コンビニのレジの会話だけが今日の唯一の会話だった日

コンビニのレジの会話だけが今日の唯一の会話だった日

誰とも話さない一日が当たり前になってきた

最近、誰とも話さずに1日が終わることが増えてきた。事務員とは最低限の業務連絡は交わすが、それも「この書類、午後までに仕上げておきますね」とか「電話ありました」程度。会話と呼ぶにはあまりにも機械的で、心のやり取りとは程遠い。人と話すことが日常だった昔の感覚が、すっかり薄れてしまった。特に、土日など事務所を閉めている日などは、本当に誰とも声を交わさずに丸一日が過ぎる。人恋しさがじわじわと胸に湧き上がってくるが、誰かに連絡を取るほどの勇気もない。そんな静けさが、今では当たり前になってきた。

朝から誰とも会話がないまま出勤

目覚ましで起きて、顔を洗って着替え、トーストをかじりながらスマホのニュースを流し見する。出勤までのこのルーティンの中で、誰かと一言でも交わすことはない。独り暮らしの部屋は静まり返っていて、テレビの音すらつけない日もある。以前は野球部だったこともあり、朝の掛け声や仲間との雑談が日常だったが、今は「おはようございます」の一言もないまま、車を運転して事務所へと向かう。車内ではFMラジオが唯一の「声」で、流れてくるパーソナリティのトークに、少しだけ人の気配を感じて安心する。

電話も来客もゼロの日の静けさ

事務所に着いても、電話が鳴らなければほとんど会話の機会はない。来客がなければ、ただただPCに向かって書類を作り続けるだけの時間が過ぎる。それが司法書士の仕事なのだけど、黙々と続くこの作業の中に、言葉はほとんど存在しない。事務員も静かな性格で、余計な会話はしないタイプ。たまに「この手続き、変更点ありますか?」と聞かれて答えるくらいで、それ以外は互いに沈黙の中で仕事をこなす。こういう日が続くと、「自分って、社会の中で誰かとちゃんと繋がれてるのかな」と思ってしまう。

唯一の会話はコンビニのレジだった

そんな一日の中で、唯一、誰かと交わす会話があるとすれば――それは、昼食を買いに寄るコンビニのレジだ。たった十数秒のやりとり。だけど、それがどれだけ心をほぐしてくれることか。誰とも話さずに午前中を終えた身体に、その一言一言が染みわたる。「いらっしゃいませ」「袋はご利用ですか?」それだけのやりとりが、なんだか妙にあたたかい。

「温めますか?」に救われた気がした

ある日、唐揚げ弁当を手にレジに並んだとき、若い女性店員に「温めますか?」と笑顔で聞かれた。「はい、お願いします」と返しただけなのに、心がじわっと緩んだのを覚えている。何の変哲もないやりとりなのに、まるで「あなたのことをちゃんと気にかけていますよ」と言われたような気がしたのだ。もちろん店員さんにそんな意図はないのだろうが、誰とも会話していない自分にとって、その一言が救いだった。その日は、いつもより弁当が美味しく感じられた。

「ポイントカードは?」すら心の栄養になる

普段なら「いや、持ってないです」とついぶっきらぼうに答えてしまうその問いも、ある日、ゆっくりと「持ってないんですけど、いつも聞かれますね」と笑いながら返したことがある。すると店員さんも「決まりなので、すみません〜」と笑ってくれた。たったそれだけのことで、その日は少しだけ気分が軽くなった。会話って、こんなふうに自分の中の淀みをほどいてくれるものなんだなと、その時に思い出した。司法書士としての知識や技術とはまったく関係のない、でも確かに必要な「人とのふれあい」だった。

あの短いやり取りが無言の時間を塗り替える

いつもならただの習慣のように済ませていた買い物の時間。でも、ふと気がつけば、そのコンビニのレジが自分の一日の中で唯一の「声を出す」瞬間になっていた。まるで黙読だけしてきた一日が、やっと音読になったような感覚。ほんのわずかな会話だけど、そのやりとりが自分の中の沈黙を少しだけ壊してくれる。こうして人は、わずかな言葉のやりとりにでも、ちゃんと支えられているのだと実感する。

常連になっても名前は知らない関係性

何度も顔を合わせているのに、互いに名前も知らない。でも、どの店員さんが感じが良くて、どの時間帯が混むかなんてことは自然と覚えている。あの人は袋をいつも二重にしてくれる。あの人は目を見て「ありがとうございました」と言ってくれる。そんなことが、じわじわと日々を支えている。言葉は少なくても、確かにそこに人とのつながりがある。それだけで、なんとか今日も頑張ろうって思えることがある。

孤独と向き合う日々の中で気づいたこと

気がつけば、孤独と共にある毎日が普通になっていた。でも、その中でも人とのささやかなつながりが、どれだけ貴重かということにようやく気づいた。司法書士という仕事は、人の「節目」に関わる仕事だけど、自分自身の心の節目には無頓着になりがちだ。ふとした瞬間に、寂しさや空しさが顔を出す。それでも、そんな日々を少しでもやわらげてくれるのは、意外にも日常のほんの小さなやりとりだったりする。

独り言が増えている自分にハッとする

仕事中、ふと「これで大丈夫かな」とつぶやいている自分に気づいて、少しだけ怖くなる。昔はそんな癖なんてなかったはずなのに、今では「よし」「次はこれ」と口に出して確認しないと落ち着かない。声に出すことで、自分の存在を確認しているのかもしれない。もしかしたら、誰かと話したい気持ちが知らず知らずのうちに、独り言という形で漏れているのかもしれない。そんな自分を見つけた時、なんだか切なくなった。

話し相手がいないと情報も偏る

人と会話をしない生活を続けていると、自分の中の情報も偏ってくることに気づいた。仕事に必要な知識やニュースはチェックしているけれど、それ以外の何気ない雑談――たとえば最近見た映画とか、子供の学校行事の話とか、そういう日常の情報が入ってこない。そうなると、ますます他人との共通点がなくなっていく。孤独は、情報の孤立でもあるんだなと感じる。誰かと会話することは、心だけでなく、視野も広げてくれる。

テレビの音量を上げて人の声を求める

誰とも会話がないまま夜を迎えると、無意識にテレビの音量を上げてしまう。ニュースキャスターやバラエティ番組の声が、なんだか自分の部屋を温めてくれる気がするからだ。出演者たちが笑っているだけで、自分も少し安心する。そんな自分に気づいたとき、思わず笑ってしまった。寂しがり屋なのかもしれない。でもそれでいいのかもしれない。声があるって、こんなにも心に響くものだったのかと、しみじみ思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓