結ぶのは手より書類が先

結ぶのは手より書類が先

手をつなぐ時間より先に押す書類の山

朝、事務所のドアを開けると、まず目に入るのは人の手ではなく、ファイルの山と申請書。誰かと朝の挨拶を交わすよりも先に、机に広がる書類たちが「おはようございます」と無言で迫ってくる。恋人の手を握るような温かさはなく、冷たい印鑑マットの上に認印を押す感触が、今日の始まりを告げる。そういえば、最後に誰かと手をつないだのはいつだろう。そんなことをふと考えながら、また今日も静かに押印する。

朝一番で迎えるのは笑顔ではなく押印の依頼

他の仕事なら「おはようございます」と明るい挨拶が飛び交う時間帯。だが司法書士の朝は違う。届くのは郵便物、FAX、そしてメール添付された申請書データ。電話越しに聞こえるのは「この書類に今日中に認印お願いします」の声ばかり。顔も見えず、声に感情もない。事務員さんが小さく「今日も来てます」と笑ってくれるが、笑顔の分だけ、この孤独な仕事に支えられているのだと実感する。

甘い出会いより確実な依頼が先にくる日常

飲み会や婚活イベントより、まず優先すべきは登記申請の期日。気になる人とのLINEの返信よりも、急ぎの依頼者からのメールを先に開く。そんなことが続くうちに、プライベートは自然と後回し。結局、「今日も予定なし」の夜が続く。でも、書類だけは裏切らないし、依頼者は「助かりました」ときちんとお礼をくれる。恋愛より確実な信頼関係。それがちょっと寂しいけど、誇らしくもある。

「また印鑑ください」それが今日の会話の始まり

「こんにちは」よりも「これに印鑑お願いします」が先にくる関係。事務員さんとの会話も、まずは仕事が先。ふと、仕事以外で誰かに声をかけられた記憶を辿るが、最近はコンビニの「温めますか?」ぐらい。寂しいけれど、そこに文句を言うほどのエネルギーもない。今日も印鑑を片手に、「はい、どうぞ」と差し出す。それが、自分の存在意義になっている気がして、少しだけ救われる。

恋より先に委任状を見てしまう職業病

何気ない会話の中で「委任状」という単語が出ると、条件反射で形式を思い出してしまう。普通の人なら気にも留めないところに、自分だけ反応してしまうとき、「ああ、職業病だな」と笑う。デート中に印鑑の種類の話をしてしまったこともある。その話題で盛り上がった試しはない。むしろ、ドン引きされた顔が今でも忘れられない。

恋愛脳が委任状脳になった瞬間

昔はもう少しロマンチックだった気がする。映画を観て感動したり、好きな人の仕草にドキッとしたり。でも、いつの間にか「この委任状、日付が抜けてるな」とか「印鑑の位置、左寄りだな」なんてことばかりが気になるようになった。心がどこか事務的になってきていて、ふと鏡を見て「あれ、こんな顔だったっけ」と思うことも増えた。恋よりも正確な書類のほうが優先されてしまうのが、今の自分だ。

女性と話していても「印鑑ありますか?」が口癖

この前、知り合った女性と雑談していた時、「あ、印鑑ありますか?」とつい口をついて出てしまった。ただの世間話の流れで言ったわけではないが、相手はぽかんとしていた。あとで猛烈に恥ずかしくなって、「これはもうダメだな」と苦笑い。言葉の引き出しが仕事用に偏りすぎていて、普通の会話が不自然になっている。日々の業務が、少しずつ人間味を削っていっているような気がする。

署名と押印のセットが生活の基本形

「名前と印鑑をセットで」——この言葉が自分の人生にも当てはまりすぎていて笑えない。何かを決めるにも、誰かと会うにも、まずは確認と証明。それが身に染みついてしまったせいで、プライベートでも慎重すぎる性格になった気がする。「この人と食事に行っていいのか」「本音を言っていいのか」までも、つい裏付けを求めてしまう。でも人間関係に認印はない。ただ信じるしかない。その不確かさが、今はまだ少し怖い。

認印の数と孤独の深さの相関関係

多くの書類に囲まれ、多くの印鑑を押す日々。それなのに、誰かとのつながりは希薄になっていく。忙しさで埋められる孤独は一時的で、夜になると一気に押し寄せてくる。誰かの役に立っているはずなのに、自分の中が空っぽに感じるのはなぜだろう。認印の数だけ、誰かとつながっていると思いたいけれど、それが本当のつながりじゃないことにも気づいている。

仕事はあるのに心が満たされない理由

依頼者はたくさんいる。書類も毎日くる。でも、それは一方通行のやりとりだ。ありがとうと言われても、そこに深い関係性はない。心を開ける誰かが隣にいるわけでもない。形式の中で生きているうちに、感情の表現が下手になってしまった気がする。誰かと本音で話す時間より、書類の確認に時間を割いている今の自分を見つめると、ふと「何のために働いてるんだろう」と思う瞬間がある。

「必要とされてる感」はあるけれど

仕事では感謝されるし、信頼もされている。でも、それは「司法書士」としての自分に対してであって、「自分自身」としてではない。名刺に肩書きを書かないと、自分を語れないような感覚。それが寂しい。事務所を出ると、ただのひとりの男で、名前を呼んでくれる人もいない。人に必要とされているのに、どこかで自分を見失いそうになる。そんな矛盾と、今日も向き合っている。

事務所を出た瞬間に訪れる静寂の重さ

書類を片付け、電気を消し、鍵を閉めた瞬間——急に世界が静かになる。日中の慌ただしさとは対照的な、しんとした夜の空気。車に乗り込んで帰路につくとき、ラジオの声がやけに優しく感じる。この静寂が好きな時もあるが、たまに耐えられなくなる。誰かと「今日どうだった?」と話せる日が、来るのだろうか。そんなことを考えながら、明日もまた、認印を忘れず持っていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓