改めて申出書を見る。補正事項の末尾に、消し忘れのような一行。「もし、まだ心が残っているなら連絡ください」
こんなものが法務局に出されたら、職員だって戸惑うだろう。
「ラブレターと登記、区別してほしいもんですね」とサトウさんが呟いた。
恋文か証拠かそれが問題だ
ただの恋文か、それとも意思の表明としての証拠か。判断は難しい。補正とは、正すべき箇所を明示し、正しく書き直すこと。だがここに書かれた一文は、正しいかどうか以前に「誰が書いたか」が問題だ。
俺は頭を抱えた。だが、ある発想が浮かぶ。「もしかして、これ……わざとだ」
誰かが、補正を利用して恋を伝えようとしている。
依頼人は消えた婚約者
翌日、依頼人に電話をかけてみた。だが、「本人不在」「転居先不明」。住所地の隣人も「半年前から見ていない」と言う。
「これはちょっと事件性あるんじゃないですか?」と俺が言うと、サトウさんは「あー、推理モード入りましたね」と片眉を上げた。
登記の依頼をしておきながら、補正前に消息を絶つ。しかも補正は他人が行っている。謎が深まる。
訂正印の謎と登記の矛盾
問題は訂正印だった。補正には確かに本人の印影がある。だが、最初の登記申請時と比較すると、微妙に位置がずれていた。
「スキャンして、貼り付けた可能性ありますね」とサトウさんが言う。冷静な分析だ。
恋を利用して、何かをごまかそうとしている。俺の中で危険信号が点滅する。
やれやれまた一癖ある案件か
「やれやれ、、、」と俺は書類を机に放り投げた。こういう時に限って、他の依頼も山積みなんだ。
俺は元野球部だったが、ここぞという場面でしか打てなかった。今回も、たぶん最後の最後でしか動けない気がする。
でも、それが俺のやり方だ。
嘘をついたのは誰なのか
俺は郵便局へ行き、補正書の消印と発送場所を確認した。その結果、差出人は「登記に関係のない第三者」の可能性が高まった。
「共通点を探すしかないですね」とサトウさんがつぶやく。俺たちは、依頼人の過去の契約書や相談記録を洗い直した。
すると、一人の名前が浮かび上がった。「元婚約者の妹」だ。
元恋人の供述と破棄された契約書
彼女はかつて、依頼人とともに共有名義でマンションを購入する予定だった。だが契約直前で白紙に。婚約破棄の原因は「登記の意志不一致」だという。
妹は兄に代わって何かを伝えたかったのか。いや、違う。これは兄を守るための行動かもしれない。
その目論見は登記情報に記録として残ることになる。
一通の返信用封筒の手がかり
補正書の封筒の中に、使われなかった返信用封筒が残っていた。裏には、差出人の名前が……「アキコ」。
その名前は、依頼人の元婚約者の妹と一致した。
これで全てが繋がった。補正に見せかけた“最後のメッセージ”だったのだ。
真相は事務所に舞い戻る
アキコさんを呼び出し、静かに話を聞いた。「兄はもう海外にいます。でも、何も言わずに消えたことが、今でも私たち家族の傷です」
「補正書に気持ちを書いたのは、あなたなりの償いか」と俺が尋ねると、彼女は黙って頷いた。
形式を守らなかった想いは、しかし誰かの胸にはちゃんと届いた。
サザエさんに学ぶ人間関係の機微
「まるでカツオが提出する作文みたいでしたね」とサトウさんが苦笑した。「宿題じゃなくて、想いを提出しちゃうあたり」
「サザエさんの家族はちゃんと叱ってくれるけど、現実はそうもいかないな」と俺。
俺たちは、何も訂正しないまま申出書を返却することにした。
うっかりから導き出された真実
正直、最初はただのうっかりだと思っていた。恋文を出す場所を間違えたおかしな人間だと。
だがその“うっかり”の裏には、深い悲しみと祈りのような願いがあった。俺がそれに気づけたのは、たぶん少しだけ人を信じることができたからだ。
俺はうっかり司法書士、でも少しだけ役に立った。
結末とそれぞれの補正
依頼人の登記は結局、不備のまま期限切れとなった。だが、それでよかったのだと思う。
アキコさんからは、後日一通の手紙が届いた。「ありがとうございます。兄の代わりにお礼を言いたかった」
俺の机の隅には、あの補正書のコピーが今も挟まれている。
心に押印された恋の期限
恋には期限がある。でも、その期限を過ぎても、誰かの中に残るものがある。
補正されなかった想いが、誰かの心に正しく記録されることだってあるんだ。
そんなことを思いながら、俺は明日の依頼帳をめくった。
サトウさんの小さな微笑
「で、結局恋に落ちたのは誰だったんですかね?」
「さあな、たぶん、全員少しずつ落ちたんだろ」
サトウさんが珍しく、ほんの少しだけ笑った気がした。