一通の書類に込められた重み
司法書士の仕事をしていると、つい「書類をさばく作業」のように錯覚してしまうことがある。でも、あるときふと気づいた。「この書類一枚が、誰かの人生を大きく変えてしまうこともある」と。その瞬間から、目の前の一枚がただの紙ではなくなった。特に相続や売買の登記申請では、その人の人生の節目に立ち会うことが多く、責任の重さが胸にのしかかる。新人の頃はそんなこと考えもしなかった。だけど今は、書類に向き合うたびに、目に見えないプレッシャーがついて回る。
「ただの書類」と思っていた頃の自分
新人の頃は、正直言って、登記も相続も「決まった手続きをこなすだけ」と思っていた。高校の部活みたいに「パターン練習すれば何とかなる」と。でも実際は違った。ひとつの案件に複雑な背景が絡んでいる。ある相続の案件で、兄弟間で20年近く話がこじれていたことがあった。僕が作成した登記書類が、ついにその和解の証になると知ったとき、「これって、ただの書類じゃないよな」と、しみじみ思った。グローブの手入れをサボるとミスにつながるように、ここでも丁寧さが命なのだ。
誰かの人生に関わるという現実
仕事に慣れてくると、逆に怖くなることがある。あるとき、住宅ローン完済後の抵当権抹消登記で、書類を1枚見落としそうになった。気づかなかったら、おそらく金融機関からの再手続きが必要になり、依頼者に迷惑がかかっていた。たった一枚のミスで、大事な人の人生が狂う。結婚、離婚、死別、再出発。司法書士は、そのどれかの場面で立ち会っている。重すぎるって、思う。でも、誰かがやらなきゃいけない。
軽い気持ちでハンコを押せない理由
登記に必要な書類に押印する。それだけの作業に見えるかもしれないけど、その印鑑一つが全ての裏付けになる。だから僕は、依頼者の前で何度も確認する。前に「間違って押してしまった」と泣きそうになった高齢者がいた。押し直しのために遠方の親族にも連絡を取らなきゃいけなかったらしく、本当に申し訳なかった。軽い気持ちで印鑑を扱えば、そのツケは依頼者に返ってくる。印鑑の重みは、紙より重い。
失敗が許されないプレッシャー
僕らの仕事は「成功して当たり前」で、「ミスすれば一発アウト」だ。先日は、依頼者から「もうすぐ引き渡しなのに登記が終わらなかったらどうなるのか」と詰められた。もちろんギリギリで完了させたが、あのプレッシャーは胃にくる。仕事中、胃薬が手放せないのは僕だけじゃないはず。登記が完了したときの、あの一言。「ありがとうございます」。それだけでまた一日、頑張れるんだけどね。
責任と孤独がのしかかる日々
結局、誰にも代わってもらえない責任がある。特に地方では、相談相手も少ないし、支部の集まりも年に数回。だからこそ孤独は常につきまとう。事務員には言えない内容もあるし、失敗の不安も一人で抱えがち。以前、登記の補正通知が届いたとき、夜中に机に向かって一人で考え込んだ。ミスではなく形式上の問題だったけど、「やっぱり自分の力不足か」と落ち込んだ。そんなとき、誰かと話したくなるんだよな。
地方の司法書士という選択
都市部の華やかなイメージとは違い、地方の司法書士は地味で泥くさい。地元の人に頼られてこそ意味があるけど、報われるとは限らない。過疎地では仕事も限られ、なり手も少ない。僕がこの地で開業したのも、地元に貢献したい気持ちと、実家に近かったからという単純な理由だった。でも今では、泥の中でもがいてるような気分になることがある。
華やかさとは無縁の仕事場
「先生って呼ばれていいですね」と言われることがある。でも現実は、役所と法務局と現場を自転車で駆け回って、汗だくで帰ってくる毎日だ。カッコよさとは無縁の世界。名刺よりも、ボールペンと付箋が仕事道具。先日は役所の窓口で「順番まだですか」と3回も言われて、頭を下げながらも心の中で「こっちだって急いでるよ」と思っていた。
見えない努力が報われにくい現実
資料集め、電話確認、書類の作成、スケジュール調整。そのすべてが目に見えにくく、感謝されることもない。結果が出て当たり前の世界だ。前に、遺産分割協議が揉めに揉めて半年以上かかった案件があった。ようやくまとまり、登記が完了したときも、依頼者からは「やっとか」と一言。たまに「お疲れさまでした」と言われると、それだけで泣きそうになるのは、きっと僕だけじゃない。
相談者の涙に胸が詰まる瞬間
相談中、ぽろっと涙を流す依頼者がいる。自分では冷静なつもりでも、ふとした話題に心が揺れるのだろう。相続や離婚、死別の話に、表情を崩さず対応しなきゃと思いつつも、胸がぎゅっと締め付けられることがある。言葉に詰まるとき、「この人の人生に自分が関わってるんだ」と痛感する。僕にできるのは、丁寧に、正確に手続きを進めることだけだ。
世間に理解されづらい仕事の中身
司法書士って何する人?と聞かれて、即答できる人は少ない。法務局に書類を出すだけ?そう思われがちだけど、その裏には膨大な確認作業と責任がある。市役所と銀行と、依頼者とやりとりをしながら、常に「ミスしたらどうなるか」を考えてる。でもその苦労は、ほとんど誰にも見えない。地味で、でも重要な役割。だからこそ、誇りを持ちたいと思う。
事務員との日々と感謝
一人でやってたら、たぶんもう潰れてる。そう言い切れるくらい、事務員の存在は大きい。毎朝、あいさつして書類の準備をしてくれて、ミスにも気づいてくれる。年齢も経験も違うけれど、「一緒にやってる感」があるのが救いだ。ときどき口論もするけど、彼女の支えがなかったら、今の事務所は回らない。
一人の力では成り立たない現実
司法書士は「個人業」っぽく見えるけど、実際はチームプレイだ。野球もピッチャーだけじゃ勝てないように、僕一人じゃ成立しない。入力ミスを防いだり、資料を先回りして準備してくれる事務員がいてくれるから、案件が回る。時には愚痴も聞いてくれるし、「先生またお腹壊してません?」なんて冗談を言ってくれるのがありがたい。
感情のコントロールが試される場面
忙しくなると、ついイライラして声を荒げそうになる。だけど、事務員の前では冷静でいたい。以前、一度だけ感情的になってしまったことがあった。彼女は黙っていたけど、数日後に手紙をくれた。「ちゃんと先生を支えたいと思っています」って。あの手紙、今も机の引き出しにある。僕が感情を抑えられない日は、それを読み返す。
小さなありがとうが支えになる
「おつかれさまです」「助かりました」そんな一言が、意外と力になる。大きな成果や評価よりも、小さな「ありがとう」の積み重ねが、この仕事を続けさせてくれる。事務員にも、依頼者にも、自分にも。たまには「今日もよくやった」と自分に言ってあげたくなる夜がある。報われないように見える仕事でも、自分だけはわかってやらなきゃいけない。
些細なミスが命取りになる緊張感
たとえば、カタカナ一文字の誤記。それだけで法務局から補正が入る。効率化を意識しつつも、確認作業だけは手を抜けない。以前、町名の表記ミスで補正になり、登記完了が数日遅れた。依頼者には丁寧に説明して理解を得たが、自分への失望感が強かった。「なんで気づけなかったんだろう」って。でも、そこからは二重三重のチェックを徹底している。
同じように悩んでいるあなたへ
司法書士でなくても、誰でも「自分の仕事に意味があるのか」と悩むことはあると思う。そんなとき、誰かの役に立てた瞬間を思い出してほしい。書類一枚が人生を変える。そう思えるようになったとき、自分の仕事にも誇りが生まれた。愚痴は減らないけど、それでも明日も続けようと思える。
完璧じゃないからこそ語れること
僕はミスもするし、イライラもするし、愚痴ばかり言ってる。だけど、だからこそ伝えられることがあると思っている。完璧じゃない司法書士が、毎日必死にやっている。そんな姿を見て、少しでも誰かが「自分も頑張ろう」と思ってくれたらうれしい。自信がない日もあるけれど、それでも歩みは止めない。
弱さを抱えたまま進む勇気
誰だって弱さがある。仕事がうまくいかない日もあるし、人間関係に悩む日もある。でも、その弱さを認めて進むことが、たぶん本当の強さなんじゃないかと思う。僕も弱いままだ。でも、逃げずに仕事をしている。それだけで十分だと、自分に言い聞かせながら。
愚痴を言える相手がいる幸せ
毎日頑張っていても、たまには「しんどい」「やってられない」と言いたくなる。でも、そんな愚痴を聞いてくれる人がいるってだけで、心が軽くなる。僕にとっては、それが事務員であり、同業者であり、時にはこの文章を読んでくれてるあなたかもしれない。弱音を吐ける場があることに、感謝したい。
今日もまた誰かの未来を背負っている
書類一枚。だけどその一枚が、誰かの人生を左右することもある。それを忘れずに、丁寧に仕事をしていきたい。愚痴も言いながら、時に笑って、また次の一枚に向き合う。今日も、明日も、きっと誰かの未来を背負っているんだ。