朝の事務所と赤い封筒
封筒の差出人は誰なのか
朝の事務所はいつも通り静かだった。サトウさんがポットにコーヒーを仕込み、私は机に突っ伏して昨日の書類にうなされていた。そこに、赤い封筒が一通、机の端に置かれていたのだ。 「これ、ポストに入ってました」とサトウさん。切手もない。投函というより、そっと誰かが差し込んだような――そんな気配があった。 封筒の裏には何も書かれておらず、ただ一言だけ、「シンドウ様へ」とだけ記されていた。筆跡は、丁寧すぎるほど整っていた。
サトウさんの冷静な観察
「この紙、コンビニのコピー機で印刷されてますね。フォントもWord標準の明朝体です」 サトウさんは封筒を開けた中身を見てすぐにそう指摘した。まるで名探偵コナンくんのように、いや、冷たさだけならむしろ灰原哀寄りだろうか。 中に入っていたのは遺言書の写しだった。内容を見て私は目を見張った。そこには、私が遺言執行者として指名されていたのだ。 「やれやれ、、、また面倒なことに巻き込まれたか」
依頼内容は遺言の執行
亡くなった男と不審な遺言
被相続人は高橋源蔵。地元でも有名な元工務店の社長だ。三ヶ月前に孤独死し、法定相続人は妹と弟。 だが遺言書には、私が執行者となり、すべての財産を妹に相続させると記されていた。 妙だった。生前の源蔵氏は弟を後継者として可愛がっていたという話を私は耳にしていたのだ。 「これは、、、本当に本人が書いたのか?」
執行者に指定された私
遺言の形式には不備がなかった。押印もされているし、日付も書かれている。しかし違和感は消えない。 私は源蔵氏と一度だけ会ったことがあった。たしかに一度、「何かあったときは頼むかもな」と言われたことがある。でも、それだけだ。 「これ、偽造されてるんじゃないか?」 私はその可能性を疑い始めた。
相続人たちの違和感
現れたのは兄妹だけ
事務所にやってきたのは、妹の春江と弟の武男だった。春江は終始無言で、私の目を見ようとしない。一方、武男はやたらと早口で、兄との思い出を語り始めた。 「兄貴は俺に工務店を継がせたかったんだ。だからこれはおかしい、絶対におかしい!」 私は武男に冷静になるよう促しつつ、春江に尋ねた。「あなたは、この遺言のことをご存知でしたか?」 彼女は黙ったまま首を振った。
財産の内訳に潜む矛盾
遺産は不動産2件と銀行預金が中心だった。が、その中に「未登記」の倉庫があることが判明した。 これが地味だが大きなヒントとなる。 「未登記?でもこの土地、課税されてますよ」 サトウさんが指摘する。ということは、市役所の台帳には載っているはずだ。
遺言書と印影の違和感
日付と記載事項の不一致
改めて遺言書を見直すと、押印されている印影の周囲に不自然なインクのにじみがあった。 それに、日付に記載されている令和五年四月一日。私はその日、源蔵氏が病院に入院していたことを思い出す。 「本人が書いたのなら、こんなに整った文章になるだろうか」 疑問が濃くなる。
サトウさんの“気付き”
「この印鑑、実印じゃないです」 サトウさんがそう言って差し出したのは、市役所で取得した印鑑証明書。印影と見比べると明らかに違う。 「誰かが似た印鑑を作って押したか、コピーしたかですね」 私はため息をつきながら、何か大きな罠に足を踏み入れたような気がしていた。
市役所と登記簿の調査
元野球部の足で現地確認
私は昔取った杵柄で、足を使って現地を歩き回った。やっぱり机の上だけじゃ真相は見えてこない。 倉庫の場所は予想よりもずっと立派で、敷地の隅に新しい防犯カメラが設置されていた。 「誰かがここを最近訪れてるな、、、」
固定資産課の小さなヒント
役所の固定資産課で、源蔵氏が生前、倉庫の名義変更について相談していた記録が見つかった。だが実際には何も変更されていない。 「相談はあった。でも実行はされなかった。ということは――」 私はパズルのピースが、ひとつ、またひとつとハマっていく感覚を覚えた。
遺言書は二度書かれていた
封筒の中の写しとの比較
封筒の写しと原本を見比べると、微妙な違いがあった。特に不動産の表記方法。写しでは住所の番地が一部抜け落ちている。 つまり、この写しを元に誰かが原本を偽造した可能性がある。
真の遺志は破棄されたのか
本当の遺言書が破棄されたとしたら、それは意図的なものだ。春江か、あるいは第三者か。 しかし、春江の態度を見て、私は確信した。彼女は加害者ではない。 「彼女はただ、、、黙っているだけだ」
兄の証言と妹の沈黙
隠された介護の真実
近所の住人の証言で分かったことがある。源蔵氏の介護をしていたのは、弟ではなく春江だった。しかもその事実を武男は隠していた。 「兄貴はもうダメだって、俺は言ったんです。でもアイツは、、、最後まで兄貴にしがみついてた」 武男の声が震えていた。
遺言に潜む心理の罠
源蔵氏は自分が死んだ後、兄妹が争うことを一番恐れていたのかもしれない。 だからこそ、遺言書を密かに書いた。そしてそれが何者かによって“編集”された。 「人は死んでも、欲は残るもんだな」
すり替えられた封筒
封緘シールの傷
封筒の裏、シールの端にピンセットのような痕があった。おそらく、差し替えられたのだ。 元の遺言書を入れていた封筒から、偽のものへ。 「巧妙すぎるほどの不自然さ。まるで怪盗キッドが仕組んだようだよ」
弁護士事務所の裏取り
源蔵氏が一度だけ相談していた弁護士のもとを訪ねると、「たしかに草案は出しましたが、最終的には手書きで残すとおっしゃっていました」とのこと。 つまり、偽造されたのは“完成形”の後。誰かが遺志を踏みにじったのだ。
真実を暴いた午後三時
サトウさんの最後の一言
「兄妹の仲は、きっとこれで終わりですね」 サトウさんはいつものように淡々とそう言った。 でも、その瞳は少しだけ優しさを湛えていた。 「書類、全部シュレッダーにかけておきますか?」
やれやれ、、、結局これも仕事か
私は肩をすくめた。「やれやれ、、、結局これも仕事か」 そう言って、デスクの引き出しから新しいファイルを取り出した。終わった事件より、次の依頼が待っている。
それでも明日はやってくる
シュレッダーに吸い込まれる嘘
偽の遺言書は証拠として警察に渡した。だが、真の遺志は、もう戻ってこない。 「記録より記憶」と誰かが言っていたが、記録がなければ争いは止まらない。司法書士の宿命だ。
次の依頼人がドアを叩く
カラン、というドアベルの音が鳴った。次の相談者が、こちらを見て小さく頭を下げた。 「シンドウ先生、、、遺産相続の件で、、、」 またか、と思いながら、私は椅子から立ち上がった。