仕事の話しか出てこない夜に心が疲れる

仕事の話しか出てこない夜に心が疲れる

あの飲み会は何だったのかと帰り道に思う

仕事終わり、断りきれずに参加した近所の同業者との飲み会。疲れているのに、断ったら付き合いが悪いと思われる。そんな気遣いだけで足を運んだのに、帰り道には妙な虚しさが残る。酒も料理もそこそこ良かったはずなのに、まるで会議室で延長戦をしてきたような感覚。楽しいという感情がどこにもなくて、自分の心だけが静かに疲弊していた。飲み会とは、本来もう少し自由な空気があるはずじゃなかったのか。

仕事の話だけで埋め尽くされた数時間

乾杯して5分後には、登記の話、法務局の窓口の愚痴、依頼人の無茶ぶり…そして「うちの事務員がさあ」と始まる、各事務所の内情バラし大会。誰かが話題を変えようとしても、すぐに「ところでさ、あの件どうしてる?」と引き戻される。結局、全員が業務の続きを喋っていただけで、そこに”リラックス”は存在しなかった。笑い声もあるにはあったけど、なんだか空虚で、営業スマイルみたいだった。

趣味の話が出る隙もなかった

例えば、野球の話をしたかった。プロ野球のシーズンも佳境なのに、「あ、俺テレビ全然見てなくて」と言われて終わり。昔のバッティングセンターの話でも、誰も乗ってこない。あまりに空気を読まない発言だったのかもしれないが、それすら誰も拾わない。話を逸らしたことを咎められたわけじゃないが、「ああ、また仕事の話に戻るんだな」と黙って酒を飲むしかなかった。

それでも誰も不満を言わない不思議

誰かが「もう仕事の話はやめようや」と言えば、それで空気が変わったかもしれない。でも、誰も言わない。言えないのか、言う気がないのか。たぶん、みんな同じように疲れていて、でもそれ以外の話題が見つからない。家族の話も、趣味も、恋愛も、あまりに遠く感じる年代と立場になってしまったのか。そう思うと、妙に切なくなった。

ただの延長戦だったような気がしてならない

「あの件、どう処理した?」みたいな質問に答えてると、気づけばそれが次の自分の業務に反映されている。いや、ありがたいアドバイスなんだ。経験を教えてくれるのは貴重だ。でもそれって、職場の机でやる話じゃなかったのか?なんで居酒屋でまで、手続きの話をして、チェックリストの確認みたいな会話をしてるんだろう。途中から自分でも何のためにそこに座ってるのかわからなくなってきた。

業務の愚痴を肴にしてもお腹は膨れない

「あの役所ほんと融通きかないよな」「あの依頼人、また言うこと変えてきたよ」…たしかに共感できるし、うなずける。でもそれを繰り返しても、心は軽くならない。愚痴をこぼした瞬間はスッとするけど、翌朝になるとその内容がまた胸にのしかかってくる。愚痴の応酬は、その場しのぎのガス抜きに過ぎない。結局、疲れの総量は変わらないまま、溜まっていく一方だった。

共感より疲労が積もるだけだった

「あるある」の連続で盛り上がる場は、表面上は安心できる。でも、本当に話したかったこと、本音の弱音や寂しさには誰も触れない。仕事の大変さを共有するだけで、心の奥のモヤモヤはまったく癒えなかった。むしろ、みんな大変なのに自分だけ弱音を吐けないような空気が漂って、余計に気を使ってしまった。

話すことが仕事しかない自分に気づく瞬間

「最近どう?」という言葉に、自然に「まあ仕事ばっかりだね」と返す自分。それがもう習慣になっていて、他に何も出てこないことに気づいたとき、ちょっとだけ怖くなった。かつては趣味も、恋愛も、夢も語っていたはずなのに。今は依頼人のスケジュールや登記期限ばかりが頭に浮かぶ。仕事の話しかしないのではなく、仕事の話しかできない状態になっていた。

日常がほとんど仕事で埋め尽くされている

朝起きた瞬間から「今日はどの案件を処理しよう」と考え、事務所に着けば電話と来客で予定は崩れ、帰宅しても書類を持ち帰って目を通す。そんな日々が、もう何年も続いている。趣味に時間を割く余裕なんてない。テレビも見ない、読書も続かない。結果、話題といえば自然と仕事のことになる。こうして自分の会話もどんどん狭まっていった。

プライベートの空白が寂しさを際立たせる

以前は、週末になると少し遠くの温泉に出かけたり、地元の草野球に顔を出したりもしていた。けれど今では、それすらも億劫になってしまった。仕事が終わると疲れて寝るだけ。誰かと話すときに「最近何してるの?」と聞かれても、何も答えることがない。プライベートが空白だと、ただ生きてるだけで寂しくなるものだ。

会話の引き出しが薄くなっていく恐怖

たまに事務員さんと雑談しようとしても、話題が思いつかずに沈黙になる。テレビも見ていない、趣味も語れない。何かを話したいのに、言葉が浮かばない。年齢を重ねるごとに会話の引き出しは増えると思っていたが、逆だった。むしろ、狭く深くなりすぎて、仕事以外の引き出しが空っぽになっていた。

司法書士という職業の話題の偏り

司法書士という仕事は、守秘義務も多く、専門的な内容も多い。だからこそ、同業者とでないと話しづらいことが多いのも事実。でも、それに甘えてしまうと、自分の世界はどんどん狭くなっていく。誰にも通じる話題がない、誰にも響かない言葉を使ってしまう。そして、自分が世間からズレていくような気がして怖くなる。

どこまで話していいのか分からない壁

依頼人のことも、事件のことも、軽々しく話せないのがこの仕事だ。でもそれが習慣になると、プライベートでも本音を出せなくなってしまう。無意識のうちにフィルターをかけて、あたりさわりのないことしか言えなくなっている。それって、心の声を殺しているってことなんじゃないかと、ふと思った。

専門職ならではの閉じた空間

同じ資格、同じ制度、同じ悩みを持つ者同士で集まると、話が通じやすくて居心地はいい。でもそれが続くと、他の世界を見ようとしなくなる。自分の世界だけが常識になる。気づけば、自分もその閉じた空間の中にどっぷり浸かってしまっていた。

せめて気持ちだけでも自由になりたい

仕事に追われるのは仕方ない。でも、せめて話すときくらいは、自由でいたいと思う。仕事の話ばかりじゃなくて、くだらない話、昔の恋バナ、趣味の失敗談、そういう何でもない会話ができたら、少しは心が軽くなる気がする。たとえ一人の夜でも、そんな話を思い出せたら、ちょっと救われる。

仕事を離れた話に癒しを求める

最近、ラジオを聴くようになった。くだらない話に笑って、何気ないやりとりにほっとして、なんだか人との会話ってこういうもんだったよなと気づかされた。癒しって、大きなことじゃなくて、日々の会話の中にあるんだと、ようやく思い出せた気がした。

元野球部の話すら誰も興味を示さなかった

昔話が出たときに、思い切って「俺、元野球部でさ」と言ったら、誰も反応しなかった。話題が違いすぎたのかもしれない。たしかに、司法書士の業界でバットの話をしても浮いてしまうのだろう。でも、その話を拾ってくれる人がいたら、少しは嬉しかった。結局そのとき、無言で酒を飲むしかなかった。

それでもまた飲み会に行ってしまう理由

疲れるってわかってるのに、また誘われたら断れない。誰かと繋がっていたい、孤独を感じたくない。そんな思いがあるから、今日もまた「行きます」と返してしまう。心は疲れても、人と会わない寂しさには勝てない。それが今の自分なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。