謄本が囁く虚実
暑さが残る秋口、久しぶりに事務所が静まり返っていた。やっと書類の山を片付けたと思った矢先、一本の電話が鳴った。声の主は、少し焦ったような口調で「登記の内容がおかしい」と言ってきた。
登記簿の片隅に違和感
その依頼者が送ってきた登記事項証明書を見た瞬間、違和感が走った。所有者欄に記された名前は、5年前に死亡したと報じられた地元の名士・神谷良一のものだった。しかも、日付は一週間前に変更されたばかりだ。
古い所有者名の意味
「死亡してる人が、いまさら名義を取り戻したってわけかよ…」俺は思わず声に出していた。どう考えても、自然ではない。死者が名義変更を行えるなら、あの世で不動産バブルが起きてるに違いない。
取引の直前に変更された謄本
さらに調べると、土地の売買契約が予定されていた日の、ほんの数日前に所有者の名義が「神谷良一」に戻っていた。まるで、売却のために何者かが用意したかのようなタイミングだった。
事務所に持ち込まれた奇妙な相談
翌日、依頼者である若い夫婦が事務所にやってきた。妻は妊娠中らしく、旦那が少し不安そうに話を切り出す。「実は、相手の不動産屋から送られてきた謄本に違和感があって…」——それはすでに俺も気づいている点だった。
亡くなったはずの人物からの委任状
彼らが提示した資料には、神谷良一からの委任状も添えられていた。直筆でサインされているように見えたが、どうにもインクのにじみ方が不自然だ。まるでコピーしたものに上からなぞったようだった。
封筒の匂いとインクの濃さ
封筒を鼻に近づけると、どこか懐かしい紙の匂いがした。昭和時代の公文書にありそうな、あの独特のにおいだった。インクは新しく、だが紙だけが妙に古びていた。このちぐはぐさが、すべてを物語っている。
サトウさんの冷静なツッコミ
黙って話を聞いていたサトウさんが、急に立ち上がってスキャナーにその委任状をかけた。「この余白のバランス、おかしいですね。貼り合わせた跡があります」。俺がぼんやりしている間に、もう解析が終わっていた。
筆跡の微妙な揺らぎに気づく
「それに、この“谷”の字だけ異様に震えてます。印刷じゃなく、手書きでごまかしてますね」——と、無感情に言う。さすがサトウさん、サザエさんで言うところの“ワカメが見つけた家計簿の不正”レベルの洞察力だ。
「これ、コピーして貼っただけですね」
モニターを指さしながら彼女は言った。「これ、コピーした紙に一部だけ手書きのサインを貼ってスキャンしてますよ」。俺の出番はないのかと、つい溜息が出た。「やれやれ、、、主役交代だな」。
真実を隠すための仮登記
調べを進めると、仮登記が一時的に行われていたことがわかった。通常、仮登記は本登記に移行されるが、それがなぜか抹消されていた。そしてその抹消直後に、神谷名義への復活が強引にねじ込まれていた。
表題部と権利部の微妙なずれ
表題部の変更日と、権利部の記録に1日だけズレがあった。この1日の“空白”が、登記の流れを不自然にしている。すべては、この空白を生み出すための操作だったのだ。
所有者のふりをした人物の正体
聞き込みで判明したのは、名義を取り戻そうとしたのは神谷の長男だった。父の死亡後に相続がされなかった土地を、勝手に「自分のものだ」と思い込み、偽造書類を準備したらしい。動機は単純な金欲だった。
司法書士シンドウの突撃訪問
話を聞き終えた俺は、例によってスーツのズボンにアイロンもかけずに現地へ向かった。「一応、聞くだけですよ…」そう言いながらも、靴底が薄い安物スニーカーで地元地主の屋敷に乗り込んだ。
やれやれ、、、俺が行くのか
何度目の「やれやれ、、、」だろうか。本来なら調査担当に任せるべき場面だが、気づいたら俺は玄関チャイムを押していた。中から出てきたのは神谷の次男で、「また兄貴か」とため息をついた。
玄関先での不自然な応対
問いただすと、兄が勝手に父親の委任状を偽造したことを認めた。家族間でも「変な登記が通った」と話題になっていたようで、「俺らも困ってた」と苦笑する弟の姿に、なんとも言えない気分になった。
古い登記情報が語る関係図
法務局で過去の登記簿謄本を確認すると、神谷家と近隣の土地との持ち合い関係が浮かび上がってきた。誰がどこを所有し、どういう背景で地番変更されたか——その地図を作るだけで一晩かかった。
「実はこの土地、名義を戻す途中だった」
長男の言い分はこうだった。「俺が登記を戻そうとしてたんだよ」。だが、手続きに正当性はない。すでに父の相続は法的に次男に流れていた。それを無理やり覆そうとした偽装だった。
鍵を握るのは10年前の抵当権抹消
すべての発端は、10年前に抹消された抵当権の存在だった。抹消される前に登記簿に名前が戻れば、売却益の一部を受け取れる——そう踏んだ長男が、そのタイミングを狙って登記を操作したのだった。
登記が抹消されていない理由
ところが、銀行側の手続きミスで抹消が1日遅れた。そのわずかなスキに偽装登記が滑り込んだ。だが、そのズレが決定的な証拠になった。法律は、日付に関しては実に冷酷で、正確だ。
謄本が語る虚構の連鎖
表向き整ったように見える登記にも、嘘は潜んでいる。誰かが記録を操作すれば、紙の上では真実になる。しかし、司法書士の仕事は、紙の裏側にある“虚実”を見抜くことだ。
「誰かが過去を操作しようとしている」
事件の全貌が明らかになったとき、依頼者の夫婦は涙ぐんでいた。「ありがとうございます、本当に救われました」——俺はただ「まぁ、これも仕事ですから」とごまかすしかなかった。
司法書士が辿り着いた真相
偽造登記は法務局の通報により調査が始まり、長男は追って告訴された。俺の手元に残ったのは、コピーされた謄本の束と、冷えた缶コーヒーだけだった。
書類に刻まれた偽りと救済
紙には、あまりに多くのことが詰まっている。だが、そこに刻まれた情報は、誰かの都合で書き換えられてしまう危うさもある。俺の役割は、その中から真実だけをすくい上げることだ。
「法務局が見逃すわけにはいきませんよ」
そう伝えると、法務局職員が苦笑しながらうなずいた。結局、こういう地味な戦いが、土地を守る最後の砦なのだろう。
そして再び日常へ
事務所に戻ると、サトウさんはすでに次の登記申請書を作成していた。「遅かったですね」と、相変わらずの塩対応だ。俺は座って、静かにぼやいた。「やれやれ、、、今日も俺の出番は脇役か」。